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2014/11/01(土)16:09

現代アート史を紡ぐとはどういうことか

美術館・画廊メモ(146)

美樂舎マイ・コレクション展で、わたしは台湾の Natako Oo さんの作品を展示している。 展示した2作品のうちの1つは、アートファンなら一目見て分るとおり、会田 誠(あいだ・まこと)さんの有名な問題作「犬 雪月花」シリーズが影響している。 剽窃でもパロディーでもなく、Natako Oo作品は会田誠作品を消化し、写真コラージュの手法で昇華したものだ。 ここにひとつの系譜があり、アート史の1頁が開かれたと、ぼくは思うね。 展示会場には、会田誠作品を画集から縮小カラーコピーしたものを、Natako Ooさんの作品の下に <参考> と明記して貼りだした。 展示の初日の午後になって、会田誠さんの所属画廊であるミヅマアートギャラリーの社員が会場に来訪し、カラーコピーを撤去するようにと伝えてきた。会場係がすぐに撤去してくれた。 わたしに言わせれば、来訪者が会田誠作品と Natako Oo 作品を見比べることができるようにしたのは、現代アート史を語るためという立派な目的があったのだが、適法違法の微妙なところだから撤去はやむをえないと思った。 かりにわたしが、画集の絵を次々に額装して壁に展示し、「会田誠作品展」と銘打った展覧会を行ったとしたら、これはもう完全な真っ黒け。文句なしにバツである。 そういうケースと今回のマイコレ展のケースは明らかに異なる。しかし、率直に言って線引きはむずかしい。今回のケースはグレーなのである。 *     *     * しかし、ここから先はミヅマアートギャラリーのほうが非常識だと思う。 ミヅマの社員は、あろうことか展示の説明文にまでクレームをつけてきたのである。 ミヅマアートギャラリーが問題にしたのは、このくだり: ≪アートファンなら、会田誠(あいだ・まこと)さんの有名な問題作「犬 雪月花」の3連作を思い出すはずです。いわばその実写版写真コラージュが「少女恋物 #01」ですが、丹念な仕事には驚くばかりです。そして、うつくしい。≫ 驚いたことにミヅマの社員曰く、「会田誠の名前に言及してはならない」。 仕方がないから会場係が、Natako Oo 作品の展示説明文も撤去した。 勤務先まで急報があり、わたしは勤務を終えたあと会場へ行って、以下のような文章に改めて壁に貼り付けた: ≪アートファンなら知っている、ある有名な問題作。いわばその実写版写真コラージュが「少女恋物 #01」ですが、丹念な仕上げにはドキリとさせられます。 Kawaii装飾に彩られた、美しくも目くるめく世界です。≫ 説明文としてはよくなった。ミヅマちゃん、ありがとう! しかし、である。「会田誠の名前を出すな」とは、いったいどういうことなのだろう。 アーティストの名前に言及するためにいちいち所属画廊の許可が必要なのであれば、およそアート史を書くことはできない。ミヅマアートギャラリーの非常識には驚いた。 劇評で石原さとみや笹本玲奈について書くために、いちいちホリプロの了解が必要か? みたいな話だ。 今回のケースでは百歩譲って、会田誠さんについて「言及がないとはけしからん」と言われるのなら、まだ分る。(その場合だって、会田誠に言及するかどうかは、あくまでわたしの裁量の範囲だと思うがね。) 「会田誠の名前を出すな」というくらいなら、この際、会田誠さんの名前を廃止してはどうか。案外、会田さんは「名無しもいいね」とゲラゲラ笑ってオーケーするかもしれないね。 【蛇足】 展示会場に来たミヅマアートギャラリー社員を名乗るひとは、会社を代表して掲示物撤去を要求しながら名刺は出さなかったという。社会人として、非常識。ミヅマアートギャラリーは、社員教育からやり直したほうがよいのかもしれない。 【続・蛇足】 ミヅマアートギャラリー代表の三潴末雄(みづま・すえお)さんが、平成26年8月19日の午前11時ごろに、わたしのFacebook上に以下のようなコメントを書き込んだ。 ≪会田誠の表面のイメージをパクった醜悪なものだ。作品とは呼べない。会田誠にはきちんとした社会批評としっかりしたコンセプトがある。≫ ≪会田誠の作品イメージを勝手に参考資料として、展示しているが、即刻辞めて欲しい。迷惑な話だ!≫ 三潴さんが書いた「作品とは呼べない」といった内容は わたしには罵詈雑言に思えるが、アート界でご自身が育てたと自負されているであろう会田誠さんへの父親のような愛情が、三潴さんをして我を忘れさせたのかもしれない。 Natako Oo 作品は会田誠作品と以下の点で決定的に異なり、パクりではない。そこがすごいところ。 Natako Oo 「少女恋物 #01」 (平成25年) (1) 会田誠作品「犬 雪月花」連作の少女が犬への連想を喚起することを強く意図している。それに対し、Natako Oo 作品「少女恋物」連作は犬を連想させない。むしろ犬を連想させては邪魔になるから、会田誠連作に存在する首輪を Natako Oo 作品はあえてつけていない。 (2) 会田誠作品「犬 雪月花」連作が雪月花というモチーフによっているのに対して、Natako Oo作品「少女恋物」連作は医療行為がモチーフになっている。それによって、会田誠作品が描く少女たちの手術前はどうだったろうね? という問いかけにもなっている。 会田誠作品「犬 雪月花」は社会的波紋を呼んだ作品であり、それに対するひとつの批評を提供しているという意味で、Natako Oo作品はきちんとした社会批評としっかりしたコンセプトがある。こういうのを、換骨奪胎というのである。 三潴さんご本人が後で否定しないように PC 上で三潴さんの書き込みを撮影した。 (なお、17 saat once とあるのは「17時間前」ということ。わたしのFacebookは言語設定がトルコ語になっているので、「いいね」もBegenとなっている。三潴さんの名が Mizuma Sueo とローマ字書きになっているのもそのため。) 【8/21 夜、追記】 ここ数日、ブログへのアクセスが急増している。 8/18    757 (実力値) 8/19  4,100 (えらく増えた) 8/20  16,981 (こんなこと初めて) 8/21   22,894 (23:20現在) 「ミヅマアートギャラリー」を風呂に入る前にGoogle検索したら、このブログが検索ヒットの2件目に来た。Wikipedia も抜くとは、ビックリ: ところが風呂から出てみると順位が下がっていた。あれ…? 順位は刻々と入れ替わるようだ:

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