文春新書『英語学習の極意』著者サイト

2014/08/30(土)23:52

ニーアル・ファーガソン 『劣化国家 The Great Degeneration』 の洞察に耳を傾ける

世界を見る切り口(173)

アダム・スミスは21世紀の中国が沈滞国家になることを見透かしていたのだね。 ≪アダム・スミスは『国富論』のめったに引用されない2つの節で、彼が「定常状態」と呼んだもの、つまりかつて豊かだったが成長を止めた国の状態を説明している。≫ (11頁) その定常状態の特徴は、第1に大多数の人たちがおそろしいほどの低賃金に甘んじていること。第2に腐敗した独占的なエリートが、法・行政制度を自分の利益になるように利用できること。 アダム・スミスは18世紀の清国を眺めながらこの2点を指摘したわけだが、21世紀の中国もそっくり同じ要素がセットになっている。 ニーアル・ファーガソン著、櫻井祐子 訳 『劣化国家』 (東洋経済新報社、平成25年刊) では中国の官僚制度が肥大したものだったかというと、そうでもないという。 ≪中国王朝国家は、国防や飢餓救済に始まり、運河などの商業基盤や農業技術の普及など、実にさまざまな公共財を提供しようと努めたが、高度に中央集権化された官僚主義は人口の割に貧弱すぎた。 所有権は、税率が(西洋の基準から見て)低いままほとんど変化しなかったという点で、まだしも確保されていたが、商法は存在せず、裁判官は法律よりも文学や哲学の研究に余念がなかった。彼らは「法的裁定よりも妥協」を求め、契約執行を民間のネットワークに委ねた。 末期の清国家は遅まきながら商業分野に足を踏み入れたが、生産性を阻害するような形で介入した。商人に重税を課し、政府やその代理人を効果的に抑制するしくみをもたずに、独占的な組合に権限を委譲した。その結果、汚職の蔓延と経済収縮を招いたのである。≫ (109頁) 小さな政府であったがゆえに統治行為そのものを民営化し、よい意味での公共(おおやけ)を打ち立てられなかったわけだ。 かくして、公共の権威は低い。 ≪1990年代半ばの中国では、民事判決と経済判決の平均的な履行率が、初級裁判所で60%、中級裁判所で50%、地方高等裁判所では40%だた。つまり、当時中国で下されていた判決のほぼ半数が、書類上でしか存在しなかったことになる。 多額の未払い債務が絡むことの多い契約紛争、つまり銀行や国有企業が関わる紛争では、平均的な履行率は当局による推定値でさえ12%にとどまった。≫ (128頁) この原資料は、Donald C. Clarke, “Power and Politics in the Chinese Court System: The Enforcement of Civil Judgements,” Columbia Journal of Asian Law, 10, 1 (1996), pp. 1-125 の由。 * 諸国家の財政赤字についてファーガソン教授は ≪問題の核心は、公的債務というしくみのおかげで、現世代の有権者が、投票権を持たない若者やまだ生まれていない人たちのカネを使って生きていけることにある。≫ (52頁) と明快だ。 ≪わたしがここで言いたいのは、世代間の社会契約をいかにして回復するかが、成熟した民主主義社会が取り組まねばならない最大の課題だということだ。≫ (55頁) だから政府も一般企業にならって、国家の公的部門の貸借対照表(バランスシート)を作成すべきだという。「世代会計」を定期的に作成して、目下の政策がそれぞれの世代に与える影響を明らかにすべきだと。 * 米国の中東政策についても、あっさりホンネベースでこう述べる。 ≪対武装勢力戦に疲れ果て、フラッキング(水圧破砕法)によって豊富な化石燃料(=シェールガス)が利用可能になったこと――2035年までに中東への石油依存から脱却できること――に気づいたアメリカは、中東地域での40年にわたる覇権を急いで終わらせようとしている。 この真空を埋めるのが誰なのか、または何なのかはわからない。核武装したイランなのか? それとも新オスマン主義のトルコ? ムスリム同胞団の率いるアラブ・イスラム主義者だろうか? 誰であれ、流血なしにトップに躍り出ることはできまい。≫ (180~181頁) 超大国なき地球はいっそう不安定なものになる。超大国に悪態をつきつつ、我々はずいぶんとラクをさせてもらっていたのかもしれない。

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