2015/07/11(土)15:37
波長があう高島俊男さんの 『漢字雑談』(講談社現代新書)
中国語学・文学研究家の高島俊男さんの著書を読んでいると、とても波長が合う。
現代中国語も含めたしっかりした中国語の知見と、深い日本語の教養、そして学者としての誠実さと洒脱なユーモアを全て兼ね備えておられるからだろう。
このあいだ読んだ『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(文春文庫)も「『支那』はわるいことばだろうか」などの論評が秀逸だった。
こんど読んだ『漢字雑談』(講談社現代新書)も、辞書に散見するいい加減な出典確認は厳しくいさめ、文字表記はどうあるべきかなど論考はピシッとスジが通っている。
漢字表記について。わたしもさすがに「障害者/障がい者」「短編小説」「憶病な」などとは書かず「障碍者」「短篇小説」「臆病な」とただしく書いてきた。しかし「広範な」「崩壊する」「名誉棄損」「義援金」「膨張する」のような漢字制限に由来するインチキ表記は、無知のまま唯々諾々と従ってきた。
高島俊男さんのまっとうなご指摘。ほんらい「広汎な」「崩潰する」「名誉毀損」「義捐金」「膨脹する」と書くべきなのである。文筆の徒として、心せねば!
(「震災後の言葉」「篇と編その他」「改訂常用漢字表の愚」 92~115頁)
一連のサ変動詞とその変容についての論考もきわめておもしろかった。「漢字一文字」+「する」「ずる」「じる」「す」「ず」の動詞シリーズだ。(「腕ぶす得意舞台」「私は屈さない」 50~66頁)
「建設する」の否定は「建設しない」。「建設さない」は、ありえない形だ。
「決する」「屈する」の否定は「決しない」「屈しない」。「決さない」「屈さない」は、ありえるが、「ん?」感あり。
ところが「愛する」「辞する」の否定は「愛さない」「辞さない」。「愛しない」「辞しない」は、語形は正しそうなのに実際は使わないだろう。
それで、否定の未然形「愛さ」「辞さ」にひかれて、五段活用の「愛す」「辞す」が辞書の見出し語となっていく。
いっぽう「命ずる」「信ずる」の否定は「命じない」「信じない」だ。「命ざない」「信ざない」はありえない。
否定の未然形「命じ」「信じ」にひかれて、上一段活用の「命じる」「信じる」が辞書の見出し語となっていく。
これは中学や高校で国文法の時間を3時限くらい使って生徒と ああだこうだと論じ合い、文法のおもしろさに目覚めてもらうための恰好のネタになりそうだ。(←「格好の」ではなく「恰好の」!)
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ところで、日本語の動詞の否定形を「否定動詞」としてとらえた16~17世紀のポルトガル人の宣教師がいる。ジョアン・ロドリゲス。慶長9年(キリスト暦1604年)に
Arte da lingoa de Iapam (『日本大文典』)を著した。
日経・平270610号40面に小鹿原敏夫(おがはら・としお)さんが「宣教師 日本語学の独創 ― 400年前に活躍、ジョアン・ロドリゲスの著書『大文典』研究」と題して語っている。
≪ラテン語で「動詞+否定詞」で表される否定形は、日本語では独自の活用を持つ「否定動詞」ととらえた。「ござる」と「ござない」は同じ動詞の終止形と否定形ではなく、別々の動詞というわけだ。これは「ござる」の過去形「ござった」に「ない」を付けられず、「ござなかった」と別の活用をするため、分けて考えたほうが日本語を学ぶ外国人にも合理的だったのだろう。
ほかにも「静かなり」など日本語特有の形容動詞を「中性動詞」という概念で説明するなどのアイデアが見られる。≫
高島俊男さんの『漢字雑談』222頁によると、日本語の「敬語」体系について初めて語学的に注目したのもロドリゲス『日本大文典』だそうだ。
高島さんによれば、なんとこの本は世界でたった2部が英国に残ったのみで、近現代の日本人は昭和10年代になって初めてその存在を知ったのだという。