ひこじいさんのブログ

2017/10/30(月)10:10

里芋大豊作の兆し

               7月初め                9月現在 里芋は最初に植えた親芋の周りに子芋・孫芋、場合によっては曾孫芋が発生する。 このようにイモが付くことから、子孫繁栄の象徴とされ正月のお節料理には欠かせない食材となっている。 里芋の旬は秋から冬の期間だが乾燥させないことと低温に当てないようにすれば、収穫から翌年4月位までの長期貯蔵が可能である。 ただ収穫直後は簡単に剥くことができた皮が月日の経過とともに堅くなり、包丁で剥かないと擦ったくらいでは剥けなくなる。 一般的に流通しているサトイモの多くは、「土垂」という品種である。粘質で、ねっとりとして旨いが、粘り気を嫌い粉質の八つ頭を好む人もいる。 山野に自生していた芋はヤマイモと呼ばれ、里で栽培されることからサトイモという名が付けられたとされている。 サトイモの栽培品種には、2倍体のものと 3倍体のものがある。 2倍体品種は開花し着果するが、同じテンナンショウ属のウラシマソウやマムシグサの種子に比較してかなり小さい。 サトイモは熱帯アジアの主食とされているタロイモ類のうちでは、北限が最も北の地域で栽培されている。 栽培は比較的容易であり、湿潤な土壌で日当たり良く温暖であれば特に土質も選ばず栽培可能である。 一般に畑で育てるが奄美諸島以南では、水田で育てる。湛水状態で育てた場合、畑で育てるより収穫量が2.5倍も多くなるとされる。 日本への伝播はイネよりも早く、縄文後期には伝わっていたと考えられている 蓮葉はかくこそもあれ おきまろが いえなるものは 宇毛之葉にあらし(長意吉麻呂) 「蓮の葉は、このような葉の事をいうのだろう。我が家にあるものは、どうもサトイモの葉のようだ」※古語ではイモは「宇毛」と言われていた。…万葉集 巻16-3826 和名抄(平安時代 辞典)には里芋が葉柄とともに食用になることが記されており、「延喜式」にはサトイモの栽培方法が記載されている。 江戸時代までは「いも」といえば里芋を指していたが、甘藷や馬鈴薯などが新たに伝わるとイモは里芋だけを指す言葉ではなくなった。 この三種のイモは、それぞれ植え付け方法が異なる。 サツマイモは親イモからふいた蔓を切り取って土に挿して、ジャガイモはイモを切り分けて植える。 サトイモの場合は傷が付くと腐敗するので病菌に侵されていなくて、傷の無いイモそのものを植え付ける。 煮物の材料として極一般的な存在で、芋煮会・芋焚きの主食材である。 澱粉が主成分で、低カロリーで食物繊維も豊富である。独特の「ぬめり」は、マンナン・ガラクタンで、マンナンは便秘予防・ムチン様物質には消化促進・ガラクタンには免疫力向上作用があるとされる。 ある種のタンパク質が結合したシュウ酸の針状結晶が多数あるため、強烈なエグ味と渋味があり生食は不可能である。 加熱でタンパク質が変性して、エグ味と渋味は無くなる。 古くから親しまれてきた身近な作物であり、身近な食品でもあるため各地にさまざまな伝説が残っている。 田子の木集落には葱・葦草・里芋・胡麻・蓮等を植えてはならないことと、井戸を掘ってはいけない・天窓を設けてはいけないという七つの忌事がある。 昔、田子の木集落にある栗の大木の洞の中で、呻き声を上げている病気の山伏を見つけて家に連れ帰り看病した。 全快した山伏が村を去るお礼に村に悪病が入らないために、七つの禁物を示した。 山伏の言いつけを守ったところ悪病が入って来なかったことから、今もこの七つの戒を守っているという。 (仙北郡北協和村上淀川  蓮西寺発行) 西馬音内では里芋畠の芋にすべって転んだため里芋を植えなかったといわれている。(雄勝郡羽後町教育委員会) 千屋字大屋敷の某家に旅の僧が来て畑の里芋を分けて欲しいと言ったが、家婦は家の芋は石芋なので煮ても焼いても食べられないと言って追い返した。 里芋を収穫したところ、石芋になっていて食べることができなかった。翌年以降もまた石芋になってしまったという。僧は弘法大師であったと伝わっている。(仙北郡北協和村上淀川  蓮西寺) 目久尻川の流れで芋を洗っている老婆に、通り掛かった弘法大師が「サトイモを恵んでほし」と言ったのに対して、「これは水芋だから食えないよ」と言って見向きもしなかった。 その晩煮た里芋は本当の水芋で、固くて食べることができなかった。 その時、捨てた残りの芋が水辺に自生するようになったのが亀島の水芋だと言い伝わっている。(海老名市) 弘法大師が一軒の裕福そうな家の前を通りかかるとその家の軒下には、収穫したばかりの里芋が山のように積まれていた。 軒先にいた若者に、「これは、美味しそうな里芋ですね。一つ、わけて頂けませんか?」と訊ねると若者は、 「これは、里芋ではない。石だ。石だから、食べられないよ」 それを聞いた大師様は、「石なら、仕方がありません」こう言い残して立ち去りました。 弘法大師が立ち去ったあと里芋はすべて石に変わっていたのでした。(室戸岬にある24番札所最御崎寺) 沓掛温泉は温泉尻で冬季でも水温が高いという好条件に恵まれて、縄文時代からの野生サトイモが絶えることなく今に生き残っており、青木村では野生里芋を石芋又は弘法芋の名前で呼んでいる。 昔、旅で沓掛村を訪れた弘法大師が、川で美味しそうな里芋を洗っているお婆さんに出会いました。お腹を空かしていた弘法大師がお婆さんに「2、3個恵んでください」と頼んだところ、お婆さんは「この里芋は、石のようにかたくて食べられない」と断わりました。 お婆さんが家に帰り夕食に食べようとしたところ、里芋は本当の石のようにかたくなり食べることができなくなっていました。それからこの里芋は石芋・弘法芋とも呼ばれています。(小県郡青木村) サトイモの栽培には、土地の乾燥が何よりも影響する。 7月から8月の成長期に日照りが続くと、成長が止まったりときには葉茎が茶色に変色し枯死してしまうこともある。 今年の関東地方は7月に夏の太陽が数日出たが、8月は連日降雨が続いて日照時間は平年の4割以下しかなかった。 日照不足によって、キュウリやトマト・ナスなどの夏野菜の出来が悪かったという。 しかしこんな天候が逆に幸いして、今年はどこの畑でも株が大きくなったサトイモの茎葉が青々と大きく育っている。 我が家ではサトイモ栽培を20年以上続けているが菜園に植えた63株のサトイモの株と茎葉が、今までにない大きさに成長している。 茎は2m近くになり、葉の大きさは大人が両手で作った輪より巨大である。 恐らく10月末の収穫期には曾孫芋までが着いて大豊作になり、あちこちから芋煮鍋の話題が聞こえてくるのであろう。

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