2011/04/03(日)03:57
春は確実に訪れているけれど
地震から20日たっても新聞を目を皿のようにして読み、
TVもつけるのはたいていニュ-ス。
やはり地震は人ごとではないと感じているからかな。
最近思う。
しきりに外国が賞賛するが、日本人は強いというより、
まわりに迷惑をかけたくない、恥ずかしいという思いの強い
泣き叫ぶことのできない国民性で、ひたすら耐えるしかないのだろうと。
本当は無力感でいっぱいなんだろうと。
特に子供に先立たれた親は。。。
いまだにたくさんの行方不明者が残り、遺族の方々の気持ちを考えると
必ず立ち直れる!なんて簡単には言えないのかもしれない。
この震災での津波は最長で8kmにも内陸に及んだそうで、
高さは高いところでは30mほどにも達しているらしい。
なだらかな湾になった海が近くにある我が家は、海から1km離れていず、
しかも地形が防波堤から少しづつ下がっている。
やすやすと越えた波は下り坂をなだれ、何kmも先の平地を
上空から撮影した、津波が田畑を飲み込んでいったまるで映画のような
シ-ンが再現されるに違いない。
近くにある中学校が一応避難場所になっているけれど、建物は確か4階だった。
5階以上でないと油断できないらしい。
北の方に行くと企業のビルがあり、そこは7,8階まであると思ったが、
どうもそこは地域の指定避難場所になっているようだ。
ありがたい!と思ったけれど、横はすぐ川なんだな_(_^_)_ ・・・・
でも、「運を天にまかす」のはいけないいつかここにも来るであろう大地震。
最近の「想定外」ということばが好きではない。
政治家がよく使う「誠に遺憾です」と同じようにあいまいに逃げることばで。
日本は小さな島国で、海に囲まれ、山が多く、どちらからも挟み撃ち的な国土だ。
大地震は古くから何度も起きている。
なのに、原発大国フランスのように地震がないならまだわかるけれど、
地震大国日本に原発を造るって無謀ではないかと?
しかも、東海大地震の震源地に近いであろう場所に浜岡原発はあるしね。。。
「想定外」ではなく、「想定内」の対策しかしてこなかったから
今回のようなことが起きるのだと書いていた記事を読んだけれどまさにそう。
そういえば、もう10年ほども前の娘が小学生の時、
参観日の懇談会で何かしゃべらなくてはならない時があり、
気になっていたことを先生にちょっと聞いてみた。
小学校の南はもと国道の道路があり、その横に松林、そしてもう海だったから、
津波は来ないのか、来たらどういう対策をしているのか。
私はけっこう地震の文献を読んでいたので、あの程度の防波堤など役にたたないと
信じていたので。
先生は片側の口の端をきゅっとあげてくすっと苦笑いするように、
「じゃあどうすればいいと思いますか?」と言った。
防波堤を越えるわけないでしょという感じだった。
あぁ、この学校はダメだ。。。
その瞬間にそう感じてしまい、そのあとどう答えたか覚えていない。
(娘が小学校に通っている間は大地震は来ないでくれよ・・・)って
考えていた時代だったなぁ。
災害の避難訓練は、校庭に避難して親が来るのを待つという「想定内」のものだった。
今回の地震では、迎えに来て帰った親子が津波に巻き込まれ、
校舎の上に逃げた子供たちが助かったということがあった。
悲しい教訓ではあるけれど、わが町の小学校も今後は津波想定の訓練も
するようになるだろうか。。。
大津波は何kmも遡る。
これから日本は過去の被害をもっと調べていく必要があるのではないだろうか。
それにしても怖いですよ。
静岡県はユ-ラシアプレ-トがにフィリピン海プレ-トがもぐりこみ、
しかも北米プレ-トと太平洋プレ-トが接近しているという特異な場所にある。
深い海溝があるところには高い山ができ、富士山がある。
エベレストもそうだ。
高い山、深い海溝、大地震。三つはセットになっているだろう。
最近、怖いのは地震被害より富士山噴火だという話も聞くけれど。。。
伊豆半島は太古の時代にフィリピンから流れてきたと聞く。
そのくっついた先が御殿場の方にある断層だとか?
伊豆ってフィリピンだったんだ・・・・?
その伊豆半島にきょうも行ってきました。(ここからちょっと柔らかく書こうかな;)
息子のところへやっとbedを運びこみました。
まだまだ少ないけれど、閑散としていた伊豆にも少しづつ観光客が戻ってきているようです。
息子は4月から正社員になったので朝番の時は5:30から仕事だとか
明日は7:30am出勤だそうだけど5:30amに起きるそうで、
アパ-トと職場は近いのになぜそんなに早く起きるのかと言うと、
1時間くらいぼ-っとしてるからと。
つい最近までは7:30amに家を出るのに7:00amにやっと起きて
朝食済んだらぎりぎりまでbedに潜ってた息子が。。。
いきなり社会人になったんだなぁと実感
お昼は近くにある、きちゃないけどウマイ中華料理屋に行きました。
すごい量と聞いていたけれど、確かにすごい量。。。
レバニラ炒め
今回は息子のところを早く離れ、下田のペリ-ロ-ドに寄りました。
ブログを開設した頃に同じような写真を載せたことがあったけれど再び。
小さな港町だけど、黒船来航の幕末の匂いをちょっと感じられて好きな町です。
黒船のマンホ-ルのふた
ペリ-ロ-ドに続く椿の咲く小道
ペリ-ロ-ドの一角。古い建物を活用
下田、松崎にはなまこ壁の建物が多い
日米和親条約が締結され、ペリ-一行が休憩所とした了仙寺。
ほかに、勝海舟と山内容堂が逢って坂本龍馬の脱藩を許したとされる宝福寺も
安政大地震の際、下田を訪れていたロシアのディアナ号が津波で大破して
富士市沖で沈没しました。
そのイカリを昭和の時代に引き上げ、富士市の海岸にある公園に展示されています。
幕末の大地震では下田も津波が入り込みました。
駅近くの比較的高いビル(高いビルがないんだな;)には「津波避難ビル」の看板があり、
「どうぞ津波の時は避難に使ってください」のように書いてありました。
海に近い地区には誰にでもわかるこういう看板がほしいですね