坂本龍馬は、郷士ながら、 明智光秀の娘婿・明智秀満の末裔を称する坂本家に生まれています。 子供の頃、寝小便タレで、泣き虫、近所でも有名な怖がりで、勉強嫌いで勉強についていけず塾を退塾になり、親を嘆かせたそうです。 現代で言うところの典型的落ちこぼれ少年で、唯一、長続きした剣術の腕前も本当は、中の上くらいだったらしいのです。
よき理解者であった、母・幸(龍馬が11歳の時に病死)と姉の乙女がいなければ、剣術すらも投げ出していたらしいのです。
しかし、いつも太平洋の彼方を見て、大きな志を持って活きていた
彼にとっては勉強が出来るとか出来ないとか、剣術の腕がいいとか、運動神経がいいとか(スポーツが出来るとか出来ないとか)
そのような小さなことは、どうでもよかったのでしょう。
彼は、満31歳の誕生日に暗殺されるまでの僅かな時間に、
貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)の結成、
薩長連合の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど目を見張る大活躍をしました。
龍馬が、近代日本のために果たした業績には驚くばかりです。
危急存亡の日本に、天から送り込まれた、切り札的「偉大な魂」だったのでしょう。
そのことを証明するような話が残っています。
日露戦争の時の話です。
大国ロシアの国力は、当時の日本の国力の10倍以上。
ロシア皇帝はロシアを大熊にたとえて、
「生意気な東洋の黄色いサルなど一ひねりしてやる!」とまるで相手にもしていなかったのです。
天下分け目の、日本海海戦の直前に、
着物に刀を差し、特徴のある靴を履いた長身の男が、
美子(はるこ)皇后(後の昭憲皇太后)の夢枕に立ち、
「私はいつも、お上(天皇)と日本国を守っております。」
「天の計らいにて、此度の戦は必ず勝ちますのでご安心召されますように。」と語ったのです。
皇后はこの男を全く知らなかったのですが、気になって明治天皇に話したところ
傍にいた、宮内大臣の田中光顕が、ピンと閃いて、「この男ではありませぬか?」と
龍馬の写真を見せたところ、
美子皇后は、間違いなくこの人物だとうなずいたそうです。
明治天皇は、死しても皇国を守らんとする龍馬の魂に深く感動し、思わず落涙されたと伝えられます。
「おぬしは、おぬしが自分で考えている以上に、もっとすばらしい存在だと思うよ。元気をだせ」 この言葉は、坂本龍馬本人から、このブログを読んで頂いた貴方へのメッセージです。


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