今日は、坂本龍馬が愛した女性、妻のお龍を紹介します。
お龍の父、楢崎将作は勤王家で、安政の大獄に連座して獄死。
お龍は母親や弟妹を養うため、龍馬たち勤王派の人達の炊事を手伝ったり
していたようです。
新撰組によって寺田屋が包囲されたとき、お龍は風呂に入っていたが、裸で飛び出して龍馬に危機を知らせて救ったとされます。(寺田屋事件)
その直後に龍馬と結婚し、小松帯刀の誘いで薩摩藩の温泉への旅行(寺田屋事件での龍馬の傷湯治)を楽しんでいます。これが日本最初の新婚旅行であったといわれています。

☆ 科学警察研究所の鑑定によりお龍であると認定された写真です。
龍馬の死後は、土佐の龍馬の実家に身を寄せるも、
龍馬の姉の乙女と相性が悪く、
西郷隆盛や海援隊士を頼り東京に出たようです。
転々としながら横須賀へ流れ、30歳のとき商人西村松兵衛と再婚。
晩年はアルコール依存症で、酔っては「私は龍馬の妻だ」と
クダを巻くのが常だったそうです。明治39年(1906年)、横須賀にて66歳で死去。
龍馬の活動には全く興味が無く、
明治政府から知らされるまで彼の業績を知らずにいたといわれます。
土佐藩士だった佐々木高行は、お龍のことを
「龍馬は美人に弱かった。お龍は大変な美人だが、賢婦と言えるかどうかは疑わしい。
ただ、悪人でないことは確かである」と評していて、これが彼女の真実だったようです。
歴史というものは概して、後世、面白おかしく脚色されるものです。
生身の人間、いろいろあって当然だと思うのです。
しかし龍馬が美人に弱かったというのは本当のようです(^^)
お龍は、龍馬がもし長生きしていれば、表向きのことには一切口を挟まない
賢婦人として生涯を全うしたと思う半面、
龍馬は勝気な、お龍の尻にしかれていたかも?という推察も成り立ちます(^^)
配偶者そして家族あってのあなたです。
楽しいことは分かち合い(愛) 辛い時や悲しい時は、
良き相談相手として、家族手を取り合って生きていきましょう。


☆ 笑よく業を制します。お祓いよりお笑いです。 今日もあなたの良心というナビは正常に作動していますか?
☆ 若い頃、自衛官として、三度、災害派遣に出動。
現在も自衛隊協力企業として
即応予備自衛官を、採用させて頂いていることは、私の生涯の誇りです。
☆ 小社の社員は、東日本大震災災害派遣に出動しました。
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