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2021年05月30日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
ブログを始めて久しいが今回の更新ほどどのように書いたらいいか悩んだことはなかった。

 コロナウイルスは全国世界で命を奪い、生き続ける者たちの生きる術まで奪った。去年、上野の病院でクラスターが起こり、以前チーフを務めていた上野店は大打撃を受け、閉店。

 当時は練馬のチーフをしていていたのだが売り上げは落ち込む一方。それだけではなく、店の中でも問題を抱えていた。どう頑張っても解決できない。コロナと直接関係ない問題にやるせない気持ち、腹立たしくて仕方なかった。そろそろ潮時。

 2012年10月1日からお世話になったこの会社。2月いっぱいで辞め、3月11日、東日本大震災が起きた日と同じ日より新たな職場で仕事を始めた。

「どこのお店で働いているの?」

と多くの方が思ってくださっていることと思う。申し訳ない。まったくリラクゼーションとは寒けない仕事をしている。もうリラクゼーション店のスタッフの一人として働くことはない。

 18年前に左手首を怪我をし入院。リハビリの先生に感銘をうけ、似たような仕事がしたくて整体師を志した。

 ブラック企業として取り上げられた仙台を本社におくリラクゼーション店に就職。この会社も倒産したが自分にとってはこの会社に就職したおかげで独立するきっかけにもなった。

 担当していたホテルにお越しくださったお客様。お客様から戴いたお言葉が独立のきっかけとなった。

「ねえ?あなたはこのままでいるの?私は経営者ではるけど、現役のエステティシャンよ。今ここでやれと言われればすぐやるわよ。あなたも私と一緒じゃないの??同じでしょ??」

 独立するために修行する目的で就職したのだがまさか、こんなに早くこのようなお言葉を戴けるとは思ってもみなかった。その年の秋、玉川温泉へ直談判。翌年の2006年5月1日玉川温泉で施術させていただくことになった。



玉川温泉、当時のブログ



 秋田県の山奥で泊まり込みでの仕事。微力ながら全国からお越しになる皆様の力になれたことはほんと、ありがたかった。

そしてお客様からの遺言がきっかけで本を出版。





玉川温泉の整体師


しかし、玉川温泉を辞めることになり、平泉の自宅で開業。そして2011年3月11日に震災が起き、その影響と母の心臓手術などで生まれ故郷の埼玉県に戻ることに。しかし、平泉と同様に、施術することができた。

 上野店、六本木店、練馬店と責任者をさせていただき、わざわざ福岡、山形、そして平泉で開業していた時のお客様が上野店と練馬店にお越しくださった。

 神奈川、東京、埼玉からも本の読者に限らず、このブログを見てお越しくださったお客様もたくさんおられ、心から感謝。ありがとうございました。

 施術だけではない。開業してた時は講演会の依頼もいただいた。

整体師として働いた18年間。ありがとうございました。でも、整体師を辞めたと決めたわけではありません。いつか復活できる日を願い、日々精進。今、施術していないだけです。呼ばれれば行くかもしれない。

 新型コロナウイルスは命、生きる術をまで奪ったが自分を見つめ直すことにもなった。それが本を書いた責任。自費出版ならともかく、自費出版ではないので全国の図書館に置いてあり、電子書籍で購入できる。自分の姿を全国に示しているのだから無責任なことはできない。

自分ができること

震災直後は震災復興プロジェクトを立ち上げた。この曲がもう一度役に立てないだろうかと震災復興プロジェクトで作った曲を再アップ。

True Happiness



 コロナ禍で自分がすべきこと。一歩踏み出す勇気を与えてく下さった皆様への恩返し。音楽は行動へのきっかけを生む。

 東日本大震災で被災地を支えて下さった全国、世界の皆様へ。我々被災者は全国、世界の皆様に命を救っていただいたからこそ今がある。

 2011年7月、陸前高田第一中学校へボランティア施術

皆様の笑顔に触れ合わなかったらプロジェクトを立ち上げることはなかった。





その笑顔を支えてくださったのが全国、世界の皆様の支援だった。





 亡くなられた皆様の魂を残したい。曲を作って被災者に差し上げる活動を立ち上げた。

 しかし、母の体調がおもわしくなく、手術しなければ2年の命と宣告。生まれ故郷の埼玉に引っ越すことを決めた。

そして引越す前に お披露目ライブを行うことになった。









 埼玉に戻ってからは音楽だけではなく、様々な活動を続けた。

そして2017年夏、震災直後の4月に岩手でのライブを中止にせず行ったバンド、Mr.Bigの功績を岩手県民に伝えるため凱旋ライブ を行った。 







 この報告をベースのビリーシーンに伝えることができ、ご縁が生まれた。しかし、翌年の2月にドラムのパットがパーキンソン病で亡くなった。

 メンバーたちはどれだけ辛かったか。偶然ビリーとパットのみが演奏している動画を見つけ、それを当時の相方に歌ってもらい、自分が弾いて曲に仕上げてパットの一周忌にビリーへ送った。

そして2021年3月、震災から10年を迎え、ビリーに改めてお礼を伝えた。ライブ活動ができないプロのミュージシャン達。

 新たな仕事が始まる前に最後のご奉公がしたい。仕事が始まる3月11日は震災から10年目でもある。岩手でパーソナリティを務める友達に相談。ビリーから岩手県民にメッセージを届けようと持ち掛けたら快く引き受けてくれた。そしてビリーに連絡。ありがたくメッセージを戴くことができた。

それを流すためには準備があるため、放送が決まり次第、連絡したいと思う。

ビリーからのメッセージがラジオで流れたら、震災復興プロジェクトは終了と思っている。

ビリー自身はずっと日本を愛し、日本を支えてくださっている。自分がビリーに連絡しようと思っていた時、こんなイベントがあった。

「MR.BIG」を追った、映画 MR.BIG~3・11から10年 被災地とともに歩んだ外国人バンド

渋谷のロフト9にて監督の川西全さんと音楽評論家、伊藤政則さんのトークイベントがあった。ここにビリーからのメッセージ動画が届けられた。

東日本大震災の被災地と共に歩んだMR.BIGのドキュメンタリー映画、その先行上映が実現。ビリー・シーンのメッセージも寄せられたプレイベントのレポートが到着!

改めてビリーの偉大さを実感。こんな偉大な方とご縁を賜り、幸せである。まさに日本でいう侍魂。何者にも屈しない強い意志を被災地に届けた一人ではないだろうか。

その気持ちに報いるために、頑張っていきたい。





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最終更新日  2021年05月30日 18時10分48秒
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