|
テーマ:バンドマンの語り場(1286)
カテゴリ:カテゴリ未分類
ブログって何なんだろう 一言で言ったら日記なのだから書きたいように書けばいい。それはわかってはいても書けない。 整体の仕事から離れた生活。次女を大学卒業させるために必死なてつおパパ。唯一の現実逃避は音楽ではなくランニング。 そんな日がずっと続いていた。2月にこんなことがあった。 築地に行く予定で立ち寄ったのが銀座。スカイラインが見たいなあと思って日産ショールームへ。 スカイラインはなかった。違う車になんと、ピアノが付いてる! お〜! 弾いている方の演奏を聴いていたら日産のおねーさんが話しかけてきた。 音楽活動しているときに車のバッテリーから電源を取って楽器につなぎ、外で演奏した思い出話をしたら、 弾いてください! と。まともに数年弾いていないと話をしたら、演奏していた方が終わった。すかさずおねーさんが、 空きましたのでお願いします!弾いてください! 体が自然と動いてしまった。 ジョンレノンのイマジンを即興演奏。そしたら、人がたくさん集まってきた。弾きながら やばい、見たら緊張する と思ってまわりは見ない (⌒-⌒; ) 多くの拍手をいただき、ステージいや、車から降りた。 久しぶりに緊張した。弾いた後、思わず言ってしまったのが片言の英語で Welcome to Japan. Thank you Touhoku support. と、伝わっているかわからない適当英語でしゃべってしまった。 そして築地へ。知人に言われたのが、 もう一度、本を書きなさい(年上です)。今は無料で本が書ける時代よ。本を書くための題材はそろっているじゃない。 やるしかないでしょ? 以前、栄東高校の同窓懇談会に出席したとき、先生に、 次の本はいつでるんだ?楽しみにしてるぞ。 と有難い言葉を戴き、涙がこぼれた。また同じ言葉を戴いた。ありがたくてありがたくて感謝しかない。 そして春になり、次女の大学のお金を払った。あともうちょっとで卒業だ。 長男、長女も元気に仕事をしている。 そんな長女と次女からプレゼント。 長女はドーナツ、 次女はケーキ。 ドーナツは仕事に持っていき、休憩中に食べた。ケーキは帰宅後に食べた。 疲れた体に最高のプレゼント。元気が出た。まだ嬉しいことが続く。 父の日。娘2人と居酒屋へ。 酔ってしまった。。。 居酒屋の後はサーティワンでご馳走してくれた。 ラムレーズン、ミントチョコは最高!! これで行動しなきゃ子供たちに申し訳ない。音楽活動も出筆も復活させなくてはならない。もちろん、整体もだ。 今まで自分の活動はいつもこの楽天ブログとともにある。ブログ更新だ! 今までのてつおを改めて紹介しようと思う。 さっき、イマジンを弾いたと書いた。音楽活動においてすべてはここから始まった。 Freedom Kitchenを始動する前の時の一発録り。オリジナル曲のイメージを損ねずこんな素晴らしい曲に仕上がった。でも、スペル間違えたり動画編集は全くダメだった。 このVoとずっとと活動していきたいとは思ってもそんな簡単にはいかない。 というのは、整体の仕事を始めたばかりだった。音楽ができる余裕がなかった。 2006年、玉川温泉で働くことができ、お客様を通じて知り合ったのがFreedom Kitchen初代のVocal。 秋田県のイベントで演奏したりしたが、Voは青年海外協力隊となってアフリカへ。音楽活動ができなくなった。 この楽天ブログを始めたのも2006年あたりだったと思う。 仕事に集中し、多くのお客様を施術させていただいた。 2008年3月、雪の降るこの時期に東京からお越しくださったお客様。 お客様の奥様が本を書いてほしいと伝えてと言って亡くなられた。 亡くなられたお客様の遺言、命を懸けられたこの言葉、なんとしてでもやり遂げようと心に決めた。 2009年11月30日、玉川温泉の整体師発売。 しかし、玉川温泉で働くことができなくなり、自宅があった平泉で開業。 岩手の放送局や新聞社のお力を借りして出筆活動も続けられた。 講演会の仕事を戴くこともできたが 2011年3月11日 東日本大震災 陸前高田第一中学校へボランティア施術に行ったことがきっかけで震災復興プロジェクトを立ち上げた。 亡くなられた皆様の魂を音楽の力で残したい。 曲をCDにして被災者に差し上げる活動をはじめた。 自分も被災者なのに変な話でもある。でも、役に立ちたかった。 この曲のVoを務めたのがFreedom Kitchen2代目Voでこの楽天ブログで知り合った。 でも、このVoとも長続きしない。しかし、活動は岩手県の中で知れ渡る。 この活動に感銘してくださった岩手日報社の方が記事にして新聞に掲載された。 問題を抱えながらも活動は進んでいく。そこに追い打ちのように問題が起きる。 母の心臓手術と次女の検査入院が必要だった。二人を盛岡か仙台に入院させれる環境ではなかった。 埼玉に引っ越すことが決まった後、新聞を見てくださった岩手県立図書館から 震災資料としてCDを送ってほしい と電話があった。この電話がきっかけで被災者に向けての活動から支援してくださった皆様にお礼を伝える活動に変わった。 今までの活動は遺族の方から親切の押し売りと思われても仕方がないが、この岩手県立図書館からの電話のおかげでこの悩みが解決。 全国の図書館にCDを送り、利用される方々とスタッフの皆様に被災地支援のお礼を伝えることができた。 活動は日本だけではなく世界に住む皆様へと大きくなっていった。 詳細は以前のブログを見ていただけたら有難い。 新たなVoが入ってはすぐやめていく。まるでやるべきことをやり、去っていった感じ。 3代目、4代目とVoが変わったが素晴らしい活動をしてくれた。どちらも岩手凱旋ライブで歌ってくれたのだ。 4代目は岩手でMr.Bigの曲を歌ってもらい、Mr.Bigの日本への貢献を岩手の音楽仲間に伝えることができた。 そしてドラマー、パットが亡くなった一年後にビリーへ送った動画を一緒に作ってくれた最高の相方だった。 そしてイベント昭和歌謡ナイトを最後にやめた。 コロナ禍の中でビリーのご家族や仲間の方々の安否は大丈夫かなと思って連絡したら大丈夫と返信してくださった。 ダメもとで岩手県民に向けてメッセージが欲しいと伝えたらメッセージを戴けた。 そのメッセージを岩手でFMパーソナリティーを務める親友に託したがそれが流されたかどうかは不明だ。 ファンひとりのメッセージに誠意をもって対応したビリーシーン。心から感謝してもまだ感謝しきれない。 この戴いたメッセージをもって、震災復興プロジェクトは終わった。 次へのステップ、それが整体、ライター、ミュージシャンの活動を再開すること。 活動を再開することこそが自費出版ではなく本を出せたことへの責任を果たすことではないだろうか。 このブログ同様に応援してくださる方々がいらっしゃる。そのお気持ちに応えるために がんばります。応援してください。 オリジナル曲 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年06月22日 16時34分08秒
コメント(0) | コメントを書く |