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ここに、“ややこしくて面白い”文書がありますので、その一部を紹介します。 「永弐〆九百八拾九文九分 普門冓二会目懸金割 此金弐両三分三朱 永五拾弐文四分 此銭五百廿三文 所へ 弐両壱分ト 八百七拾文 十一月十四日請取 引〆 弐歩弐朱ト 弐百七拾三文 不足」(年不明、幕末期か、 浜町自治会所蔵文書 この中に、「永楽銭(文)」と「金貨(両)」と「銭(文)」の3種類の表記が出揃います。 永楽銭は、寛永通宝が多量に鋳造された寛永十三年(1636)に使用が禁止されましたが、計算単位としてその後も使われました。金貨一両は四分、一分が四朱と、四進法のため、細かい計算が面倒なので、金一両=永一貫文(1000文)として、永貫文で表示しました。 「普門講の第二会目の懸金」は、「永弐貫九百八拾九文九分」(永2989.9文)相当です。これを「金弐両三分三朱」(永2937.5文)と端数「永五拾弐文四分」(永52.4文)に分割します。 金貨は支払できますが、「永」は使えないので、「永五拾弐文四分」(永52.4文)相当額を「銭」で支払うことになります。これが「銭五百廿三文」(銭523文)となっています。永52.4文=銭523文なら、ほぼ永一文=銭十文(金一両=永一貫文≒銭十貫文)のレートです。(江戸時代の初めには一両=四貫文でしたが、最後のころになると、一両が十貫文にまでなっています。) 十一月十四日に初会分懸金として受取ったのは、「弐両壱分ト八百七拾文」でした。永貫文に換算すると、「弐両壱分」=永2250文、銭「八百七拾文」=永87文、合計永2337文です。ところが、初会分も第二会目懸金と同額を懸けるように変更になりましたので、不足することになりました。 その不足額の計算は永貫文ですると便利です。 請求額 永2989.9文 納付額 - 永2337.0文 ━━━━━━━━━━ 不足額 永 652.9文 不足額、永652.9文は、金貨「弐歩弐朱」(永625文)と、端数は永27.9文、比例計算をすると銭279文(278.4文)になりますが、請求は「弐百七拾三文」になっていて、六文の違いがでました。金・銭の交換比率の誤差から生じたものと思いますが、ほぼ一致です。 「両」の4分の1は「分(ぶ)」ですが、ここでは「歩(ぶ)」も使っています。 このややこしい計算は一種の“金種計算”ですが、永貫文を使うと計算が楽になります。永貫文が計算単位として生きていた訳がよくわかりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006/12/22 11:26:17 PM
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