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「当村和七と申もの今六拾歳斗りなりしが、十八歳の時八月上旬夕七ツ時此山へ参居候処、よいよいと声を懸るもの有、おいと答て向を見れハ十二三歳斗の小童天窓に毛あり、貌の色赤黒くぼろを着たることく見へて人にあらす、追々近寄故おそろしく其所を立去り罷戻候由」(文政二年(1819)「仁方村国郡志御用書上帳」) 当村(現、呉市仁方町)の和七という者、現在は60歳ばかりであるが、18歳の時、八月上旬夕七ツ時(午後4時頃)この山(野路山)へいっていたら、「よいよい」と声をかける者がある。「おい」と答えて向を見れば、12、3歳ばかりの子供で、「天窓」に毛があり、顔色赤黒く、ボロを着たように見えるが、人間ではないモノが、だんだんと近寄ってくるので恐ろしくなり、そこを立去って帰ってきたとのことである。 「花曇り惟然に似たる天窓つき 籬」(文政八年(1825)「鶴亭日記」) 【惟然】いぜん。(『世界大百科事典』) ?‐1711(正徳1)江戸前期の俳人。姓は広瀬、通称は源之丞。初号は素牛。別号に鳥落人。美濃国関の人。1688年(元禄1)芭蕉に入門。芭蕉に近侍することが多かったが、師の没後、九州、奥羽、北陸等を行脚、蕉風を広める上に功績があった。擬声語を用いた口語調の軽妙な句を特徴とし、風羅念仏なるものを創始した。編著は《藤の実》(1694)、《二葉集(じようしゆう)》(1702)等。〈水鳥やむかふの岸へつういつい〉(《惟然坊句集》)。桜井 武次郎 【天窓】てんそう。(『広辞苑』) (1)てんまど。(2)あたま。 この句の作者は柴籬(野坂三益)。「天窓」は「あたま」と読みます。花曇りの日の花見、遠目で惟然らしい頭格好の人を見かけたが……、という意味だろうと思います。 「三上郡小童村祇園社の上なる山は小黒く見え渡るもろ山々の天窓は算ふるにいとまなく」(文政二年(1819)「三田村国郡志御用書上帳」) 三上郡小童村祇園社の上で、小黒く見え渡る諸々の山の「天窓」は限りなく、 ここでは山頂にまで「天窓」を使っています。
最終更新日
2007/07/24 12:06:02 AM
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