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テレビ・新聞が報じないお役に立つ話

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2020.12.26
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下記の記事はヤフーニュースからの借用(コピー)です

それは歴代の天皇にとって初めてのこと。熟考を重ねられた上でのご決断だったことだろう。12月10日、天皇陛下が新年にあたり、国民に向けたビデオメッセージを出されると発表された。例年であれば、皇居で新年一般参賀が行われ、陛下が宮殿・長和殿のベランダから直接、集まった国民に向けてお言葉を述べられるはずだった。 【写真】輝くクリーム色、一面に金糸の刺繍が施されたドレス姿の雅子さま。一般参賀時
「2021年は、新型コロナの影響で一般参賀は中止になりました。それに代わるものとして選ばれたのがビデオメッセージ。もちろん、陛下のご意向もあるでしょうから、国民とのつながりを何より大事にされる陛下らしいご決断だと感じました」(宮内庁関係者)  ビデオによって天皇のメッセージが出されたのは、これまでに2回しかない。上皇陛下が2011年の東日本大震災の直後に出されたものと、2016年に退位のお気持ちを表明されたものだ。いずれも上皇陛下がおひとりで、カメラのむこうの国民へと語りかけられた。最後のビデオメッセージから約4年半。御代がわり後にビデオメッセージが出るのは、今回が初めてとなる。 「映像が公開されるのは1月1日か2日の見通しです。注目されるのは“雅子さまも一緒に映られるのか”ということ。雅子さまもご一緒に映られ、陛下と並んでメッセージを出されれば、それは“皇室史上初”の試み。宮内庁は、雅子さまは同席されないとは明言しておらず、充分ありえます」(別の宮内庁関係者)
「平成流」を壊しかねない
 多くの期待が寄せられる「雅子さまのビデオメッセージご同席」。だが、皇室史上初の試みまであと一歩となったいま、そこに立ちはだかる「壁」があるという。美智子さまが築いてこられた、「平成流」という壁だ。 「新型コロナで両陛下がお出ましになる機会が減り、発信の場が減っていることを深く憂慮されているのはほかでもない美智子さまです。ですから、両陛下が新しい発信方法を試みることにも、理解を示されているはずです。  ですが、宮内庁内部には前例踏襲にこだわり、上皇ご夫妻の築かれたものを壊しかねないと、これまでのやり方を優先する雰囲気が少なからずあります。そのため、宮内庁はオンライン利用に消極的といわれてきた。加えて、新しいことを行い、批判が生まれることを懸念している面もあるんです」(皇室ジャーナリスト)  上皇陛下がビデオでメッセージを出された2回のどちらにも美智子さまが同席されることはなかった。震災のたびに被災地に足繁く通われ、祈りの旅を続けてこられた上皇陛下と美智子さま。そうした強いお気持ちをお持ちであれば、ビデオメッセージで美智子さまが同席され、被災地へのお気持ちを述べられてもおかしくなかったはずだ。だが、そうされなかったのが、一歩下がって支える「平成流」なのかもしれない。
美智子さまを深く敬慕される雅子さまにとって、そのお姿は強く印象に残っているだろう。御代がわり直後に急に新しいことを始めては、美智子さまが築かれた平成流を壊すことにもなりかねない──そんな遠慮もおありだろう。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんはいう。 「いまはまだ、令和皇室の特徴は見えません。即位関連の行事が終わった直後にコロナ禍に見舞われ、終息の見通しが立たない中で、両陛下はさまざまな形での活動を模索されている最中だと思います。  コロナ終息後は、現地へ足を運ぶことを基本としながら、オンラインも活用されるのではないでしょうか。被災地訪問では代表的なところに足を運び、ほかの避難所とはオンラインでつなぐということも考えられます。今後も試行錯誤を続けていかれるでしょう」(山下さん)  12月9日、雅子さまは57才の誕生日を迎えられた。それに伴い発表された文書では、次のように綴られた。 《これからも、陛下のお務めの重さを常に心にとどめ、陛下をお傍でお支えできますよう、また、皇后としての務めを果たすべく、健康の一層の快復に向けて努力を続けていきたいと思います》  後ろではなく、隣に並んで陛下を支える──そんなお気持ちが滲んだお言葉だった。 ※女性セブン2021年1月7・14日号

https://news.yahoo.co.jp/articles/0b7d5c3cb820413a05f5cb96b6e7411e44337548?page=1


雅子さま、「馬アレルギー告白」は苦渋の決断と葛藤の末
「アレルギーのために馬車に乗れない」「お召し列車で立ってお手振りをされなかった」。雅子さま(55才)にとって“逆風”となりかねない報道が相次いでいる。しかし、その裏にある「皇后としての葛藤」を、私たちはまだ知らない──。
 皇居・二重橋前の朝の静謐な空気の中を、銃を携えた隊列が進む。自衛隊特別儀仗隊約100人の一糸乱れぬ行進に、皇居ランナーたちは立ち止まり、息をのんだ。10月6日朝7時、天皇陛下の即位に伴う「祝賀御列の儀(パレード)」のリハーサルが始まった。
「整列の訓練後、天皇皇后両陛下のオープンカーを先導する警察車両の動きの確認が行われました。当日と同じ皇居から赤坂御所までの5km近いコースを30分以上かけ、車両50台以上が並んで進む姿は圧巻です。目の前を通り過ぎるまで5分以上かかりました」(皇室記者)
 パレード当日は19万人を超える人出が見込まれるという。その日を間近に控え、着々と準備が進む中、意外な情報が飛び出した。
 10月2日、宮内庁は11月22、23日に両陛下が即位の奉告のため伊勢神宮を参拝(親謁の儀)される際、雅子さまが儀装馬車ではなく御料車(自動車)を使われると発表した。平成の時代、今の上皇上皇后両陛下は馬車を利用されたが、今回は天皇陛下だけが馬車を使われるという。
 宮内庁はその理由を、雅子さまに「重度の馬アレルギーがあるため」と説明した。
◆御料牧場で馬に触られたことも
 日本アレルギー学会専門医で、秋葉原駅クリニックの佐々木欧医師は次のように解説する。
「そもそも動物アレルギーは、動物の唾液や汗、糞やフケ、これらの付着した毛などが原因で起こります。くしゃみや鼻水といった花粉症のような症状から、咳や息苦しさ、皮膚のかゆみなど症状はさまざまです。
 犬や猫など身近な動物が原因になることが多く、馬アレルギーは滅多にない珍しいものです。しかし発症すれば、稀にですがアナフィラキシーショックを起こし、命を落とす場合もあります」
 雅子さまが馬アレルギーだった――。その報道に、首をかしげた国民が少なからずいたようだ。
「雅子さまの動物好きはよく知られています。ご一家は犬や猫を飼われ、雅子さまが犬の散歩をされるお姿はよく目にします。また、動物との触れ合いによってストレスを軽減し、健康の質を向上させる『アニマルセラピー』に興味を持たれ、ご自身の適応障害への対応としてホースセラピーを受けられたと報じられたこともありました」(皇室ジャーナリスト)
 過去には、御料牧場(栃木県)でオマーン国王から贈られた子馬に触れられる様子も報じられているので、ネット上には“本当にアレルギーなのか”という声も散見された。
「両陛下は9月28日、『国民体育大会』へ出席されるため茨城県へ向かう途中、御代がわり後初の『お召し列車』に乗られました。その際、平成の時代とは異なり、両陛下が椅子に腰を下ろした状態で、沿線の見送りの人へお手振りをされていました。平成の頃の印象が強いためか、雅子さまのお姿を残念がる声があったと報じられました。
 伊勢神宮での参拝で、皇后陛下がおひとりで儀装馬車に乗られるのは、即位に際しての『親謁の儀』だけ。もちろん美智子さまも30年前に乗られました。貴重な機会だけに、今回の発表もまた、惜しむ声が上がっています」(別の皇室記者)
 にわかに“逆風”が吹き始めたように思えるが、雅子さまにとっては苦渋の決断だったに違いない。過去、たしかに雅子さまは、たびたび馬と触れ合う機会を持たれてきたが、その都度、大変なご苦労があったという。
「雅子さまは、ご結婚前から馬アレルギーをお持ちだったそうです。それでも動物好きの雅子さまは馬に対しても愛情をお持ちで、特に幼少期の愛子さまには馬と触れ合う時間を持たせたかったのでしょう。馬に近づく前にはアレルギー薬をのまれ、マスクを二重にしてつけられるなど、万全の対策を取られていたそうです。それも、国民に心配をかけないように行われてきました」(宮内庁関係者)
 実際に、美智子さまは皇后時代、公務で頻繁に馬車に乗られていた。しかし、雅子さまが馬車に乗られたのは、確認できる範囲では一度も見当たらない。馬アレルギーを公にされることはなかったが、常に周囲に相談され、体調管理を徹底されてきたのだろう。
「ご家族で那須どうぶつ王国(栃木県)へ出かけられた際も、馬に近づかれることはあっても、乗馬はされませんでした。また、にんじんのエサやり体験でも、馬と距離を保たれ、愛子さまやお友達に自然と場所を譲られていた。アレルギーを周囲に悟られ、心配をかけることがないよう、お考えになって動かれていたと感じました」(前出・皇室ジャーナリスト)
 伊勢神宮参拝で馬車が使われなければ、異例の事態に大きな騒ぎが予想される。その前に公表したのだろう。
「雅子さまは公務や儀式の際はいつも入念な下調べをされ、結果として欠席となる場合でも直前まで準備をされます。それだけ公務に対する責任感は並々ならぬものがあります。
 伊勢神宮の親謁の儀にあたっても、行かないという選択はない。しかし、長い距離を馬車に乗り、マスク姿で心配もかけたくない。ならば、アレルギーを告白して波紋が広がろうとも、無理なくご自身で務められる手段として、自動車を選ばれたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)
◆「時代に合わせて」美智子さまが変革
 伝統にとらわれることなく、自らに適した最善策を選ばれる。そうした柔軟な姿勢は、美智子さまから受け継いだスタイルだ。宮中祭祀の伝統の1つを、美智子さまが変革されたことがあったという。
 皇族方は、国家と国民の安寧を祈る「宮中祭祀」に日々取り組まれている。その祭祀の前には体を清める「潔斎」が行われる。特に女性皇族が臨むに当たっては、一切を身につけず、全身の清めなどすべてを女官に委ねるものとされてきた。それが、闘病中の雅子さまにとって、祭祀に参加される「最大のハードル」ともいわれてきた。
 しかし、美智子さまの発案もあり、「女官による潔斎」は廃止されたという。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんが説明する。
「上皇后陛下のご結婚当時は、たしかに御湯殿での潔斎に女官が介添えしていました。しかし、昭和後期、上皇后陛下は浩宮殿下に嫁がれる将来の皇太子妃、皇后がこれに耐えられるだろうかと不安を抱かれ、宮中祭祀に奉仕する内掌典の責任者に相談されました。内掌典は“慎みをもって身を清めることが重要であって、介添えは重要ではない”と答えました。昔は『おすべらかし』は地毛のため髪が長く、その髪を持つ介添え女官が必要だったそうですが、現在は地毛ではないためその必要がなくなっていたのです。以降、介添えはなくなりましたので、皇后陛下はご結婚当時からおひとりで潔斎されています。上皇后陛下が“将来の妃”のために、改革されたといっていいでしょう」
 美智子さまは2009年、ご結婚満50年に際して次のように語られた。
《伝統の問題は引き継ぐとともに、次世代にゆだねていくものでしょう。私どもの時代の次、またその次の人たちが、それぞれの立場から皇室の伝統にとどまらず、伝統と社会との問題に対し、思いを深めていってくれるよう願っています》
 緩急剛柔なスタイルは、平成から令和に、しっかりと受け継がれている。

https://www.news-postseven.com/archives/20191011_1467470.html?DETAIL





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最終更新日  2020.12.26 11:48:00
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