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テレビ・新聞が報じないお役に立つ話

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2021.09.09
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下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です。

以前この連載で「牧師さんの娘」の話を紹介したことがあります。「周りの子と違う」境遇に居心地の悪さを抱いてきた彼女は、似た環境ながらも周囲とはなじんだ「お寺や神社の子」をうらやんでいたものですが、今度はその「お寺の子」から連絡をもらいました。
姉妹の長女として、婿をとり「寺を継ぐ」ことを期待されて育った瑞樹さん(仮名、30代)。いまは地元を離れているという彼女も、「教会の子」とはまた違ったしんどさを感じてきたようです。
落ち着いた口調で、的確な言葉を選んで話す様子に、なんとなく「お寺の人っぽさ」を感じた筆者も、ある種のステレオタイプにとらわれているのかもしれません。これまで見て、感じてきたことを、教えてもらいました(取材は2021年7月)。
父の実態を知られれば「檀家さんに見放される」
両親、そして同居する祖父母は、いずれの組み合わせも不仲でした。「四つ巴(よつどもえ)の状態」だったというので、かなり穏やかではありません。

母親はおっとりとした性格で、父親にあまり逆らわないタイプでしたが、たまに「ちょっと違うんじゃない?」と意見などすると、父親はたちまち機嫌を損ねてしまいます。「家の空気がピリピリ」程度でおさまればいいのですが、「ドカーン」と爆発することもたびたび。母親に手を上げることもありました。
「機嫌がよければふつうにしゃべれるんですけれど、急に沸点が来ると、もう手がつけられなくなっちゃうんです。どこに怒らせるポイントがあるかわからないのも、面倒でした。まったく理解がないかというとそうでもなくて、『え、そこはいいんだ?』みたいなこともあって、基準が全然わからない。母からは(父のことを)『身体の大きな弟だと思いなさい』と言われるんですけれど、無理じゃないですか」
難しそうです。なぜ子どもが自分をだましてまで、親を受け入れねばならないのでしょうか。
何より耐えがたかったのは、家ではこれほど横暴な父親が、外では「人の道を説く僧侶」であることでした。酒を飲んでは「俺の稼いだ金で飯を食うな」と暴言を吐き、母親が用意してくれた食事を捨てたり、「女のくせに」と母親をこき下ろしたりしているその人が、「すべての人間は平等。お肉や野菜、食べ物はすべて何かの命をいただいている」などと教えを説き、一時は地元の保護司まで引き受けていたのです。
「お坊さんって、すごく『ちゃんとした人』というイメージがあるけれど、父は真逆なんですよね。そんな人が住職をやっているようなお寺だってわかったら、檀家さんに見放されて、私たち生活できなくなるのでは、という恐怖がありました。そもそも住職かどうか以前に、人として尊敬できないですし。それが、私にとってはすごくしんどくて。
もし『あのときはごめん』とか、子どもの前で母に謝って仲直りするような家だったら、また感じ方が違ったかもしれないんですけれど、嵐が過ぎ去ったらそれで終わりなんですよね。なんのけじめもなく、なんとなくまた会話が始まって、もとに戻る。子どもには『悪いことをしたら謝りなさい』と言っておいて、それはどうなの?というのはすごく思っていました」
「当たり前」のこととして求められる前提
いつか瑞樹さんが「お寺を継ぐこと」は、家族のなかで、言わずもがなの前提でした。
「檀家さんや祖父母からは『継ぐんだよね?』みたいな言い方をされる。親からは『継げ』とは言われないんですが、『宗派の大学に行ったらいいよね?』みたいな謎の誘導を受けて、私にはそれしか認められてないんだなって感じていました。『自分で考えなさい』と言われるんですけれど、じゃあ私が全然違う大学に行くって言ったら、入れてくれるの?みたいな。
ただでさえ家がしっちゃかめっちゃかなのに、私がそんなことを言ったら、うちはどうなっちゃうんだろうと思うし、母が周りからやぁやぁ言われて苦労するのも目に見えている。自分がやりたいこと以前に、いまの家庭環境を少しでも平和に維持するためには、その選択肢しかないんじゃないのかな、というのが最終的な自分の判断だったんです。いま考えると、もっと私自由に生きてよかったと思うんですけれど」
「こうしろ」とはっきり言われるよりも、「当たり前」のこととして空気で求められる要求のほうが、はねのけるのが難しそうな気もします。
悩みを共有できる相手が周囲にいなかったのも、つらいことでした。高校の頃に一度、友達に打ち明けようとしたら、話のさわりの部分で「お寺のことはちょっとわからないし、なんとも言えないね」と言われてしまったこともあったそう。
「だから大学に行って、同じような境遇の友達ができたとき、『自分だけじゃなかったんだ』と思って、めちゃめちゃうれしくて。初めて、自分の寺の悩みを正直にしゃべれる関係性ができたので。そういう意味では宗門の大学に行ってよかったな、と思うんですけれど、でもそういうレールに乗っちゃったことも悔しくて」
仲間は、ごく少数でした。そもそも、その宗派の大学に来ている男女の割合は、約9:1だったそう。それでも、わずかな女子のなかには瑞樹さんと同様、跡取りの立場の子も何人かいたので、仲良くなって、いろんな話を共有できたということです。
「次男だから?」人を好きになるのが難しくなった
大学時代は、恋愛や結婚についても、ずいぶん悩むことになりました。
「周りの子のなかにも、大学にくるとき親から『長男はダメ。次男、三男探しておいで』と言われてきた人は何人かいて。私も言われてますけれどね。要は『お寺を継いでくれる人を、大学で見つけてらっしゃい』ってことです」
つまり、将来お坊さんになって、お寺を継いでくれる相手としか結婚できないわけです。そんな人は、そうそういないでしょう。宗派の大学は男性が多かったものの、うち7、8割は、自分の家の寺を継ぐ長男たちです。寺の次男や三男、あるいは一般の男性も少しはいたものの、そのなかだけから選ぶというのは、なかなか無理がありました。
「長男と恋愛したときって、先がわかるんですよね。どっちのお寺に行くの?となったら、うちは確実に揉めるんです。妹は継がないし、檀家さんも私が継ぐと思っている。そうすると、私ひとり悪者になるの?みたいな。最終的に母が困ることを考えると、長男と恋愛してもいいこと1個もないな、と思うようになって。
じゃあ次男、三男だから好きになるかというとそうじゃないし。そのうち、その人自身が好きなのか、次男、三男という境遇が好きなのか、わからなくなってきて。人を好きになること自体、できなくなってきたんです。いいなって思う人がいても、『次男だから好きなのか?』と思ってしまって」
なんだかドラマのような話ですが、瑞樹さん本人からしたら、とても苦しいことです。周囲の「跡取り」の友人たちも、同様の悩みを抱えていたといいます。
「友達とは、恋愛の話のほかにも、『母が苦労しているよね』『お父さん最悪だよね』という話でも、よく盛り上がっていました。『お寺の女の人って“平等”からかけ離れて“奴隷”みたいだよね』とか『我慢しかしてないよね』とか」
男友達でも、同様の悩みを抱えている人はいたといいます。自分の母親が寺で苦労してきたのを見ているので、やはり「自分の好きな人にそんな思いをさせるのは躊躇する」と悩んでいたそう。
そもそも、お寺の女の人というのは、どんな仕事をしているのでしょうか。筆者もあまり訪れる場所ではないので、たいして想像がつきません。「法事で人が集まったときとか、大勢にお茶を出すの大変だろうな」といった程度しか、すぐに思いつかないのですが、あとはどんなことがあるのでしょう?
「そういうのもあるし、田舎のお寺は敷地が広いので、ひたすらずっと草むしりとか。日々の掃除や洗濯といった家事のほかに、広いお庭を維持したり、お御堂の掃除をしたり。電話もたくさんかかってくるし、来客も多い。まず人の顔を覚えるのも大変です」
頼まれてもいませんが、筆者など想像だけでへばりそうです。しかも、お寺に生まれた男性は「跡取り」として特別に育てられるため、瑞樹さんのお父さんのように男尊女卑で、DVやモラハラをする人も少なくないといいます。瑞樹さんは恋愛に、すなわち結婚相手選びに、とても慎重にならざるをえませんでした。
瑞樹さんの結婚までの経緯
さて、その後。いま瑞樹さんは、お寺に関係する仕事をしながら、夫と子どもと暮らしているといいます。結婚まで、どんな経緯があったのでしょうか。
「10年くらい前、いまの職場で出会った人と、たまたま運よく結婚できたんです。相手は一般家庭の出身で、『お寺に入ってもいいよ』と言ってくれる人だったので。私の知り合いに、『好きな人がいたけれど結婚できなくてずっと独身』という跡取りの女性は何人かいるので、私は本当に『ラッキー』という言葉以外にない感じです」
それは、何よりのことでした。では、やはりいつか、実家のお寺を継ぐのでしょうか?
「うーん、本当はもう交代してもいいのかもしれないんですけれど。わたし自身が、父と一緒にお寺に住んでやっていける自信がないんです。同居すれば諍いが起きる気がして、そういう場に夫を置くのも気が引けるし、ましてや、まだ幼い子どもにそういうものも見せたくない。私自身、親や祖父母の『四つ巴』を見てきてすごく嫌だったので。離れて暮らすことで、今もほどよい関係が保てていると思います」
早く継がねば、という気持ちもあるようですが、聞くと先代の住職が亡くなってから交代するお寺もあるそうなので、瑞樹さんもそれでよいのでは。お寺を継ぐだけで、十二分ではないのかなと感じます。
「継ぐハラ」はもうやめて
瑞樹さんは「家を継ぐか継がないかは、本人の自由にさせてやってほしい」と話します。
「世襲制って本当に人の自由を奪うところがあって。お医者さんや弁護士も『親の跡をとって』みたいなのがありますが、とくにお寺や歌舞伎の世界など『伝統』や『歴史』をいわれるところの世襲って、本当に逃げ場がない。『自分が逃げたら途絶える』みたいなイメージがあって、継がないことへの罪悪感が半端ないんですよね。それを誰にもわかってもらえない、というしんどさもあって。
歌舞伎の跡取りの子なども、しんどいだろうなって思います。小さい頃から舞台に立ち、ほかの生き方をしたいと思ったときには、後戻りできないところまでいっていると思うので。どうかグレずにそのまま、やりたいことが歌舞伎でありますように、と願います。やりたいことがあったらどんどんやってほしい。でも、その選択を応援してくれない社会があるから、気の毒だなと……」
気をつけねばと思います。われわれ一般人は、本人の苦しみなど想像もせず「跡取り」ともてはやし、その人たちを追い詰めてしまっているのでしょう。
「お寺の業界では周知の事実なんですが、うつ病になる人がとても多いんです。うつが高じると、自死までいってしまうこともある。そもそもお寺のなかが家族として機能不全で、しかも、世襲だから逃げられないという絶望感がありますよね。お寺じゃなければ、また、長男長女でなければ『こんな家(寺)、いつか出てやる!!』という思いを支えに頑張ることもできますが、跡取りはそうはなりません。
やっぱり、世襲制ってそれだけしんどいんだろうなって思います。だからどうか、家を継ぐか継がないかは本人の自由にさせてほしい。社会も温かく見守ってくださいって、正直思います」
気軽に「継ぐんでしょ?」とか言っちゃダメなんですね。そう筆者が応じると、「『継ぐんでしょうハラスメント』ですね(苦笑)」と、瑞樹さん。新語「継ぐハラ」が生まれたところで、取材を終えたのでした。





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最終更新日  2021.09.09 15:30:06
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