ようちゃん2号の大部屋暮らし

2006/01/09(月)02:12

「あんたじゃ話しにならん、社長を出せ、社長をー」発言の考察。

他事暴論(たびたびタジタジ、)(274)

「卑怯な物言い」っていうことが最近の日記のテーマになっている感じがする。 「二重拘束」っていうやつ。 これが、支配・被支配を強める言葉ではないか?と疑っている。 書いてみないとわからないのだけれど、「あんたじゃ話しにならん、社長を出せ、社長をー」って言うのも、たぶんこの二重拘束を持つ言葉ではないかな? そんで、この日記書いたら、ちょっとこの二重拘束っていうことから離れたいな。 自分が「正しい人間」になっている感じがして、厭なんだよ。 正しい人間って、自分の中では否定的なニュアンスがあるのね。 人の意見を受け入れない人という感じ…。 大会社の起した事件、事故があると、その会社の記者会見があるんだね。 そしてその会社である程度、責任を持たされている人がテレビの前で謝罪をする。 んで、「あんたじゃ話しにならん、社長を出せ、社長をー」ってなる。 なんせか「足らん!」ってことだな。 「足らん」と言われて、 「足りてます」って答えると、「あんた、起した責任の重さを自覚しているのか!」っていうことになるね。 「足りてません」って言うと、「んじゃあ、なんであんたがここにいるの?」ってなるな。 答えなかったら、答えなかったで、「無能を出してこないで、答える能力のある人をだせ!」ってなるな。 …負けない。…どう考えても不敗だな。 そして、これ、謝罪をしている(社長ではない)責任者の立場からだと、その場を動けないな。 「足りてます」ってその会社の社長は言ってもらいたいかもね。 「なんとかのこの場をしのぎ切ってくれ」っていう感じで…。 そういうことは、この責任者がバカじゃない限りわかるよな。 んで、責任者がバカってことはないな。一応、社員数が多い会社での責任者だもの。 「ここは何とか踏みとどまって…。でなきゃ会社にいられない…」ってなるな。 「足らん」で「確かに足りませんよね、社長と替わります」って答えると、「私は無能です。」ってことの表明にしかならんし、そうなると無能を出してきた会社の姿勢も疑われそう。 んで会社からは「明日から会社に来なくていいよ」って言われるな。 って、こういうこと検証しないでもわかることだな。 結局、人を平伏させて、「どうすればいいですか、なんでもいたします。」って言っても、「そんなこともわからないのか?」とか「あれせい、これせい。」って、むちゃくちゃな要求をするんじゃないかな? うーん、ここらへんが、支配・被支配っていうことになりそう。 大会社の偉い人を平伏させたら溜飲が下がる? よっぽど、支配されているということに自覚的で、その逆転がうれしい感じ。 逆バッシングがあったから、こういう質問はしないでおこうという理解をマスコミの方はしたかもしれない。 会社としたら、記者会見を開くようなことは、社長が対応しなくちゃならないって学びかな? でも、「こっちは何日も寝てないんだ」っていうことになりそう。 うーん、こんどはテレビを見ている側から見てみる。 この記者の言うことを「そうだ、こんなんじゃ話しにならん。この記者、いいこと言っとる」 っていう反応が初期には多かったんじゃないかな? 単純につるし上げたい感じ…。 これ、なんか義憤にもなっていない。「うひー、ざまぁみろ」って感じ。 こういうふうに思う人は、やっぱり人が虐げられているのを見て溜飲を下げたい人だな。 だとしたら、よっぽど虐げられている人のような気がする。 人が壊れるまで叩きたい感じ。 「よっしゃー、こんどは記者への逆バッシングじゃ~」ってな感じ…。 うーん、この記者自身、新聞社で虐げられているのかな? (人の会社を指差す前に自分ところの会社、なんとかしてね。) それとも奥さんに…。 だったら、ちょっと同情しちゃうな。 「たいへんだったね。わかる、うん、わかるよ。」 …わかられたくないかも…。 そうだ、なんだかんだ言って、卑怯な物言いが横行しがちだということが言いたいのね。 これ、全体が陥っていることのような気がする。 だからふだん気がつかないで、なんかあるたんびに思い出したように起きる感じ…。 そもそも、はじめっから二重拘束があるっていうことが本当なのかな? 日本の構造として二重拘束が含みこまれている感じ。 そのバランスが崩れたと見えるところに、二重拘束の意見が提出される、ってのが正解かな? 二重拘束があると人の選ぶ反応は、かなり限られるということだよ。 以下↓引用。(内田 樹 著「街場のアメリカ論」より) ----------------------------------- 同時に矛盾する要求が上位者からなされたとき、解決の方法はそれほど多くはない。いずれの要求の優先順位が高いかをそのつど言外のシグナルから読み当てる「臨機応変ソリューション」、そのような矛盾した要求をきっぱりと退けて、命令と服従という関係そのものを切断する「独立ソリューション」、その二つに同時に答えることができるように人格解離症状を来す「発狂ソリューション」。  日本人は逡巡ののち、この三つの中から最も知的負荷の少ない「発狂」という解放を最終的に選択したのである。 ----------------------------------- 以上↑引用。 小泉首相が選んでいるのは一番最後のソリューションだということが、このごろの評判かな? ただし、そもそも本人はこの二重拘束にあるということの自覚があまりないみたいだけれど…。 自覚なくあるところは盲従し、あるところははねつけるという第四の道を選んでいるかな? 臨機応変って感じでもないからね。 「発狂」をあげつらっても、しょうがない感じがする。 どんな二重拘束があるのかをまずは良く見ることじゃないかな? それを、丁寧に外していくことが重要な気がする。 アメリカの押し付けだからダメっていう反応も、何か片手落ちの議論だと思う。 うーん、話しがでかいところに行ってしまった…。

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