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カテゴリ:つぶやき
5時半起床。 母が朝食を作ってくれたので感謝しながら食し、6時40分に出発。 7時5分、空港着。 空港ビルに入ろうとしたところで、 先日から職場にアポ取りの電話をたびたびくれたMさんが立っていた。 ちょうど今日、ボスと約束がある人。 「あら~、どこ行っきょんで?」と声をかけてくださった。 「はい~、ちょっと。」と笑顔を返してチェックインカウンターへ。 帰りのシートを変更してもらって、往復ともチェックインを済ませておく。 行きはJシートが取れていたので、 1時間だけでもゆっくりすることができた。 特に徳島空港から離陸するといきなり上昇しながら旋回するので、 目眩のようになって気持ちが悪くなったり、 旋回の仕方で否が応でも地上の景色(街並み)が見え恐くなったりするので、 とにかくゆっくりしたかった。 まっすぐの離着陸はそれほど恐くないが、 冬場の徳島空港の離陸は風向きの関係なのか海を背に離陸して、 その直後上昇しながら大きく旋回して飛行ポイントの潮岬方面へ飛ぶのでスリル満点。 ジェットコースターが苦手なのだが、正にそんな感じ。 (ついでに、一人で飛行機に乗るのもものすごく苦手。) 飛行機の中からは雪を冠した富士山が見えた。 そうするうち、あっという間に羽田空港に到着。 い~ちばん遠いゲートに到着しててくてく歩く。 歩くうちに徳島モードから東京モードにチェンジ。(キリッ) 今回初めて京浜→都営浅草線→京成と言うラインで目的地まで行く。 前回上京した時から随分時間が経っていたので、京浜急行が便利になっていることに驚く。 とにかく初めてなので間違わないようにとばかり気にかける。 まずは切符を買うのに苦心。路線図から目的地を探すのも大変。 ふ~。 乗ってからも緊張。 一度乗り換えがあったのでその駅を乗り過ごさないように注意。 乗換駅では何番ホームに行けばいいのか分からず、結局駅員さんに聞く。 でも間違えるよりいいもんね。 無事目的地の駅に降りた時には安堵感いっぱいだった。 それでもお葬式・告別式の時間までにあと45分だったので、 駅前の案内板を見て葬祭場への道を急いで歩く。 案内板の通りだとすぐのようだったのに見えてこないので少々不安になったのだけど、 冷静になって前後を確認すると後方に喪服らしいご夫妻を発見したので安心して進む。 ほどなくしてホールの玄関に到着。 受付をしている途中で、友紀ちゃんから携帯が鳴った。 ホールの外でかけ直すと心配して電話をくださったようで、無事到着していると話す。 今上がってゆくからねと電話を切って、 中へ入ってしばらくすると友紀ちゃんが降りてきてくれて再会できた。 本当に色々な事を話したかったが、あまり言葉にならず。 一緒に3階に上がり、会場へ入る。 そこで、足利の芳子さんのだんな様が声をかけてくださった。 「よっこちゃん!」 あ~っと、立ち止まり挨拶をする。 あとでお話させてねとおっしゃってくださったのでその場を離れ、 友紀ちゃんにお父様のところに連れて行っていただきお線香をあげる。 おだやかなお顔を拝見し、感謝を込めて祈りを捧げる。 京子さんとは会場に入った時に近くまで寄り会釈した。 打ち合わせ中だったのでおじゃましたくなかった。 その後、友紀ちゃんが「お母さん」と声を掛けてくださったけど、 私に「うんうん」と頷かれて涙を堪えてらっしゃるのがわかった。 私も近づかない方がいいとその時直感した。 京子さんってそんな方。 今日はしっかりしてなくちゃと思ってらっしゃるのが痛いほど分かった。 お葬式・告別式ではみんながいいお別れをできたと思う。 故人がどう生きてらっしゃったかが本当によく分かるいいお葬式だった。 お見送りしたあと、芳子さんのだんな様と駅まで歩き駅ビルで昼食をご一緒し、 いろんなお話をさせていただく。 芳子さんのお話もたくさんした。 芳子さんのだんな様は現在一人住まいをされている。 一人娘さんであるお嬢さんはだんな様が大学の先生をされているので東京でお住まい。 月に2度上京して一家ですごされるそうなんだけど、 普段は何から何までご自分でなさっている。 聞いているとお料理なんてものすごくお上手そう。 「家内がね、私がなんでもできるようにしてくれたと思うんですよ。」とおっしゃる。 芳子さんが亡くなる前の2年間、 お仕事も辞められて一緒に過ごされ看病をなさっていた。 その間、お料理すると芳子さんの所まで小皿に入れ持ってゆき味見してもらったんだとか。 芳子さんははっきりものをおっしゃる人だったのだけど、 「よく「まずいよ~」とか言われたなぁ」とだんな様が笑れた。 その「まずいよ~」と言ういい方が芳子さんソックリ。 芳子さんの笑顔とお声を思い出した。 今でも毎日ごはんを作るとお仏壇にも持ってって、 「美味しいか?」ってやってるんですよとのこと。(うるうる) お茶をいれるのも、果物の皮をむくのもよく私がやったなぁとのことで、 芳子さん「お茶いれてよ。」 だんな様「俺がいれるのかよ~。」 といつも大笑いなさったそうで、 「いつも私がお茶いれてましたよ。 でも本当にそんな、なんでもない事ばかり思い出すんですよね。」 とだんな様がしみじみおっしゃった時には不覚にも涙がこぼれてしまった。 幸せってやはりそんな事なのかもしれないなぁと、 胸の奥で深く感じた瞬間だった。 芳子さんのだんな様、言葉でも「寂しい」と言うことをおっしゃっていたが、 最愛の人を失うと言うことがひしひしと伝わってきて胸を打たれてしまった。 そして今でも最愛の人を思われていることにも感動。 芳子さんにはそのお気持ちが届いていると思う。 私は、芳子さんに教えていただいた「生きる強さ」に心から感謝していると言うことをだんな様にお伝えして、再会を約束して浅草駅で降車されるお姿をお見送りした。 永遠のお別れをし多くを感謝した日ではあったけど、もうひとつの縁にも感謝することができた。 ◇ 飛行機の時間までにすこしだけ余裕があったので、 日本橋で途中下車して高島屋と丸善日本橋WEST館へ寄り道。 (丸善日本橋店は建て替え中の為行けなくて残念。時間と体力があれば丸の内オアゾの丸善も行きたかった。私、丸善ファン。) しかし疲れていたので、まず高島屋内の千疋屋フルーツパーラーでフルーツ&紅茶をオーダー。 フルーツの美味しさで笑顔と満腹になって少し元気が出て、 ふらふら~っと丸善へ行き便箋を大量まとめ買いして(←紙なのでめちゃめちゃ重くなった)、 高島屋と丸善の間にあった日本橋通り郵便局から持っていたハンドバッグ以外の荷物全部を、 ゆうパックでドカンと送ってしまった。なはは。 その後、あとはなんにも見る気がしなくなって(高島屋も、な~んにも見たくならなかった)、 (本当はすぐ近くのブリヂストン美術館へ行こうと思っていたのだが、体力が尽きてしまった。) また浅草線の日本橋駅まで歩き羽田行きの直通電車に乗ったのだった。 そうそう私、また道を聞かれたのだっ! 高島屋方面から地下鉄浅草線日本橋駅まで歩いている時のこと、 この間、割と距離があったのだけど前方からおばあちゃまが寄ってきて、 「高島屋ってこの先の方向でいいですか?」と私が歩いて来た方を指して東京弁で聞かれた。 ふふっ。東京弁で「はいっ。この先です。」(にこっ)と自信満々に答える私。 旅先で道を聞かれる率、更新中(笑)。 羽田空港に着いて、京浜急行の改札を出たところにあるスタバでアイスキャラメルマキアートで一服。(やはり足が痛いので長距離歩けなくて、時々休憩が必要。) これで元気づけして再度歩き出し、無事出発ゲートまで到着したのだった。 出発ゲートでまたまた知人に遭遇。 なんとなく気をつかってしまうから離れたシートだったらいいのになぁ~と思っていたら、とほほ、同じ列の4席向こうだった。何となく気まずい距離感に苦笑い。 結局徳島に到着した時に「どこにいらしてたんですか~?」など少し世間話をしながら一緒に外に出た。 午後8時半頃に自宅に到着。 無事に行ってこられたことにほっとして一気に疲れが・・・。 早々に爆睡。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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