4歳児「死」について考える
当たりました~♪ずーっと気になっていたフレンチのお店に行った時の事です。ランチの最後にガレット・デ・ロワをいただいたのですがこれが大当たり♪♪可愛い可愛いサイドカーのフェーブが入っていて感激です。当たった人には1年間幸運が続くとも言われているので大切に取っておこうと思います。妊婦は運がいいといいますが、この間もマックグリドル(朝マックの新商品)1個当たったし(笑)春から縁起がいいな~と嬉しい気持ちです。■「オ・デリス・ド・本郷」 このお店はグルメブロガーにも高評価で、割と近所だからいつか行こうと 思っていたのですが、ようやく!来訪が実現しました。 「聖護院蕪と海老蟹のラビオリ仕立て」「エゾ鹿の煮込み」をいただきましたが、 あ~久々に来たーー!という程、感性にぴったりのフレンチでした。 ご一緒したこあらママさんのご子息・こあ郎くんのお誕生日が今月なので 小さな声でママに「お誕生日おめでとう」と言ったら(因みに子連れではない;) デザートに「Happy Birthday」のチョコプレートが。。。 「(ママの誕生日かと)勘違いですみません」と恐縮されてましたが、 何て細やかで素敵なお店だろうと感動しました。 味だけではない、ホスピタリティの溢れるお店。常連化決定です* * * *そんな今日この頃、5ヶ月とは思えない程お腹がふくれてまいりました。(ぴぽ太の時の7ヶ月に該当する出っ腹具合。一度ふくらんだ風船はよくふくらむって奴ですかね。...フッ(T-T* )仕事頑張りつつ、マタニティアロマの講座に通ったりして、なかなか充実した日々を送っております。先日、講座の前に時間が出来たので水天宮にお参りに行ってきました。「戌の日」ではないのでお宮はガラガラ。快適にお守りをいただいてニッコリ。(ぴぽ太の時は「戌の日」大混雑の中、祈祷まで受けたのです。。。)帰りは大好きな柳家が珍しくあまり行列してなかったので、鯛焼きを買っていきました。(あ、勿論うち一匹はその場でいただきました。うまっ!)さてその夜の事です。ぴぽ太は鯛焼きを食べるのが初めてなので「こんにちは、ぼく鯛焼き」「ぼくのお腹には美味しいあんこがいっぱいだよ」「食べて~♪」などと腹話術しながら(バカ)デザートタイムを迎えたのですが。何だかぴぽ太のノリが悪い。二人で一匹を食べていたのですが「どこから食べる?」の問いにも「おなかかな」などとマイナーな答え(頭か尻尾だろう普通)。結局尻尾からいただいたのですが、たまに口に運んでもちびちびかじるだけで、あまり反応がない。で、最後に顔を食べようという段になって「お目めは食べられない。可愛そうだもの」と言い出したのです。どうやら腹話術のせいか鯛焼きにかなり親近感を持った様子。「わかったわかった」と答え、こっそり頭の部分をいただきました。それからしばらく経って、ぴぽ太がしくしく泣き出しました。ハッと気付いた時にはもう号泣・゚゚・(≧д≦)・゚゚・「鯛焼きくんが死んじゃった。食べられて可愛そう。ママはひどい!」と、怒り泣きしているのです。「鯛焼きくんは食べてもらうのが一番嬉しいんだよ」「食べてもらえなくて固くなっちゃったら悲しいんだよ」などと言っても頑として受け付けません。最後にはもうどうしようもなくなって「だったらおめーの好きなアンパンマンはどうなんだ。顔を食べさせて、無くなったら新しい顔付け替えるんだぞ。かなりシュールな世界だぜ」と(心の中で!)やさぐれていると、ちょうどぴぽパパが帰ってきてくれて助かりました。は~~。。。まいったまいった。こんな事になろうとは。 * * *実は最近のぴぽ太、「死」に対して過剰反応するのです。あれは去年の11月、4歳になったかならずかの頃。「お母さんといっしょ」で「ありがとう お母さん」という歌が流れました。母子の関係をしみじみと歌った良い曲なのですが、これを聴くとぴぽ太はなぜか盛り下がるのです。ある時「お母さん 大きくなれば お母さん いつかさよなら」という歌詞を聴いて「どうしてなの?」と真顔で聞いてきました。「あ~、“大きくなったらお母さんよりももっと大事な人が出来るから今度は一生その人と一緒”って事なんだよ」と答えると「ぼくはイヤだ」と言ってテレビを消してしまいました。以降「この歌がかかるから」と番組自体を嫌いになってしまったのです。その後、図書館で借りてきた「スタジオジブリ」のCDのリーフレットをじっと眺めて「この人たちのお父さんとお母さんはいないの?」と聞いてきました。そこは「火垂るの墓」のページで、清太と節子が二人でカキ氷を食べている場面のイラストが使われていました。全くストーリーを知らない筈なのに、と舌を巻きながらも、「うん、そうだね。戦争で死んでしまったんだね」と答えると「じゃあこのカキ氷はお兄ちゃんが買ってくれたんだね。。。」と、しんみりつぶやきました。それ以来、このCDの「トトロ」から先は聴かれる事がありません。(「トトロ」の後が「火垂るの墓」の“はにゅうの宿”なのです)そんなある日、ぴぽ太が溶連菌にかかり熱で寝込みました。なおりかけの時期に夜寝かしつけていると、何かの話からぴぽ太が「パパとママはしまないでね(死なないでね)」と言い出しました。「大丈夫だよ、ママは強いから死なないよ」と言っても、どんどん不安が膨れ上がるようで「ママがしんだら、ぼくと離ればなれになったらどうしよう」「ぼくは1人ぼっちになってしまう」「戦争なんていやだ」「病気にもならないで」「しまないで」「もうあの歌(ありがとう お母さん)は聴きたくない」とブルー度が増していき、ついには号泣してしまったのです・゚゚・(≧д≦)・゚゚・私は慰めつつ、何だか感動してしまいつつ、あっけにとられるばかり。この時もタイミング良く、パパが帰ってきてくれて助かりました。最近のぴぽ太は「早く結婚式がしたい」「パパとママと結婚したい」などと可愛い事を言ってくれて、ちょっと前にお友達にシフトしていた想いがパパママに戻ってきている感じです。赤ちゃんが生まれるのを今か今かと心待ちにしてくれているのですが、敏感に何かを感じ、少々甘えっこになっているのかもしれませんね。(プチ赤ちゃん返り?)突然のブルーっぷりに戸惑う事もありますが、とても大切な事なので「死」については少しずつ教えてあげたいと思います。それから「これ以上どう可愛がれっちゅーの」とも思いますが、もっともっと甘えさせてあげたいと思います*<後日談>ここまで読むみ返すと「ぴぽ太め、なかなか愛い奴」と思うのですが、そうはうまくまとまらない。なぜやくざママが出動するかの小噺を1つ。先週プチ里帰りをしていた時の事。大好きなあやや姉(私の下の姉です。すみませんアホな仮名で)にいっぱい遊んでもらったのですが、仕事でフッといなくなってしまった時がありました。それが納得いかず、憤懣やるかたなく、私がちょっとこぼしたお茶がぴぽ太に(ほんの数滴)はねた事に怒り、ヒートアップし。何と。あろう事か。「もう死んでほしい」そう言ったのです。私に。。。冷静に考えれば「あぁ保育園で誰かがそういう言葉を使うのかな?」と思いたしなめる事もできたのでしょうが、何しろ三十路まで生きてきて、誰かに「死んでほしい」なんて言われたのは初めてで。しかも相手が自分の息子で。私はどうしたのかって?泣きながらぴぽ太を叱り付けていました。(その後甥っ子が「ご飯だよ~」と呼びに来てくれるまでフテ寝)ぴぽ太もとても反省したようで、以降そんな言葉は使いませんがショックだったなぁ。こういう事もあって「死」について慎重に教えてあげねばと思うのです。はい。