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きら☆きら☆きらりん

きら☆きら☆きらりん

「ホンモノの思考力」

書籍名:「ホンモノの思考力-口ぐせで鍛える論理の技術」
著者名:樋口裕一 
出版社名:集英社(新書)
 
 「口ぐせトレーニング」など、毎日の話し言葉の中で活用していくことで、論理的な思考力がつく・・・とか書かれていた。
 論理的思考って考えると、「カタイ」「ムズカシイ」って思うけど、そうやって考えていく方が、物事をよりわかりやすくするのかな~って考えながら読みました。

***** 考えさせられたところ *****

→195ページから
 教育というのは、宿命的に、生徒にむりやり自主性をもたせるという矛盾を孕んでいる。ほとんどの生徒は、自ら学ぼうとはしない。生徒が自分から学びたくなる気持ちになるのを待っていたら、教育は成り立たない。


 自主性をもたせるためには、そして、自分で考える力をつけさせるためには、まずは押しつける必要がある。基本的な考え方のテクニックを示し、それを見よう見まねで繰り返させ、訓練する必要がある。小学校1年生で足し算と引き算を教え、それを繰り返し練習させたからこそ、もっと複雑な数学が解けるようになったのだ。それと同じことで、社会に対する考え方なども、まずは考える基本を教える必要がある。むりやり教え込んでこそ、生徒たちは自主性をもち、自分で考えるようになる。

 現在の学校教育は、・・・

答えは一つではないという口実のもとに、イエス・ノーを明確にすることを「単純な二分法」とみなして嫌う。その結果、様々なものを灰色にし、ぼやけさせる。曖昧であることが人間性のしるしと考えて、実は様々な事柄の判断を保留する。

 また、個性を大事にするという名目のもと、型どおりに考えることを否定する。絵も読書感想文も、「思ったとおりに書け」というばかりで、テクニックも論理も教えない。いや、教えることを拒否している。何も教えないことを、個性重視と考えているふしがある。

 目立ちたがることを不純して嫌い、控えめで、みんなと同じでよいと考えている子どもをかわいがる。個性重視ということは、言い換えれば、自分はほかの人とは違うんだという意識を強くもつこと、つまりは、目立ちたがるということにはほかならないのだが、それを理解しない。だから、先生たちは、個性的な人間を排除し、真面目で平凡な人間を大量生産してしまう。




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