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よろず屋の猫

金曜日のラララ (2)

第三音楽室には防音を施した二つの小さな個室がある。
元々は他の音に邪魔されずに楽器の練習をしたり、レコードを聴く為にあるのだが、軽音部の連中にとっては格好のデートスポット化している。
さすがに学校内でそうきわどい事はできないが、キスするにはもってこいと言うわけだ。
今も二年の先輩がA室に、彼女を連れ込んでいる。

私と博志は幼馴染の悪ガキコンビのように、顔を突き合わせて、ヒソヒソ話に興じていた。
「どれ位持つかなぁ、雄二先輩」
「うーん、半年以上は大丈夫」
「大甘。三ヶ月がせいぜいだぜ」
「そうかなぁ、けっこう本気っぽく見えるもん。意外と上手くいくと思うな」

もちろんこれには私の願望も多分に含まれている。
どうして軽音部の男はチャラいのが多いんだ?。
すぐに終わってしまうような付き合いなら、最初からしないほうがマシってもんだと思うんだけど。

しかし博志の分析はシビアだ。
「最初は誰だって本気に見えるさ。それが続くかは別問題」
「それは博志のことでしょうが」

なぁんて下らない事をあれこれ言い合っている私達に、シンバルで遊んでいた同じバンドの慎哉が呆れた声を上げる。
「博志、文化祭が近いんだから、さっさと曲を作っちゃってくれよ。博志が作んなきゃ、麻美が詞をつけられない、オレ達だってアレンジできない・・・ですよ」

慎哉の髪は真っ黒で太くて、クルクルと天然パーマ。
大きな瞳と、逆にちょんとついてる小さな鼻。
愛すべきお調子者。

広い音楽室の前方は一段高くなっていて、ステージとして使える。
そこにピアノ、キーボード、ドラム、アンプにスピーカーなどなど一通り置いてある。
軽音部には一年と二年に二つずつのパンドがあって、三年生はほぼ引退して受験体制・・・ってことになってる。
今は二年の片方が練習中だけど、アンプにつなげてないので、各自好き勝手に楽器をいじってるって感じ。
ボーカリストは個室に彼女と引きこもっている、その人だ。

先輩がこんな状態だから、私達は音楽室後方に置かれたドラムセットの回りにたむろして、彰が「これ良いよ」と持ってきたテープをラジカセで聞いている。

二年生のもう一つのバンドは今日は揃っておさぼり。
一年生の片方は、個室Bで大音響でレコードを聴いているらしく、扉から低い音が漏れ出してる。
彼らはイギリスのハードなバンドが好きだから、大御所グループのどっちかかな。

そもそも軽音部に“練習”はない。
ただただ音楽と遊ぶために集まっているだけ。
運動部から「おふざけクラブ」と陰口たたかれても仕方がない。

「文化祭まで二ヶ月切ってるんだぞ」
彰はシャカシャカと情けない音をさせて、ギターの弦をはじいている。

彰の印象は一言で言えば「鋭角」。
とがった顎、鋭い視線、高い鼻、切れるような唇の端。
この顔で素っ気無い事をバシバシ言うので、彼のことを本気で恐がってる女の子もいる。
ホントはクールな振りをしているだけなんだけどね。

文化祭は十一月の初めにある。
持ち時間は三十分。
私達はコピーを二曲、オリジナル三曲で行こうと言う話になった。
なのにラストに持ってくるつもりの新しい曲が全然出来てない。
博志が「調子がでない」とか言いながら、全く手をつけてないからだ。
博志は高校生活二人目の彼女と別れたばかりなので、「恋をしてないと良い曲はかけないか」なんて彰にからかわれてる。

私達のバンドの名前は“バッド・トゥ・ミー”、博志の口癖の「オレには向いてない」を面白がって、彰が命名したらしい。

キーボード担当ってことで入ったばかりの頃、博志が作った曲の楽譜を見せられて、どうにも詞が気に入らなかった私は、試しに自分で作ってみた。
それが思いのほか「麻美の詞の方がポップな感じが出て良い」と好評で、以来作詞は私の仕事ってことになってしまった。

元々バッド・トゥ・ミーはギンギンのハードロックよりも親しみやすいメロディーを持った曲が好きだ。
正直、私にはテクニックうんぬんは分らないけど、彰はなかなか上手いギタリストらしいのだけど、「ギター抱えてエビぞるなんて絶対ゴメン」と言い放ち、もう一つの一年生バンドをよく怒らせてる。

博志の作るメロディーはスーッと入ってきて、なのに印象に残る。
いつまでもリフレインさせて歌っていたくなるような曲が多い。
でもメロディーを作ることには熱心だが、詞の方はついでと言うか、仕方なく位のつもりで作ってるから、はっきり言ってひどいもんだった。

国語の成績、悪いでしょう、博志?。

私は、歌はメロディーと共に詞にもとても拘るので、やっぱり素敵な詞がついていて欲しい。
私には文才なんてたぶんないけど、それでもポツリポツリと言葉を落としていくように、博志のメロディーに乗せていくのはとても楽しい。

博志の新しい歌、早く出来れば良いのに。

「可愛きゃ誰でも良いよな男なんだから、今から校庭にでも行って、好みの誰か捕まえて、彼女になって下さいってお願いしておいでよ。で、さっさと曲を作ってください」
私は博志に悪態をつく。
言ってて自分で傷つきながら・・・。

高校に入ってからたった五ヶ月ちょっとで彼女が二人居た男。
夏休み明けに二人目の彼女と一緒のところを見ないなと思ってたら、「はい、終わり」をしたと簡単な答え。

一体どうしたらこんな男の心を捉えられると言うのだ?。
バンドに入って早々“博志の悪友”のポジションを手に入れてしまった私は、“一番”でなくても良いから、“ずっと一緒”を選んでしまった。
一番可愛がらなくてはいけない自分をごまかしてるから傷ついて、なのに博志の側には居たくて・・・。
一体何をやっているんだろうと自分でも思う。

でも私の言葉や態度に少しでも気持ちが漏れていたら、声色に媚がしみ出していたら、博志はすぐにでも冷たい横目をくれて、私から離れて行くかもしれない。

だから私は、ちょっと心が辛くなった時は、回りに悟られない内に目をつぶって、好きな歌を口ずさむことにしている。
閉じた瞼の白いスクリーンに夏の終わりの日差しを見る。
光の粒子が残像となって瞬いている。
こうしていると開け放たれた窓から入るわずかな風も感じ取れる。

ところがそれを私の気まぐれな癖だと思っている博志が、声を重ねてきた。
指でリズムを取っているのは慎哉かな。
傍目にはきっと楽しそうに見えるだろう。

私は博志の声を耳をふさいで締め出したいほど悲しくて、なのにずっとこうしていたいと願い、二つの矛盾する思いの波に揺られて、涙が出そうになる。
きつく目を閉じていれば、涙をせき止めることは出来るだろうか。

ちょっとかったるいアルトが博志を呼んで、私は救われた。
ドアのところに遥が立っている。
「浩二、由美と話があるからちょっと遅れるって」

遥は、博志や浩二と同じ中学からきている子で、腰下までタックを取ってタイトにしたスカートは長いし、眉は細いし、長い髪は茶色に染めてゆるやかにパーマをかけてるしで、街中ですれ違ったら絶対目を合わせたくないタイプ。
けれど性格がさっぱりしている姉御肌なのと、“普通の子”とも普通に付き合えるので、女の子達の間では人気が高い。
男の子達が、遥を仲間の様に同等に扱うので、憧れもある。

遥はスタスタと音楽室に入ってきて、私の隣に座った。
軽音部はこうやって部外者でもしょっ中入り浸って、おしゃべりに加わる。
バックステージパスは、軽音部のメンバーが認めてるかどうか、だ。

「由美が何だか知らないけど、猛烈に怒ってて、なだめんのに四苦八苦よ」
言いながら、私にチューインガムを一枚差し出す。
「博志、あんた由美に何か言ったんじゃないの」

冗談だと分っていても、博志を睨みつける遥の目には迫力がある。
博志と本当に対等に話が出来る女の子は、遥だけなんじゃないかと思ったりする。

バッド・トゥー・ミーのメンバーになって初めて知ったのだが、彼を「博志」と呼べる女の子は実はとても少ない。
女の子達は噂の中でこそ気安く呼び捨てしてるけど、実際にそう呼びかけても、博志はまるで聞こえてないかのように無視する。
博志に言わせれば、「何で良く知りもしない女に呼び捨てにされなきゃいけないんだ?」と言う事らしい。

博志は親しみを切り売りしない。
そしてイヤになるほど自分を押し通す。

「見に行こうぜ、浩二が由美にペコペコしているところ」
博志が立ち上がって、ドアに向かう。
「行くったって、どこへ」
「今日はテニス部、練習がある日だからテニスコートか部室辺りとみた。」
好奇心を目元いっぱい浮かべて、慎哉がドラムのスティックをコロリと机に転がす。
「由美ご自慢のスタイルバツグンのテニスウェア姿でも拝みに行くか」
彰の言うことはどうしてちょっと皮肉が入るんだ?。

ちょっと待ちなさいよ、人のプライバシーを面白がっちゃいけないわ。

ところが遥まで「何してるの、行くよ、麻美」と手招きしているではないか。

エーイ、こんな見物、見逃す手はないか。
私は立ち上がって遥のところに行こうとして、でもドアのところで三年の英次先輩にぶつかった。

「あれ、今日はもうお終い?」
「イエ、ちょっと・・・」
浩二と彼女の喧嘩の見学ですとは、とても言えない。
「英次先輩はギターを弾きに来たんですか?」
彼は時々音楽室に訪れては、ギターを弾いたり、後輩と話したりしてる。
穏やかでフランクな人なので、後輩たちからも慕われてる先輩だった。
「うん、予備校までの時間を潰そうと思って、気分転換に」

予備校か、大変だなぁ、受験生は。
なんてまるっきり他人事で私は思う。

「皆、行っちゃうよ」と英次先輩が指差した先、博志達は廊下の角を曲がろうとしていた。
「あ、それでは失礼します」
「うん、またね」
英次先輩はふんわりと笑う。

たった二つしか違わないのに、三年生って大人だなぁ。
私は上履きの音がパタパタ鳴るのも恥ずかしくなって、ぎこちなく足を交互に動かしながら、みんなの後を追った。

夏休みが終わると、夏も終わったような気分になるけど、とんでもない。
今日はとにかく蒸し暑い。
季節はカレンダーの一枚を切り取るようには変わらない。

博志は両手をポケットに突っ込んで口笛を吹きながら、隣りに並んだ私の耳元に唇を寄せ、
「あの二人、いつまで持つと思う?」

私がバッド・トゥ・ミーに入った時、浩二は大喜びだったけど、一向に私が自分に関心を持たずにいるのを悟ると、夏休み前に由美と付き合いだした。
博志はあざけりとも取れる唇の片端だけをグイと持ち上げた皮肉な笑いと共に、「グズグズしてっからだよ」と言った。
でも私はニッコリ微笑み返してあげたものだ。
これで“浩二のお気に入り”扱いされなくなる、肩の荷が下りたってモノだ。

博志が使っているヘアートニックの香りが私を包む。
「ノーコメント」
博志の顔を手のひらでグイと押し返す。
「私、友達にはウェットなの」

浩二と由美は、グラウンドを出てすぐの水のみ場の側にいた。
私達は校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下から彼らを見ていた。

グラウンドでは陸上部が百mダッシュを繰り返している。
この暑いのに、よく真剣に取り組める。
合図のホイッスルまで重たい空気に負けて、響きが鈍ってる。

由美はとてもスタイルが良い。
短いフレアスコートのウェアから、こんがりと焼けた長い足が伸びている。
左手をグッとくびれた腰に当てているので、なお更際立つ。
あれは絶対意識してやっているに違いない。
長いストレートの髪を一つにまとめてUPにしてあるにも係わらず、頭が小さくて、私は小さい頃にクリスマスプレゼントでもらったアメリカ生まれの着せ替え人形を思い出す。

しきりに何か由美に訴えている浩二の方は「良い人」そのもの。
バッド・トゥ・ミーの中では、実は浩二が一番のハンサムだと私は思う。
目も鼻も口も、どれも形が良くって、そこに若干の甘さが加わっている。
あの顔で強気に出れば、女なんていくらでもいるだろうに・・・。

由美は右手に持ったラケットをぶらぶらさせて、まさに「私は不機嫌です」と書いてあるような表情。
気が強いと言う噂は本当らしい。

「こーじ!!」と博志が大きな声で呼びかけ、二人ともがこちらを向いた。

「よしなさいよ」
私は肘で博志を突こうとしたが、博志はその肘を取って自分の方に引き、更に抱えるように私の口元を押さえ込んでしまう。
結構細身だと思ってたのに、さすがに男の子の力は強くて、「ちょっと離して」と言う私の声も、博志の大きな手のひらの内に消えてしまう。

私達を見る浩二の瞳に、一瞬淡い影がよぎる。
私の事、それほど本気だったわけでもないのに、今では由美がいるというのに、こんな私と博志を見るのはちょっとね・・・、そんな表情を浩二は時々する。

由美がもの凄く恐い目で睨んでる。
いや、博志を見てるのだ。
「ほうら、やっぱり博志、何かやったんじゃない?」
遥がこっそりつぶやいた。

「由美がお前にシカトされたって言ってる。誤解だって言ってくれよ、博志」
うっわー、浩二のその声、情けない。

博志はふいに力を緩めて私を解放すると、かったるそうな足取りで水飲み場に行き、水道の蛇口をひねった。
身体を傾けて、突き上げる水に唇を寄せて含む。

「生ぬるい、まじぃ」
「呼んだのに振り向きもしなかったじゃないの」
キイキイ声を由美がぶつける。

アララララ・・・と私と遙は音が出ないように舌を打って、顔を見合わせた。
「“一ぱつ触発”の“ぱつ”ってどう言う字を書くんだっけ」
暢気な声で慎哉がボソリと言う。
「バカ、“一触即発”」
彰ってばこんな時までなんで冷静?。

「おい、博志・・・」
言いかけた浩二の顔に水しぶきがかかった。
博志が蛇口の元を指で押さえて、浩二に向けたのだ。
呆然とする浩二の髪から水滴が一粒一粒、やけにゆっくり落ちるのが見える。

「オレの名前はね、柏木って言うんだよ。だからちゃんと“柏木君”って呼んでくれたら、返事するよ。分った?」

由美へのセリフのくせして、彼女をチラリとも見ない。
だから由美が耳まで真っ赤に染まってることに、博志は気付かない。
でも例え気付いたとしても、博志は全く意に介さないだろう。

由美が左手をギュッと握り締めた。
由美がラケットを持ってて良かった。
利き手があいていたら、由美は発作的に博志の頬をはたいていたかも知れない。
怒りより、むしろ羞恥心で、プライドの高い由美には耐えられないだろう。

由美とは同じクラスだけど付き合うグループが違うので、私はそう親しい感情を彼女に対しては持っていない。
自分の容姿への自信を隠そうともしない由美を、どちらかと言うと苦手としていた。

でもこれはあんまりだ。

私は博志の横に行くと、水道の蛇口を博志に向けて全開にした。
私のテンションそのものに、水は勢い良く飛び出して、由美の右手の代わりに博志の頬をピシャリと打った。
慌てて博志がよけると、水は放物線を描いて下に落ち、乾いたコンクリートに染み込んで行く。
ボトボトボトと情けない音がしているのに、誰も笑わない。

「あなた一体何様のつもりよ。良いわ、私もこれから“柏木君”って呼ぶ。その代わりちゃんと“はい”って答えるのよ。“あぁ”でも“おぉ”でもないのよ、“はい”よ。そうだあなたも私を“櫻井さん”って呼んでちょうだい。“麻美”だなんて気安く呼び捨てしないですよね。」

一気にまくしたてた後、
「聞いてるの?、分った?、博志!!」
だなんて、自分でも何をいってるのか分らない支離滅裂っぷり。

「オ、オイ、麻美・・・。」
オタオタしてるのは浩二の方だ。

博志は濡れた前髪に指を突っ込んで、水を飛ばして遊んでる。
シャツの襟から肩までビショビショだが、この暑さなら気持ちが良いと言うもんだろう。

あ、虹がかかってる。

水の放物線の向こうに見つけて気がそれた途端、私の前髪からも水がしたたり落ちてきた。
博志が今度は私の方に水しぶきを飛ばしている。

本当に気持ちが良いじゃないの。
「アハハハハ」と博志が大笑いしている。

それからはもうバッド・トゥ・ミーのメンバーに遙、そして何と由美まで加わって、水のかけっこになってしまった。
一列に並んだ五個の水道の蛇口は全部開かれて、水は誰かの手によってシャワーのように辺りに散らばっている。

スローモーションで水滴が青空の中ではじける。
陽を受けて、キラキラ光って遊んでる。
私達の喚声が、その合間をぬって高く上っていく。
淡い色の虹が現れては消え、私達をからかう。

この子供じみた騒ぎに、グラウンドの運動部の連中が練習を止めて、呆れて見入ってる。
指差して、どこかうらやましそうにしているサッカー部の一年生は、同じクラスの男の子だ。

「こらー!!」と野球部の顧問の先生が、こちらに駆け寄ってきた。
「やべー、逃げろ!!」
水道の水を出しっぱなしにして、私達は反対方向に駆け出す。

「由美、クラブ、どうするんだよ」
「もう、今日はサボり」
「由美は良いよなぁ、着替えがあるから」といつの間にか、呼び捨てして博志。

振り向くと先生が水道の蛇口を閉めながら、「お前ら、いい加減にしろ!!」と怒鳴った。
「先生、ごめんねー」と私達は声をそろえた。

私達はまだ一年生で、先の事なんか何も心配しなくて良い。
ただこうやって楽しくふざけていれば、そのうち陽が沈んで、今日と言う一日が終わる。
明日だって面白い一日に違いない。

私は学校の敷地を囲むフェンスに沿って植えられている常緑樹の木々を見上げた。
深い緑の葉の間から、陽がこぼれ落ちてくる。
サーっと風がふいて、私の濡れた頬を気持ち良くなでていった。

まだ夏が濃厚に残る九月初旬の一日。



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