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よろず屋の猫

序章 その2

《ミクラ=カチャク=ニトゥ》

回廊で囲まれた中庭は女達で溢れかえっている。十二神将をモチーフにした噴水の回りに、バザールの様に旅の一座が品物を並べ、王付の女官から飯炊き女まで、楽しそうな声を上げて思い思いの買い物をしている。中には恋人への贈り物を求める男達もいる。
今日は無礼講、宮殿で働くものは誰も皆、出入り自由とした。それは夜に行われる宴も同様。きっとこの中庭の様に、いや更に、たくさんの者達でごった返すだろう。
その方が都合が良い。
良い季節になった。砂漠を越えて砂を運んで来る風もしばらくはないだろう。民達は作物の種を植え、育て実らせ、収穫をする。再び砂の風が吹くまでに。
庭には色とりどりの花が咲き乱れ甘い香りを放ち、噴水から吹き上げる水は、豊かな季節を祝福するかのように煌めき散る。
日差しに少しばかり暑さを感じたので、私とテムボタは屋根のある回廊へと下がる。するとヒンヤリと気持ちよい。
庭の対角にトーチャウとファーメイがいる。
王妃・ケナティーの娘。ケナティー、王が唯一愛した女。
ケナティーには長らく子供が出来なかった。だから私はここに連れてこられたのだ、他の側室達と同じように、ただ跡取りとなる子供を産むために。
そして私は産んだ。第一皇子、トーチャウ、王になるために生まれた子だ。
その後、ケナティーは子供を産んだのだが女の子だった。なのにケナティーが死んだ後も、第一皇子の生母たる私は正室にはなれなかった。
だから私は決めたのだ。トーチャウを、現王よりも広い国土の持ち主にしてみせる。その名をシルクロードの端から端まで届かせてみせると。
王位はトーチャウのもののはず。それを今になって・・・。
あの娘、だんだんケナティーに似てきた。悲しみも憎しみも、その身には一切降りかからぬと信じているような微笑を持っていた女。彼女に対したものは皆、幸せな心地になると言われた女。
何があっても絶対に、あの女の娘に王位は渡すまい。
トーチャウが紫の花を持ってこちらに向かってくる。草花を愛する私の息子。心優しい私のトーチャウ。
必ず玉座に座らせてみせる。
だからこそ私はテムボタと組んだのだ。


《テムボタ=バトゥ》

トーチャウがミクラに花を渡すと、ミクラは「何てあでやかな紫ですこと。」と甘ったるい声で言う。まったく女と言う奴は。
「母上、これは一応“青”なのですよ。」とトーチャウが笑った。
この男はこんな時でも穏やかで優しい表情を見せる。その中に一片の苦さもない。
まさに操り人形にピッタリではないか、全くレイバイルの言う通りだ。
それにしてもこの状況の忌々しさよ。
兄王が病に倒れ、家臣レイバイルの働きもあり、電光石火で摂政となり、あとはトーチャウが王位に就くだけだったのに。王の意識が戻ったのが誤算だった。おまけに今になって姫のファーメイに王位を継がせ、セヤク、ウルムジン、ティガシェ、セムジンの誰かと結婚させるだと。
ウルムジンは家臣の息子、ティガシェとセムジンときたら孤児で、どこの馬の骨とも分らぬ男達ではないか。ふさわしいのは我が息子、セヤクのみ。しかしファーメイとは昔から犬猿の仲だ。
「ファーメイ様がセヤク様を選ばれることはないかと存じます。やはりここはトーチャウ様に王になっていただくのが一番かと。」などとレイバイルに言われるまでもない。
そもそも私が国王になるべきだったのだ。
兄王は父王が進めていた侵略戦争を放棄し、今の領土で満足することを選んだ。なんと言う腰抜け。あの世で父王も嘆いておられるだろう。
私が国王に就けなかったのは、側室の子という、ただ一点のみ。本当ならば貴人を守護神に持つ私こそが王にふさわしかったものを。
だが良い。
兄王が進めた諸国との親和政策で、軍部の、特に父王からの代の者達には不満を持つ者も多い。私は未だに軍に発言力を保持する彼らを上手く取り込んだ。
旗をなびかせる風は私に吹いている。
羽ばたきの音がして、私はふっと我にかえる。鳥が一羽、風に乗り、中庭の上をゆったりと旋回した後、宮殿の奥の方へと飛んでいった。
「あら珍しい鳥。初めて見るわ。どこの国から来たのでしょう。」とミクラが言う。
「どの国のものであろうと。」と私はミクラに笑ってみせる。
「すぐにあなたの鳥かごにおさまります。」


《セヤク=バトゥ》

「セヤク様、見て、珍しい鳥が枝に止まっています。」と女が窓の外を指差す。
「可愛いわ、何だかこっちをじっと見ているよう。まるで好奇心旺盛な子供のような眼です。」
「鳥は鳥だ。だが欲しいのならば後でレイバイルに命じておこう。」
オレは、お付の女官にそう言った後、「お前、もう下がれ。」と手で空気を払う。
「えー、今日はせっかくゆっくりと二人でいられると思いましたのに。」
女は甘えた声で、ベッドの上の私の方へと身体を寄せる。
「そろそろおめかしの時間だろう。私の女が他の女より見劣りするなど、冗談ではないな。」
「まぁセヤク様ったら。」
女は含み笑いをした後、ベッドから抜け出して薄絹の衣を羽織った。
「私は少し眠る。」
「えぇ、では後ほど。」
目を閉じたオレの耳に、女の衣擦れの音、床を歩く音、そして扉が閉まる音が届く。
オレは目を開けると、ベッドの脇にある台の引き出しからキセルを取り出す。詰める葉は煙草ではない、レイバイルが手に入れてきた、異国の薬。
火をつけ、深く吸い込むと、頭が冴え、やがて身体が浮いているように軽くなる。そうオレは今飛んでいるのだ、女が見たと言う鳥のように。
ワハハハハ。なんと言う高揚感。
あの女にももう飽いた、今夜は旅の一座の女を寝所に寄越すよう、レイバイルには言ってある。茶の肌と長い髪、ふっくらと厚い唇を持った、美しく豊満な体の女がオレの希望だ。
華奢で凹凸の少ない女など、何の魅力もない。まったくファーメイと結婚など、叔父貴もとんだ冗談を言ってくれる。
叔父貴の意志が発表されたときは参った。オヤジ殿のテムボタが色気を出して、私に結婚を迫るのではないかとビクビクしたものだ。レイバイルが気を利かせて親父殿に何か言ってくれたようだが、本当にあいつは役にたつ。
オレが欲しいのはナーシェだ、最近ますます美しくなって、今を盛りと輝いている。トーチャウが王位に就いて、親父殿が権力を握ったら、レイバイルにナーシェをオレの后にするように図らせよう。
トーチャウもナーシェに恋焦がれていることは知っているが、あの男に女をくどけるものか。第一、王位を追われ殺された男の娘など、ミクラがトーチャウの后にするはずがない。
あぁ、愉快だ。オレが望めば全てそれはオレの手中に納まる。面倒くさいことは周りの者が片付けてくれれば良い。オレはその権利を持って生まれた王族の男。太常を守護神とする男。吉も凶もオレにはどうでも良い。
せいぜい楽しく人生を生きさせてもらおうか。


《レイバイル》

かなり離れているというのに、中庭の喧騒がここまで届く。
さっきから窓辺に止まっているあの鳥は、さてはあのうるささにうんざりしたか。
そうやって皆を浮かれさせなさい、ミクラ。高揚させ、我を忘れさせなさい。それだけ事が起きた時、混乱が大きくなる。
あの鳥、まるで観察者のようにじっとこちらを見ている。鳥などにそんなことを思うのは馬鹿げているか。しかし人はそうやって、別のものに自分自身を見るという。
そう、私は優れた観察者だ。
人の不満を心の中から見つけ出し、その矛先をむける方向を指示してやるのは、何とたやすいこと。
ミクラ、テムボタ、そして軍も然り。
ファーメイの夫候補に挙がったセヤクには不満など持たぬよう、欲しがる物を与えておけば良い。酒でも女でも異国の妙薬でも。セヤクはそれ以上は望まない。今の地位がもたらす享楽は永遠にあなたのものですとささやき続ければ事足りる。
首尾は上々、既に幕は上がっている。後は終幕まで、私は観客席で眺めていれば良いだけだ。脚本家にすべきことはもうない。
窓辺に私が向かうと、鳥はスイッと飛び上がり、一時空中で止まった後、空高く舞い上がってしまった。
お前が見るのは神の視点。
私の守護神の玄武よ、その力の全てを私は使う。
そして私はこの地に居ながらにして、あの鳥の目に映るものを手に入れてみせよう。


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