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よろず屋の猫

『渇いた季節』 ピーター・ロビンソン

猛暑により干上がった貯水池から半世紀前の村が現れ、そこで白骨死体が発見される。
遠い過去の犯罪を暴く、となればその昔ロス・マクドナルドを夢中で読んだ私の好きなパターンのミステリーです。

一人称で書かれた事件の関係者の手記と、三人称で描くバンクスの捜査と彼自身のプライベートを短いスタンスで交互に読ませます。

正直に言えば、捜査の場面やバンクスの生活よりも、過去の出来事を書いている手記の方が圧倒的に面白い。
グロリアと言う女性の魅力を活写しています。
女性が女性の見る眼は大抵厳しいのですが、グロリアに対してそれはありません。
その理由も最後の方で分ります。

また戦時中の田舎の村の様子もありありと描かれて、そのなかで生活していたグロリアや手記の書き手が、今も尚、そこに生きて暮らしているかのように鮮やかです。

謎解きと言う事に関しては、特に驚きはないのですが、これは別のものを味わうミステリーだと思いました。

ところで、これは『エミリーの不在』を読んだときも感じたのですが、文章の語り口が独特で、どうにもなじめないんですね。
この小説の雰囲気にあってない気がして。
amazonを見ていたら、訳のことに触れた感想がありまして、文章が分りづらいというのは私は感じないですが、違和感があるのです。
それが“ちょっと”と言うレベルではなく、おまけに小説自体も長いので、読んでるうちに気に障ってきて・・・。
この作者がもともと書いている文体なのかな、とも思っていたのですが、今回同じシリーズの別の訳者の『水曜日の子供』を読んで、こちらは普通に読めたので、訳者さんの個性なのかとも思いました。
原書を読む英語力は私にはないので、よく分りませんが。
あくまで個人的な好みの問題ではあるんですけどね。

追記です。
シークレットでコメントを頂いた方に対する返答です。

訳者の幸田敦子さんと野の水生さんが同じ方と言う事ですが、私は存じ上げていませんでした。
ただ、私には、明らかに文体が変わったように感じられました。
野の水生さんの文体は、例えばノワール物ならば良いかと思いましたが、バンクスシリーズの特に最近の、バンクスが私生活において問題を抱えて鬱々と悩んでいる状態には合っていないと、今でも私は思っています。
逆にこの文体で初期のバンクスシリーズを書かれていれば、違和感は少ないと考えます。

ところでamazonの書評の件ですが。批判的な投稿に同意したわけではなく、“分りづらい”とありましたので、私はそうは思っていない、ただ合っていないと、そう言うつもりで書いたのですが、私の文章が拙くて大変申し訳ありません。(この部分、修正済みです)
ただamazonのことはamzonのが判断すべきであって、私はそれに対して判断するつもりはありません。
amazonがこれは書評として載せても構わないと判断した以上、それを批判するのも、私の気持ちとしては合いません。
本を読んで何を感じるかと言うのは、およそ人によって様々です。
私はフィクションと言うのは、それを許す寛容さがあるからこそ、素晴らしいと考えています。
ですので、否定的な意見もそれはその人なりの読み方であると考えます。

ところでバンクスシリーズですが、私は最近読み始めたもので、シリーズに対する思い入れが一切ありません。
なので突き放して読んでいますので、感想はシリーズ全体を通したものではなく、一作一作に対するものになっています。
ただ私も翻訳されているものはほとんど読みましたので、その印象としての話をさせていただきます。

シリーズも長くなると、どうしても主人公の人生の話も多くなりがちです。
実際の人生と言うのはそうそう劇的なことが起こるわけではないのですが、これでは物語にならないので、バンクスも離婚等の変化を余儀なくされています。
私は、バンクスには、初期の家庭は安定した状態で、しかし犯罪の関係者に対して深く思いを寄せるというスタイルを守って欲しかったなと思います。
バンクスの人生は安穏として、読者にとっては特に目新しいものはないとしても、この作者ならば、共に老いていく夫婦と、その夫が携わる事件と言う話も、読者を充分満足させる力量があると感じました。
なので最新作におけるバンクスの、自分に思いがいっている描写は残念に思いました。



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