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よろず屋の猫

『手紙』 東野圭吾

キャッチコピーにどうこう言うのもなんですが、“感動したか”と言えば、特にそう言う思いはありません。

主人公は殺人犯を兄を持つ青年です。
彼が犯罪を犯したわけではないですが、大変な差別にあいます。
就職も、恋愛も、やっと見出した生きがいである音楽の世界でも、身内に犯罪者がいると言う事で、差別に合います。
結婚して子供が出来ると、今度はその子供が他のお友達と遊んでもらえなくなります。
この過酷な状況に比べたら、実際に殺人を犯して刑務所に服役中の兄など、世間と隔絶されて実態を知らない分、よっぽどましではないかと思わされます。

この小説は、読んでいると絶えず、ではあなたはどうなのか?、と問いかけられている気がします。
犯罪者の家族に対する差別はいけないと私は思います。
でも実際に係る身になってしまったらどうなのか?、と。
正直に言えば、自分の子供が主人公と結婚すると言えば、私は反対します。
反対する理由は何も家族に犯罪者がいると言うだけではないですが。
自分の子供の友達に彼の子供がいれば、さすがに「遊ぶな。」とは言わないと思いますが、自分の目の届く範囲内でと言う限定をつけるでしょう。
あるいは、私がその子の人となりを見極めるまでは、と。
ではその子が“良い子”であればどうなのかとなれば、出来れば反対しない人間ではありたいと思ってはいます。
絶対に出来ますか?、と問われれば、分りませんと答えます。
そう思う私が社会を作っていて、それが現実なのだと思い知らされる小説です。
あなたも原因の一員なのだと。

ただ何故感動出来なかったと言えば、それは余りにも主人公が幸運すぎるから。
確かに彼を取り巻く社会は過酷ですが、私にすれば彼と結婚した女性に会えたと言うことが、現実に比べればとてつもなく甘いことの様に思えました。
何があっても彼をそのまま受け入れ、自分の子供ですら差別に合う事態でも前向きでいられる女性。
実際にこれ程の人間が世の中にどれだけいるでしょう。
まるで負の感情が欠落しているかのようです。

ひょっとしたら作者は、一人でもそう言う人間がいれば、主人公のような人間でも、何とかやっていけると言いたかったのかも知れませんが・・・。

犯罪者の兄が、定期的に送る手紙、その変化で、愚かだった兄が刑務所の中で学んでいることが分るようになっています。
ですが、『アルジャーノンに花束を』で既にその効果的な使われ方を読んでしまった私には、特に感じるものがありません。

東野圭吾は当たり外れの多い作家だと一般的に言われていますが、『手紙』は個人的にははずれでした。
何故なら、この小説よりも、あとがきに書かれていたオノ・ヨーコの話の方が、私には感じるものがあったからです。
ジョン・レノンを主人公にしたドラマ制作の際、主役のオーディションが行われたそうです。
ジョンと風貌が酷似している無名の俳優が選ばれましたが、ヨーコによって覆されました。
俳優の本名がジョンを殺害した犯人とまったく同じ名前だったからです。
世界に向かってあれだけ平和へのメッセージを発信しているヨーコにしてそうなのです。
この短い文章で書かれた事実に、長い小説はかなわなかったのです。


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