『地球へ』 #19 「それぞれの場所」 (8/11) 感想
あらすじは公式HPから。スウェナと再会したジョミー。現体制の要の一つテラズNo,5と戦いを決意した彼にスウェナはある人物との謁見を促す。同じ頃、キースは廃校となったE-1077でマザーイライザとの再会を果たしていた。過去との決別。未来への決意。2人の英雄は自らの意思で、大きくその第一歩を踏み出すのだった。“英雄”と言う言葉を使ってるのにはびっくりでしたが、その二人が自分の道を大きく進む話でした。先ずジョミーサイド。アタラクシアを制圧したミューたち、しかし地球への座標の情報を得ることが出来ない。プロテクトがかかっている、原因はテラズNo.5、ジョミーはかつて自分が成人検査を受けたプレイランドに行く。ブルーを姿を見せて精神攻撃をかけるNo.5、しかしついにジョミーはNo.5を破壊、地球への道を手に入れる。ブルーが出てきたのはサービスでしょう。あれで止められると思ってるNo.5も随分チャライ存在になっちゃったと思いましたが。でもブルーの死に対するジョミーの気持ちがここまで出てこずに、いきなり豹変してしまってましたので、ここで出して良かったと思います。た・だ・し!!。二度とブルーをあんな風に使ってくれるなよ。一方、キースサイド。打ち捨てられたステーションE―1077に赴き、自分の出自を知る。自分は遺伝子レベルから作られた実験体。これがシロエが必死で突き止めようとしたもの。ステーションを破壊し、グランドマザーの元へ。これもまたグランドマザー=システムの意思。フィシスもまた実験体なので、リンクして描かれてました。キースは既にグランドマザーから事の真相を聞いていたのかな?と言う気がしたのですが、そうならもう少しその辺りの描写が必要かと。キースがねぇ・・・。何故あぁもシステムに忠誠を誓って冷酷に突き進むのかと言うところに、彼のキャラの深さがあったんですが・・・。アニメは、英雄のジョミーとキース、その二人の戦いが描きたいんだなと、あきらめもつきましたわ。対システムの事は二の次で、システムの管理の厳しさを描く必要はないのですよね。だから、前回の、何でスウェナがこうも自由勝手に出来るのかと言う事も、かつてのジョミーの養父母、現在のスウェナの子の養父母が、離婚した親に会わせないとのシステムの決め事を守らないのも、打ち捨てられたステーションに実験体をそのまま残しているのも、矛盾ではないわけです。アニメと原作は別物だと思ってますが、原作の名を借りている以上、原作の良いところは入れるべきだとも思ってます。ところが“良いところ”って言うのは、人によって感じる物が違うんですよね。こればっかりは仕方がないことです。既にシロエのエピソードの時に方向性は示されて居た訳ですし。今回とても良いと思ったのは、ジョミーが僕たち=ミューたちは人間だ、と言ったところでした。ミューたちは自分達が対する存在を“人間”として、まるでミューたちは人間ではないかのようで、これが当初からとても気になっていたのです。人間なのですよ。ジョミーはかつてミューを否定する“人間”側にいました。二つの世界を知っているジョミーに言わせたこのセリフの意味を今後大事に描いて欲しいです。