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昨夜は、お客様の不動産投資家さんと小料理屋に行ったのですが、入店1週間という見習い板前さんがいました。 23歳で、今までは大阪の日本料理店で修業していたのですが、先輩のいじめが激しくて、絶えられずに止めてこの料理店に来たと言っていました。 大変地味で客商売には向かないような青年でしたが、話をしているうちに、最近のいじめ問題の本質がわかってきました。 つまり、板前修業は厳しいものだと、私たちはわかっていますが、この年代の青年はそれが単なるいじめと感じるのです。昔は修行や指導、叱咤激励と言っていたことが、いまや「いじめ」という言葉にすり替わっているのです。 これでは校長や教頭が「いじめはなかった。」というのも無理はありません。その時代にはいじめではなかったのですから。 報道を見てどうも話が食い違っていると思ったのですが、そういうことだったのです。もちろん校長の責任逃れも、あるところにはあるのでしょうが、本質ではないと思います。 学生の頃、統計の勉強で「1960年代に少年犯罪が急増しているのは何故か?」という問題があったのですが、正解は「従来の少年犯罪に加えて、学生運動の検挙者も犯罪者の数に加えたから。」というものでした。 今回はこの逆で、本来のいじめは少なくなっているのに、いじめの概念が広くなって、何でもかんでもいじめに分類してしまうので「いじめで自殺した。」となってしまうのではないでしょうか? そのうち遅刻を叱って自殺しちゃう子供が出てきたら、どうするのでしょうか?うちの子供見てても打たれ弱いから、きっとそういう子供が出てくるよ。 これじゃ先生はたまらんよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月31日 09時09分28秒
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