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2007年09月06日
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昨夜のニュースでも、高齢者で国民健康保険料が支払えないために、病院にかかることもできない人たちの話をしていました。ワーキングプアをどう救うかは政治の一つの課題です。

先の選挙でも、地方の一人区で都市との格差への批判票が与党を敗北させたと言われています。

しかし、その前は『骨太の政策』で、「努力した人が報われる社会」を形成できるような構造の改革が支持されました。

つまり、国民の中にも成功者を評価するアメリカ型社会・小さな政府と、弱者救済の社会主義型社会・大きな政府、どちらを選んだら良いか、場当たり的に選択するという状況になっています。

ワーキングプアと言われる人たちは、憲法で保証されている「健康で文化的な生活」を望んでいるようですが、一体どのレベルを健康で文化的な生活と設定しているのでしょうか?

大きな政府か小さな政府かという議論の行く末は、結局国民が最低限政府のお世話にならなければいけない生活とは、どの程度の生活かということに収斂すると思います。そこの基本を押さえないで議論を進めると、もっとよこせ!という話になってしまいます。

国民年金が払えない人に、その分を補助すれば、次には年金も払えないから補助しろとか、家賃も払えないからとか、どんどんエスカレートし、仕舞いにはヒレステーキが月に1回しか食べられないから、自分は弱者だと言うことになるような気がするんだよね。

この話を深化させていくと、エネルギー問題で対立する途上国と先進国の妥協点を、どの程度の国民の生活レベルに置くかという論議に通じると思います。






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最終更新日  2007年09月06日 09時39分29秒
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