新生のらくろ君Aの館

2009/12/05(土)06:54

アートバザール

昨日は、読み終えた「まなざしのレッスン」について書いた。 絵は好きな方であり、手慰みに小さいながらもスケッチなどを試みたこともある。しかしながら、絵を描くこととか絵を商売の対象にするなどとは勿論考えたこともなかった。 4ヶ月ほど前に連れ合いの友人が個展をするというので京都の画廊を訪れたことがある。 自分にもこういった絵が描けたら楽しいだろうなと思う気分になったが、個人の個展での絵画は、歴史上の名画とは全く趣を異にする。それでもその人の好きなように描けるわけで、そういった意味では自己主張の対象でもあるわけだ。 気に入った絵を戴いて、今も部屋に飾っている。絵のある空間は何かほっとする空間でもある。 絵画を本格的に描くということの奥深さなど到底知ることは出来ないが、確かに何処か私の感覚とは違うのである。私などの漫画のような絵は、個人の絵画という点までも到達した段階では到底無いのだが、絵を描くときには一心不乱になる。しかし、私などの場合は、寸毫の思想もなくただ風景を写実するのに腐心するだけなのである。 「まなざしのレッスン」は「その1」と言うことで、続きがあるように末尾には書かれていた。正確に言うと、美術に興味のある人は次回からの講義も受けられたいといった趣旨のことであったように思う。と言うことは、「その2」は美術史的には、新古典主義からロマン主義を経て写実主義などの時代の絵画講座ということであろう。 当然バビルゾン派時代や、写実主義から印象派に至ることも解説されていることが期待できた。 その後もこの講座は、アール・ヌーボーやフォーヴィズム、表現主義などからシュールレアリズムなどに至るのであろうが、調べてみる限りでは、残念ながら続きの講座本は出版されていないようである。 美術・芸術には作家の主張や思想が盛り込まれているが、一貫している真実(そこに描かれている主題)は同じであっても、鑑賞する側の好みは違ってくるわけだ。あの画家の絵は好きだけれど、こちらの画家はどうもというふうに、画家毎に括る場合とか、絵画自身を対象に好き嫌いを述べることもある。 絵画と呼べるかどうかは分からないが、人類が最初に描いたのは、フランスのラスコーの壁画かスペインのアルタミラの壁画に見られるような、収穫対象の動物の絵だったのであろう。それから絵画がどのように変遷してきたのか浅学で良く分からない。 西洋美術史のはじめとされているのは12世紀前半ば位からである。それから19世紀初頭まで、最初は神話画や宗教画が描かれ、神の権威や、時の為政者の権威を助長する道具として使われていたような気がする。それから、ルネサンスを迎え、絵画に表現やポーズを取り入れた心理学的表現がされるようになる。 バロック時代には直線的な荘厳さの表現の中に、感情に訴える動きや明暗が取り入れられ始めた。その後、ロココ時代にはいると繊細な華麗さや曲線の多用が見られた。現在のNHK講座は正にこの後の新古典派からロマン主義に至る所を受講しているわけだ。 その後の写実主義などを経て、今まで色彩を地味に扱ってきた中で、急に華やかな色が登場し、対象をあるがままに写実するのでは無く、画家がその時感じたものを強調して鮮やかに描き出すという印象派にと移っていくわけである。 その後のフォービズムや、キュビズム辺りまでは何とかまだ少しはついて行けそうな気がするのだが、最近のシュールレアリズムなどになったり、ボディーペインティングなどの、ジャンルになると、一体何をやっているのか、正に狂気としか私には思えないのである そんな個人的な好みは別として、今日は連れ合いと一緒に、京橋のアートバザールにおじゃました。 元々その気はなかったのだが、ゴルフの先輩の知り合いだとかで、何のきっかけか、紹介され、葉書を1枚いただいたので、半ば仕方なく出かけることになった。 梅田まで出て、大阪の環状線に乗り京橋迄の道のりは、私が学部時代に毎日通ったルートである。 もうそれは、40年も前のことであるが、環状線の車両や、各駅の汚さは、この間、時間が止まっていたのではないかと疑うほどに昔のままに汚く、洗練されていないままであった。 ここを通る度に思うのは、こんなところで学んでいたのだからろくな者にはならないのも当然だなという思いである。 車窓の風景も確かに少し高いビルが建ったのかということとか、京橋駅が、京阪線や、地下鉄の乗り入れなどで様相を一変している以外は、昔とあまり変わった印象はうけなかった。我が学舎はすでに千里丘陵に移転しており、あの雑踏の中の昔の校舎跡はNTTのものとなっていた。 わかりにくいポンチ絵の案内図を頼りに歩く京橋の裏町も、お世辞にも綺麗だとは言えない。京阪線の南側など通ったことがないのだ。その道を葉書と立て看板も頼りに歩いて行くと、そのバザール会場はあった。小さなビルの2階の狭い会場で、絵画を少し、アクセサリーを少し、陶器を少しと、バッタ市のような様相であった。 主催者の女性と顔を合わせ、確かに来ましたよというところで、私の先輩に対する役目は終わった。連れ合いは、これも義理でか、安い陶器を購入していた。飾られている絵画には、2人とも全く興味はなかったが、比較的大きな額の中に、大根や白菜などの野菜が力強く描かれた絵があった。 その絵が、女主人のお母さんの作品だと言うことを聞いて、最後にそのお母さんにお会いしたが、何と92才であり、体も顔の艶もとても90才を超えた方だとは思えない程の元気さであった。勿論腰もぴんと伸びていた。そのかくしゃくとしたお母さんは、今100号の魚づくしの絵に挑戦して居られるという。感心した。 バザールに来て、唯一良かったと感じたのは、その1件だけだっただろうか。汚い街の狭っ苦しい一角である。これが洒落た街の小綺麗なところであれば、お茶の一杯でも飲んでいこうかとの気になったかも知れないが、花器を購入しただけで、そこそこに、おじゃました。 まだ時間は早かったが、連れ合いも試験の採点が待っていることもあり、長居は無用とそうそうに帰宅の途についた。

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