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最近本を読むスピードが極端に遅くなった。
目が悪くなったせいもあるが、読む時間がないくらい忙しいからかも知れない。また一つには、分厚い本を読んでいると、終わるまでに違う本が気になりそちらをつまみ読みするなどということをするからかも知れない。 この本の出版を知ったのは、昨年の夏の終わり頃である。新聞の紹介欄で目に付いたのだが、どうやらチャンドラセカールの事らしい。チャンドラセカールといえば、インドの偉大な物理学者である。 私がチャンドラセカールの事を知ったのは、以前に、偶然本屋で見かけた『「プリンキピア」講義―一般読者のために』という単行本を見つけたときからである。「プリンキピア」は科学の歴史における古典中の古典であり、万有引力の法則を導いた古典力学の巨匠ニュートンが自然哲学の数学的諸原理について書いた物理学の書で、超難解なことでも有名である。 アインシュタインの「特殊相対性理論」だとか「一般相対性理論」だとかにはとてもついてはいけないけれど、分かろうが、分かるまいが、私は、ニュートン力学の入口で生活をしていた端くれであるから、何となく親しみを持ってその本を手に取った。その本の作者ががまさしく今回の「ブラックホールを見つけた男」の主人公なのである。 その「プリンキピア」講義には、「天体物理の泰斗でノーベル賞物理学賞に輝くチャンドラセカールが10年近くの歳月をかけて完成し、この種の著述が今までどうして現れなかったのかと待ち望まれた書である」と素晴らしい評が書かれていた。勿論、日本語版であり、その訳文にも一般読者のためにかみくだいたものとし、詳しい訳注を付け、さらにいっそう輝かしめる本としている。 という風に書かれていた。一瞬この本を読むとニュートン力学のすべてを理解できるのかも知れないと錯覚を起こすような書き方であったように記憶する。 全体が灰色基調で、標題の部分がブルーで縁取られたボックス入りの書物であった。この本が置かれていた場所は物理学か、数学の専門書のコーナーだったのだが、手に取るとずしりと重い感じだ。 そろりと中を開いて、内容を拾い見たのだが、天体の運行に関することが記されていたような記憶がある以外は忘れてしまった。 読んでも何を書いているのか分からなかったというのが実情であり、本屋の立ち読み程度で分かるわけがないのも至極当然のことである。私はその本が欲しくなった。とにかく飾りとしてでも良いから欲しいという気になったのだ。 本の裏を返して値段を見ると約1万円だったことを思い出す。とても手が出ないわと感じて一旦は立ち去る。インターネットなどで調べると、6-7000円の新古本があるという。それでも迷った。何回か本屋に行くと、その本をぱらぱらめくるのが楽しみになっていたが、結局は買わずに済ませてしまった。 本は実に高くなった。その本が、今では6割近く値上がりしているのである。このデフレ、活字離れの時代に本だけはどうしてこんなに高くなるのであろうか。そんな気持ちは置くとして、その「プリンキピア」を優しく読み解いたのが、チャンドラセカールで、その人の伝記ともいうべき本が「ブラックホールを見つけた男」である。 チャンドラセカールはインド生まれで、後にアメリカに帰化した天才的な物理学者である。 正確には「スブラマニアン・チャンドラセカール」という名前である。というのが、彼には、「チャンドラセカール・ラマン」という名前の叔父がいて、その叔父も「ラマン効果の発見」で1930年にノーベル物理学賞を受賞しているのである。 不用意に物理学者という括りでは言い表せないくらいに、物理学の中には、理論物理だとか、天体物理だとか、一般物理だとかがあるらしい。 チャンドラセカールは1930年、弱冠19歳で、渡英する途中のアラビア海にかかる船上で「ブラックホール」なるものの存在を計算で算出し、予告したのである。物理界の石川遼といえば言い方が反対なのかも知れないが、とにかくすごい男である。 私が知るインド人やインドに関する印象は、先ず、サウジアラビアで、仕事上で関係した、10名の人たち、中には、タミール語を教えてくれた、ラジュウという青年もいた。UAEでは、運転手をしてくれたラスール君や、仕事関係では、GMのドラニ氏や工作担当のアヌープ氏などが居る。 中には、ずるがしこいのもいたが、総じて、皆真面目な人たちであった。インド人の数学は見るべきものがあるということはよく聞く話だ。「たけし」のクイズ番組などでも紹介されているが、独特のインド式計算方法があるとか、二桁の九九(九九とは言わないのか?)を諳んじているとかである。 ドバイにも、マイクロソフトの社屋があるのだが、ここの従業員は、殆どがインド人であると聞く。また、ビル・ゲイツは、コストの安い、しかも数学や物理に優れた頭脳を持つインド人を多数雇っているという。 中国13億人というが、11億人のインドは、産児制限もないため、2050年には、中国を抜いて世界一の人口を抱える国になると予測されている。 この国はまた、BRIC'sの名で呼ばれるように、新興国の目玉国として最近冨に話題に上ることが多い。 しかるにこの国の問題は、貧困国であり、日本以上の格差社会であると共に、インド独特のカースト制度による大いなる人種差別感の存在である。 私が会ったのは、大体が、昔で言う「クシャトリア」とかせいぜい「バイシャ」と呼ばれる階層で、極めて貧しい「スードラ」という部類の人たちではない。 さて、チャンドラセカールは英国のケンブリッジに留学をするとか、叔父も偉大なる物理学者であることから、インドでも恵まれた階層に育ったようである。留学することになったのも、インドにいては、その才能が伸ばしきれないと言うことであり、何処かの国のように、海外の学校を出たらそれだけ箔がつくというさもしい発想からではない。 この本の内容を云々するほど、私は理解しているわけではないが、当時、白色矮星は、恒星が進化の終末期にとりうる形態の一つであると考えられており、質量は太陽と同程度から数分の1程度と大きいが、直径は地球と同程度かやや大きいくらいに縮小しており、非常に高密度の天体であるという認識であった。 チャンドラセカールの計算結果は、この白色矮星の質量には上限があるということを計算で示したのである。その上限値よりも大きな質量で一生を終えた星は何の活動もしないで、岩の塊として一生を終えるのかという疑問を解いたのである。 星自身の重力に押しつぶされて、理論的には体積ゼロの超高密度な特異点になるという考えだ。 それがやがて40年ほど経って「ブラックホール」という名前を冠せられてよみがえったのである。 その間は放置されていたわけで、最近の「CP対称性の破れ」という現象を説明する理論でノーベル賞を受賞した、益川・小林両氏の場合と似ている。 どうやらノーベル賞というものは時間が掛かるものであるらしい。 チャンドラセカールの渡英は、必ずしも順風満帆ではなかったようだ。 彼の理論は、当時の英国物理学会の重鎮アーサー・エディントンに徹底的に批判され続けたのである。エディントンは、アインシュタインの一般相対性理論を英語圏に紹介した事でも有名で、彼は皆既日食を観測中に、太陽の近くに見える恒星の写真を撮影し、一般相対性理論による「遠くの恒星から観測者に達する光線が太陽の近くを通る場合、太陽の重力場によって光線が曲げられる」ということを発見して、アインシュタインの相対性理論を証明したのである。 エディントンはチャンドラセカールが主張する、星が自身の重力に押しつぶされて、理論的には体積ゼロの超高密度な特異点になるという考えについて、さしたる理由もなく、「そんな馬鹿な振る舞いを止める何らかの法則があるはずだ」といって、感覚的に否定し、罵倒に近く、認めようとはしなかったのである。 これは、想像するに、白人の有色人種に対する、染みついた優越意識がなせるものであるかと感じた。 特に、天文学界の重鎮であるところから、チャンドラセカールに賛同する意見を持つ者も、表だって、エディントンに反対する事も出来ないと言ったようである。 科学の世界でも、正を正と言えず、長いものに巻かれると言うことがあるものなのだという典型であろう。そこに行くと、今の民主党幹事長にたてつく民主党員が出ないことは至極当然であると言えよう。 政治の世界は、議員で居てなんぼのものであるからだ。 科学の場合は、やがて、その正否は、歴史が証明してくれるわけで、良いと言えば良いことなのかもしれないが、何十年も放置され、死の間際頃に、認められてもと、私などは思うのである。 チャンドラセカールは、私が生まれて2日後になくなっているのを知って、全く関係はないものの、自分勝手に少し因縁を感じた。 この本には、他にも、学者仲間である、ファウラー、ミルン、ボーア、オッペンハイマー、フェルミ、シュレージンガー等々多くの聞き慣れた、物理学者の名前も、今更のように懐かしい感じで出てきた。 また、NASAのX線観測衛星「チャンドラ」は、彼にちなんで名づけられたものであり、意外なことに、著書に「真理と美 ― 科学における美意識と動機」があって、科学者でありながら、美術に対する造形も同時に持ち合わせていたと言うことである。 お気に入りだったのはモネで、「積みわら」や「ルーアン大聖堂」の絵を眺めながら、華やかな色彩と光に彩られた表面の背後に、不変のオブジェを見て取ったとしており、「画家達は心眼で色や輪郭や対称性を捉えるように科学者達は見かけの背後にある真の姿を記述する手段として、幾何学と方程式を使うのである。」と称している。 彼は心筋梗塞に襲われ、続いて、ひどい鬱で落ち込んだという。しかし、ピカソのように、仕事で忙しくしている間は死ぬことはないように思うと、科学者らしからぬ心境になったという。 人生の終局を迎えたチャンドラセカールは、死ぬ前にやっておきたいことが二つあると言い、 1.わが意を満たすために、自分なりのニュートンへの賛歌を書いて出版社に送ること。 2.入念に下調べをして、適当な機会に「クロード・モネの連作と一般相対論の特徴(ランドスケープ )」についての講演ができるようにすること。 を挙げている。 科学的内容は深く記載されていないのは読みやすいし、ブラックホールの生い立ちが知れたことはとても有意義なことであった。やがて、地球もブラックホールへと吸い込まれるときが、それこそ何十億年という先には起こりうることを考えると、誠に希有壮大な気分になる。 また、彼の人生は、妻ラリータと共にあったということも書いておかねばならないだろう。
Last updated
2010.01.20 05:35:56
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