横倉甚五郎~横倉甚五郎~天保5年(1834)八王子堀の内村生まれ。千人同心。天然理心流 新選組隊士六番隊伍長。 箱館新選組。第3分隊嚮道役。 名簿を残してくれた人 安政6年(1859)天然理心流入門。 元治元年(1864)10月入隊。 11月の油小路の変で大石鍬次郎とともに出動。 慶応3年12月墨染で近藤さんが襲撃にあったとき居合わせ、近藤さんを擁護して帰隊。 会津から箱館へ渡り、明治2年5月弁天台場で降伏。 横倉は弁天台場で謹慎を言い渡されていたが、元京都見廻組今井信郎などと共に坂本龍馬、伊東甲子太郎暗殺の嫌疑をかけられ、同年11月9日、東京の糾問所に送検されて取り調べを受けた。 と言う説と 弘前の薬王院で謹慎後明治3年伊東甲子太郎の件で兵部省の取調べを受けた。 と言う説があり 獄中で死亡とも小塚原で処刑されたともいう。 墓所は八王子市鑓水の大法寺。 明治3年(1870)8月15日没。37歳 辞世が残っている 義のために つくせしことも 水の泡 打ちよす波に 消えて流るゝ |