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ホタテバーガー☆ミ

照姫

~照姫~

1833年(天保3)照姫(保科正丕まさもと三女)誕生。正しくは熈。
1835年(天保6)容保候誕生
1842年(天保13)照姫、松平容敬の養女となる(11歳)
1843年(天保14)敏姫(容敬5女)誕生
1846年(弘化3)容保候、容敬候の養子となる
1848年(嘉永元)父正丕病没。嗣子正益(後に弾正忠)が幼かったので容敬は懇請によってその後見となる。
1849年(嘉永2)照姫、豊前藩主奥平昌服(十二万石)と結婚
1854年(安政元)照姫、離婚(23歳)
1856年(安政3)敏姫(14歳)容保候(23歳)と結婚
1860年(文久元)敏姫死去(19歳)
1868年(慶応4)照姫初めて会津入り(37歳)
1869年(明治2)照姫、飯野藩預かりとなる
1884年(明治17)照姫、東京・牛込の旧会津藩家老山川家似て没。53歳

ちなみに当時飯野藩の上屋敷は麻布新堀端、下屋敷は赤坂御門外と広尾下渋谷村

鶴ヶ城開城後、容保候と喜徳公は僅か30名程の従者と共に山駕籠に乗り、
新政府軍に護衛されて北大手より六日町を通って蟄居先の北滝沢村にある妙国寺へ入った。
照子もその後を追うように妙国寺へ向った。
奥女中は残らず御供した。
照子の一行は道明寺糒(ほしいい)やあれこれ食料だけを白布に包んで城を出た。
外郭甲賀町近くに来た時両側より人々が道をせばめ、悪口雑言をあびせた。
そして遂に道をふさぎ口々に「肥後の姉は側女の如き不具化性と違い美人の聞こえあり。
戸を開きてみせよ」と手を伸ばすものさえいた。
と言うエピソードがある。
照子が民衆の間にも気高い美しい女性であるとの噂が流れていたことがわかる。
またもうひとつ、
戦いに負けた者に対する民衆の追い討ちをかけるような態度は領内の武士階級と
庶民の間に隔たりがあったことを感じさせられる。

謹慎の身となった照子は髪を切り照桂院と名を改めた。
照子の傍らには老女や侍女のほか、萱野権兵衛や井深茂右衛門ら十名が付き添った。
謹慎生活中の和歌

ある野寺に在りし頃野寺秋夕
霧こめし野寺の庭よ哀れさをとりあつめたる夕ぐれの空

宰相の君の御心をなぐさめ参らせて
君が為つくすまことの御心をなど天つ日のてらさざるべき

10月17日容保父子は東京へ送還され容保候は備前池田家へ、
喜徳公は筑後久留米有馬家へ御預けの身となった。
年が明けて明治2年2月末、照子も東京へ移されることになった。
「南紀徳川史」の(たぶん)明治2年正月28日の記述
同月(正月)二十八日松平若狭及ヒ伯母初メ御預ケ被 仰出
松平若狭伯母並侍女其藩へ御預ケ被 仰付候事
但受取方ノ儀ハ軍務官へ可伺出事
 正月       行政官

右侍女ハ六拾人之旨依テ受取方手続キ村井久左衛門ヲ以テ二月二日軍務局へ
問合ノ処於若松表受取来ル十五日発途可致乗物ハ人員ノ半数用意於彼地可
調途中警衛人数ハ一小隊ニテ可然旨答有之
其後全ク御預ケ人左ノ通リ受取江戸赤坂邸中へ差置取締候事
松平若狭殿伯母並侍女弐拾弐人
…(名前がずらっと並んでいるので略)…

此後御預ケ増且御預ケ替等ノ事六月十九日十一月晦日ニアリ可見合

こうして照姫は紀州和歌山藩邸に御預けになった

1884年(明治17)3月15日読売新聞
奇特 此のほど旧會津藩主松平容大君の伯母君照桂院殿が卒去せられ
内藤新宿の正受院へ葬送せられし時在京の旧藩士は勿論郷里の人々も
数名出京して会葬せられしが葬式は旧格に依旧臣の頃の順序に
一同行列せし中にも当今在京にて顕職に在る人々も旧例に依りて自身に
柩を□れしは奇特の至りと会葬者一同感服せしといふ

照姫が旧藩士たちに慕われて大切にされていたんだなと思える記述ですな

墓所は会津松平家御霊廟。
照姫は容保候と同じく新宿の正受院に仮埋葬されていたが、若松の御霊廟に改葬されるべく、大正6年6月8日東京をたち翌日会津若松駅着。
この日より容保候の墓碑・鎮石・松平家の墓表、石灯籠の建設に着手。
8月22日の戊辰殉難50年祭典に合わせて墓前際が執り行われた。

大正六年六月九日の會津日報に新聞記事が載っていた。

*松平家改葬式 本日挙行

旧会津藩主松平子爵家に於かせられては愈々今九日忠誠霊神(容保候)、存誠霊神(容大公)、照君、愛比古敬比古(容保候子)、美禰君(容保候長女)、容恭君(保男氏長男)、瑞光院殿(田代佐久)の遺骨を捧持せられ午前六時二十五分会津若松駅に着せられ院内の御廟に埋葬の式を行はせらるる由なるが其の道順は既報の如く博労町新道より博労町、堅三日町、横三日町、阿弥陀町を経て院内に向はせらるべく葬列は
            郡長
先駆警官、榊、当藩士八名
            市長
内田氏 陸海軍将校 出羽大将 陸海軍将校
御霊柩            御霊柩
篠澤氏 陸海軍将校      陸海軍将校
山川男爵              改葬
    子爵、健雄氏、家令、    委員
加藤氏
 一般会葬者
等にして沿道には当市立第四小学校、第二小学校、会津中学校生、工業学校生、高等女学校、第三小学校、商業学校、第五小学校、第一小学校の順序に堵列して送迎すべしと

現在の御霊廟の松平家の墓碑には照姫の名は無いが、古い写真には桂照院殿の名前が確かにある。

戒名は
    桂照院殿心誉香月清遠大姉
    (*会津藩の女たちでは「照桂院殿心誉香月清遠大姉」)

「会津大事典」昭和60年刊
「会津女性人物事典」平成4年刊
「会津人物事典(文人編)」平成2年刊
「江戸幕藩大名家事典 上巻」小川恭一編著 原書房刊 1992年
「文政武鑑 3」柏書房刊 1991年
「会津先賢者の墓石を訪ねて」昭和62年発行
「会津藩の女たち 武家社会を生きた十人の女性像 柴圭子恒文社」
「南紀徳川史」


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