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2019年02月01日
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カテゴリ:毎日の記録
今年に入ってすぐ、母が肋骨を骨折した。

人生100年を真っ直ぐに進む母は後期高齢者。
頭ではわかっていたけれど記憶力も理性もわたし等よりよほどまともな立派なヒト。

その、母が。

少々離れて暮らす私は日常はほったらかし。
病院通いの両親は近くに住む姉にまかせっきり。
たまに顔を見に行く程度の親不孝物。
共に年には見えない元気な両親に甘えきり油断しきってた。

それでもだいぶ衰えが顕著になり始めた両親をバリアフリーの明るい
所謂、高齢者住宅に引っ越す計画のまさに真っ只中の出来事。

歩くことはもちろん、立つことも座ることもできなくなった母は寝たきり状態。
介護申請をして、認定待ちのためいろいろ動けない。
姉が奔走し、ケアマネさんの強力な協力のもとにヘルパーさんが日に3回。

それでも、足りない。

要介護2の父も母の介護。
老老介護だ。

痛みと不安と、おそらく時間の感覚が不安定になっている母のそばにつきそうと言うのは
予想以上にしんどかった。
父の、姉の、悲鳴と疲労に泊りがけで手伝いに行った。

本当に、甘かった。

ほんの一日で打ちのめされた。
何もしてやれない。
何も役に立たない。
小さくなってしまった母の慰めにもならない。

夜中中痛みを訴える母に何も出来なかった。
無力な私とは裏腹に母のそばには強力なサポートが敷かれている。
日々通ってくれるヘルパーさん。
介護のアドバイスをくれるケアマネさん。
在宅治療をしてくれる鍼灸治療の先生。
新たに加わったショートステイ先の担当者。

たくさんの人に支えられて母は生きている。

そんな中。
ひときわ熱心に母に寄り添ってくれる方々にお会いして驚いた。

知人に似てる。
本当に良く似てる。
顔もそうだが、雰囲気というか優しい信頼できるオーラが。
一目見て全部安心できそうな感じ。

最近初めましてな方々が良くも悪くも知人に似ていることが多い。
その中でもダントツに似ている。

これはどういうことなんだろう?と、思いつつご無沙汰ばかりの知人を思う。
元気にしているだろうか。
幸せに暮らしているだろうか。
今日も初めてお会いしたショートステイ先の担当者が、またまた知人によく似ていて
驚いた。
なんだろう?これは!


幸せに暮らせなくなった母を、思う。

今の自分の生活は弓道が殆どを占めている。
なんとも幸せな日々だ。
母が骨折をしてからまず、父と姉の生活が一変した。
当然、自分も。
もう、弓道はしばらくできないんだろう。
試合も、初めて欠席した。
主催した練習の会もとうとう欠席してしまった。
来週の団体戦も行くことはできない。
天秤にかけたくないものを天秤にかけ、優先順位を決めるというはなんと切ないことだろう。






最終更新日  2019年02月01日 23時49分44秒
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2019年01月20日
カテゴリ:毎日の記録
今年に入ってすぐ、母が肋骨を骨折した。

人生100年を真っ直ぐに進む母は後期高齢者。
頭ではわかっていたけれど記憶力も理性もわたし等よりよほどまともな立派なヒト。

その、母が。

少々離れて暮らす私は日常はほったらかし。
病院通いの両親は近くに住む姉にまかせっきり。
たまに顔を見に行く程度の親不孝物。
共に年には見えない元気な両親に甘えきり油断しきってた。

それでもだいぶ衰えが顕著になり始めた両親をバリアフリーの明るい
所謂、高齢者住宅に引っ越す計画のまさに真っ只中の出来事。

歩くことはもちろん、立つことも座ることもできなくなった母は寝たきり状態。
介護申請をして、認定待ちのためいろいろ動けない。
姉が奔走し、ケアマネさんの強力な協力のもとにヘルパーさんが日に3回。

それでも、足りない。

要介護2の父も母の介護。
老老介護だ。

痛みと不安と、おそらく時間の感覚が不安定になっている母のそばにつきそうと言うのは
予想以上にしんどかった。
父の、姉の、悲鳴と疲労に泊りがけで手伝いに行った。

本当に、甘かった。

ほんの一日で打ちのめされた。
何もしてやれない。
何も役に立たない。
小さくなってしまった母の慰めにもならない。

夜中中痛みを訴える母に何も出来なかった。
無力な私とは裏腹に母のそばには強力なサポートが敷かれている。
日々通ってくれるヘルパーさん。
介護のアドバイスをくれるケアマネさん。
在宅治療をしてくれる鍼灸治療の先生。
新たに加わったショートステイ先の担当者。

たくさんの人に支えられて母は生きている。

そんな中。
ひときわ熱心に母に寄り添ってくれる方々にお会いして驚いた。

知人に似てる。
本当に良く似てる。
顔もそうだが、雰囲気というか優しい信頼できるオーラが。
一目見て全部安心できそうな感じ。

最近初めましてな方々が良くも悪くも知人に似ていることが多い。
その中でもダントツに似ている。

これはどういうことなんだろう?と、思いつつご無沙汰ばかりの知人を思う。
元気にしているだろうか。
幸せに暮らしているだろうか。
今日も初めてお会いしたショートステイ先の担当者が、またまた知人によく似ていて
驚いた。
なんだろう?これは!


幸せに暮らせなくなった母を、思う。

今の自分の生活は弓道が殆どを占めている。
なんとも幸せな日々だ。
母が骨折をしてからまず、父と姉の生活が一変した。
当然、自分も。
もう、弓道はしばらくできないんだろう。
試合も、初めて欠席した。
主催した練習の会もとうとう欠席してしまった。
来週の団体戦も行くことはできない。
天秤にかけたくないものを天秤にかけ、優先順位を決めるというはなんと切ないことだろう。






最終更新日  2019年01月20日 22時33分26秒
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2018年04月19日
カテゴリ:毎日の記録
ビバ!「2357」スマイル

2357」ってなんだろう?
素数っぽいよな。
でもただの素数の訳ないよな。

確かに「2357」は

350番目の素数である。

そしてただの「素数」ではなかった!
まずは

「2」「3」「5」「7」は10以下の素数の全て。

ふむふむ。なるほどスマイル

2+3+5+7も素数
2×3×5×7×2+3+5+7も素数
2×3×5×7×2-3-5-7も素数

表記できないけどそれぞれのn乗っての?
それを足したものも素数。

2357それぞれの19乗を足したものも素数
2357それぞれの1013乗を足したもの素数

さらに
2357223335555577777772357も素数

これでもか!って程2357づくしじゃん大笑い

そして

「メルセンヌ素数」である

???
「メルセンヌ素数」って何?

まず、「メルセンヌ数」

1、2、3、4、…という自然数をnとした時、「2のn乗-1」の式で求められる答えが「メルセンヌ数」。
答えが素数の時は「n」も素数であるが、答えは全てが素数ではない。

​​​​n=2 2×2-1=3
n=3 2×2×2-1=7
n=4 2×2×2×2-1=15
n=5 2×2×2×2×2-1=31
n=6 2×2×2×2×2×2-1=63
n=7 2×2×2×2×2×2×2-1=127
n=8 2×2×2×2×2×2×2×2-1=255
n=9 2×2×2×2×2×2×2×2×2-1=511​​​​

メルセンヌ数の答えが素数の時「メルセンヌ素数」という。
上記の表を見ると
n=2、3、5、7の場合が素数。
わ。ここでも2357なんだびっくり

ついでにこの「メルセンヌ数」ってやつ、なんか面白い性質がある大笑い

これらの数値を二進数にした時に全部「1」になる。

「二進数」?
0と1だけで表すヤツね。

​​​​0=0
1=1
2=10
3=11
4=100
5=101
6=110
7=111
8=1000
9=1001
10=1010
11=1011
12=1100
13=1101
14=1110
15=1111
……​​​​
3、7、15が「メルセンヌ数」
で、最初に戻って「2のn乗-1」で計算した答えを二進法にしてみる。

n=2 2×2-1=3 二進数では11
n=3 2×2×2-1=7 二進数では111
n=4 2×2×2×2-1=15 二進数では1111
n=5 2×2×2×2×2-1=31 二進数では11111 
n=6 2×2×2×2×2×2-1=63 二進数では111111
n=7 2×2×2×2×2×2×2-1=127 二進数では1111111
n=8 2×2×2×2×2×2×2×2-1=255 二進数では11111111
n=9 2×2×2×2×2×2×2×2×2-1=511 二進数では111111111
メルセンヌ数を二進数で表すとnの数に等しい回数だけ1が並んでるびっくり

で、現在までにわかっている50個のメルセンヌ素数があるんだそうだ。

へえ。面白いぞ「メルセンヌ数

ま、それはともかく。
​​「2357」楽しいね!!
それを見つけて遊んでる数学者ってのはやっぱり凄いなびっくり
それを表現に使おうとするヤツラもすごいんじゃないかなウィンク​​​​






最終更新日  2018年04月19日 09時43分46秒
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2017年10月08日
新選組史跡散策

いやぁ、こういうちゃんとした(ちゃんとしなくても)史跡巡りは久しぶりだぁ!
好天にも恵まれ、朝もはよから出かけました。

集合は新宿駅。

今回の散策は結構生活圏内なので、なんとなく親しみを感じちゃう。

大江戸線、牛込柳町

まずは近藤さんの試衛館界隈から。
文久三年一月、仲間と共に浪士隊に参加した近藤さんの身上書によると

「四代浪人 当時市谷加賀屋敷 山川礒太郎地借り仕り候」

とあるとのこと。
この「山川礒太郎」邸、1851年版の切絵図で探すと
「山川清左衛門」という名前がある。

ここは試衛館も近いんだよね。

ここには永倉さん、総司、平助も一緒にいたらしい。
左之助は不明(笑)

山南さんはもう少し離れた場所に住んでたようですな。

試衛館は本当は現在試衛館跡地の碑が立っている場所を正面に見ると右斜め後ろ。
現在マンションが建っているあたりのようですな。
その碑が立っている場所のすぐ隣は稲荷社があり、ここは祭礼が行われていたという、
まさに地元密着の神社。

その祭礼の日が11月18日だと言う。

11月18日!

平助が殺されたその日もここでは賑やかにいつもの様に祭礼が行われていたんだろうか。
平助も行ったであろう、その祭礼を思い浮かべただろうか。

近藤さん、「甲良町屋敷」から「試衛館」に通っていたのね。
なんとなく試衛館に住んでいたイメージだったよ。

牛込柳町から飯田橋へ。

ここは永倉さんがいた坪内主馬の道場があった。
坪内主馬は「心形刀流」。
「心形刀流」と言えば伊庭八郎。
永倉さんは伊庭くんとも知り合いだったよねぇ。

近藤さんの本妻、ツネさん。
この方は松井八十五郎さんの娘。
その松井さんン家が早稲田通りを一本入った現在は床屋さんのあたり。

ところがこの二軒お隣には鈴木さんちがある。

この「鈴木さん」家は斎藤一の生まれたお家。
お友達…とまではいかなくてもお知り合いだったよねえ。
縁とは、誠に意なもの不思議なものですなぁ。

さらに飯田橋。

新徴組の広大な屯所があったのだ。

なんと山田弓具店の並び。
うわぁ。
都内は史跡の宝庫とは知っていたけど、こんなに身近だとびっくりするなぁ。

さらに山南さんの大久保弥九郎道場、講武所跡を通って伝通院へ。

文久三年二月四日。

近藤さん、土方さん以下「将軍警護」を目的とする「浪士組」に参加するべく訪れた面々は
伝通院で会合を持ちました。
と、あるその「伝通院」

実際に会合があったのはその伝通院の子院、「処静院」だそうです。
その「処静院」は現存していませんが、その山門に建っていた石柱が現在伝通院の門前にある、あれ、
だそうです。

「不許葷酒入門内」とあるあの石碑です。

これ、その眼に写ったよなぁ。

ところでこの「不許葷酒入門内」

禅寺では、匂いの強い野菜は心を乱し精が付くため、酒は頭の働きが鈍り集中力が弱るため
修行の妨げになるとのことで持ち込みが禁止されていたようです。

神社は「お神酒」とあるように
神様にお供えをすることで霊力を宿った神聖なお酒を頂くことで、
その神様の霊力を体内に取り込む。
と言う意味があるらしいのに。

「神社」ではOK。
「禅寺」ではNG。
興味深いですな。

永倉新八。
のちの名を杉村義衛。

この方、長く生きました。

そしてハジメさんと交流がありました。
住まいをところどころ変えました。
最初ははじめさん家の近く。
だんだんと遠くになったようです(笑)

その、何度か変えた住まいのひとつには食事処となっている所もあり、
今回はそこで昼食となりました。
だから何?って、感じですが(笑)ま。そゆことです。

さて。

その、さいとうはじめさん。

新選組隊士ながら、会津で戦い、そのまま会津藩士として捕らえられ
会津藩士として生涯を終えたフシギなお方。
会津藩士の娘、時尾を嫁とし会津藩士と生涯親交を持った人物。
この方は本当に不思議でならない。

その方の住居が特定されたのだ。

今まで斎藤一いや、藤田五郎邸とされていた春日通りの左側ではなく、右側だ、と。

残された資料に

「春日町のところに錦秋女学校っていう学校がありました。
そのそばに石の段々がありまして、それを下りると少し窪い感じの所に藤田五郎様と時尾様のお住まいがありました。」と
土田敬子さんが言ったとある。

なるほど、その言葉通りに坂があり、そうなのかな。と思う。
ま、どっちでも良いね。

最近思うのは史跡はざっくりで良いとの思い。

ここ!と特定するよりもこのあたり。と、ざっくりした方が大きく見える。と言う事。
当時の住まいの感覚は今とは違う。
道路も、街も、感覚も変わっている。
「ここだ!」と、思うとその場所しか想えない。
「このあたり」と思った方が、当時に想いを飛ばせる。
そんな気がするのデス。

だから、写真も撮りませんでした。

ここ。と、思ってしまうより、このあたりと想った方が、今はリアリティを感じられる気がして。

次ははじめさん、いや、五郎さんの勤務地。

御茶ノ水。湯島聖堂。
へ?
ここ?
湯島聖堂?
はじめさんの勤務地「高等師範学校」と言うのは、湯島聖堂でした。

迂闊にも全然気付かなかった。

大好きな湯島聖堂にはじめさんが20年も勤務していたなんて。
しかも、大成殿に向かう石畳は当時と全く変わっていないなんて。
今回、一番感動した場所でしたな。

だって、大好きな湯島聖堂、はじめさんが20年も通った場所だったなんてねぇ。

庶務掛兼会計掛 勲七等 藤田五郎 福島士


さらに赤坂へ移動し、勝海舟邸、篤姫が明治になって暮らした場所を確認したあと、千駄ヶ谷へ。

大江戸線、国立競技場駅。

総司の終焉の地。と、言われるところには碑が建っている。

が。

ここではないという。

古地図を調べた方が、正しい場所を特定した。と、言う。

道路を渡った、ビルとビルの間。
ここが、こここそが植木屋平五郎の家、総司がその生涯を終えた場所だと。
以前流れていた河の名残がある。
架かっていた橋の名残がある。
これで特定できたのだと。

史跡巡りは楽しい。

そして日々、いろんな資料が発見され検証される。
どれが真実なのか。を、求めて。
だけど。

たくさんの資料を検証し、想いを馳せ当時を偲ぶことが大切なんじゃないか。
たくさんの人とと想いを共有し「忘れない」ことが大事なんじゃないか。

このあたりにこういうヒトがいた。
こういう建物があった。
こんな時代だった。
それをつないでいくのが良いんだ。
きっと。
それが楽しい。
それでも良いのではないかな。
ひとりひとりのキモチの中に、何かが残るということ。
それで良いのではないかな。

幕末。

混乱と動乱の中。
日本を作り変えようをしたヒトがいた。
守ろうとしたヒトがいた。
壊そうとしたヒトがいた。
どれが正しくてどれが間違っているのか。

それは。

判断なんてつかないよねぇ。
みんな真剣なんだもの。
その上に作られた「歴史」の中に我は生きているんだもん。






最終更新日  2017年10月08日 20時32分55秒
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2017年06月12日
カテゴリ:ひみつ

風薫る5月が過ぎ去り、夏も近づく6月の最初の日曜日。

2年前。
泣きそうな思いで必死になってた四段に漸く、漸く合格できたのも束の間、
目の前には高い五段の壁。

それでも仲間に手を引かれ、背中を押され恐る恐る踏み出した五段への道。

もうね。
いちいち書くほどの間も無く、審査の日々はやってきた。
今までの審査は「地方審査」と呼ばれるもので、会場は自分の地元近辺。
年に四回。

五段審査は「関東連合審査」を言われる、その名のごとく関東近県で受審出来るので
その気になれば毎月のように審査を受けられる。

でもさ。

ただでさえ緊張の極地。
毎月なんて神経が切れちゃう。
どこの審査をどのタイミングで受けるか、受けないのか。
そんなところから悩む日々。

ただ。
仲間に恵まれた。
さすがに五段を受ける方々は、すごい。
個々なのに気遣いは半端なく、優しくて、強い。
そんな仲間と共に挫ける気持ちに鞭打って、
必死についていきました。

心挫けそうな、キビシイ講習会にも参加しました。
そこでご縁を頂いた先生の教えも受けました。
さらに知り合いが増え、たくさんの方々に叱咤激励を受け、
共に励ましあい、時には愚痴を零し合い…。

先生にたくさん教えてもらえば貰うほど
出来ない自分が歯痒く。
期待されればされるほど、落ちた報告にがっかりされる先生を見るのに忍び無く。
このままでは教えていただいている先生方の名を落とすのではないかと怯える様な思いもしました。

でもねぇ。
半端ないのよ。
この壁。
大体の合格率は4~5%。
「バカじゃないの?受かるわけないじゃない」と面と向かって言われたこともありましたっけ。ハハハ。
それでも。
挑戦したかったのです。
仲間と共に。

6月最初の日曜日。

「奇跡」って、あるんだねぇ。
「神様」って、やっぱりいるんだねぇ。

2本的中が最低条件。
その、1本目。
なんだかとても素晴らしい音がして的に吸い込まれていきましたよ。
後で仲間と笑っちゃったほど、すんごい音がしたんですよ。

今回の審査ではいつもと違うことを考えてた。

いつもは「自分の思い描く射ができますように。」と。
自分を信じて迷わず引こうと思っていたけれど、2日程前に先生に教えていただいて射の型を少し変えた。
うまくできる自信なんてなかったけど、自分は信じられなくても先生は絶大に信じてる。
先生が教えてくれたことは心の底から信じてる。
そう、思いましたのさ。

2本目は正直、1本目程は良くなかった。
それでもきれいに真っ直ぐ飛んで、ストンと的に収まった。

ここのところ、射形が収まらない。
いわゆる「早気」というやつに襲われている。
充実する前に離れちゃう。
それだけは絶対にやりたくなかった。
例え当たらなくても、審査の先生に「見る価値なし」とだけは思われたくなかった。

それだけ。

だけど、当たったからといって合格というわけではない。
そりゃそうだ。
400名を軽く超える受審者がいるのだ。
当たったから合格出してたら4%なんてことにはならない。
逆に、当たって落ちるってのが一番怖い。
モチベーションを上げる術が見つけられない。

発表までの時間は本当は怖かった。
こっそり震えるほど怖かったんだよね。

れでも、見ててくれた仲間が感心してくれたほど、どうやらがんばれたらしい。
「良かった」と、キビシイ先生が言ってくれたときは正直涙が出た。
ほっとしたぁ。

発表で自分の番号があって、しばしボーゼンとした。
なんか、意味がわからなかった。
そしたら、仲間が泣いて喜んでくれて、それ見て泣いた(笑)

発表見て泣くって初めてだよ。
その日のビールの美味しかったこと!

だから。
心の底から思うのですよ。
どうか。
どうか、みんな早く来て。
みんなにお祝いしてもらったように、みんなをお祝いしたい。
全力で応援するからね。

今回、挑戦し続けていてつくづくいろんなことが身にしみた。
応援って本当に力をもらえるんだなってことを思い知った。
昔から体育会系じゃなかったし、スポーツ観戦もそんなに興味ない。
正直応援してもダメな時はダメだし、逆に騒がれたら余計なプレッシャーとか、気詰まりだよなとか
そんなふうに思ってたんだ。
だけど、応援してくれるヒトがいるってのは、私みたいに自分が信じられないヤツにはありがたい。
応援してくれる人が居るならもう少し頑張ろうかなと、思えたから。

発表を見て泣いた時からもう、感謝の思いばかりが溢れちゃって、言葉にならなかった。
「感謝」
この言葉しか出てこなかった。
仲間に。
指導してくださった先生方に。
友に。
家族に。

ありがとうございました。

何度言っても何十回言っても言い足りないし、伝えきれない。
合格を伝えたら、スマホに続々とお祝いメールが来た。
びっくりするほど、いろんな方がお祝いメールをくださった。
それみて、また泣く訳ですよ。
当日は遅くまでそんなメールに泣きながら返信しました。

本当にありがたくてうれしくて、感謝しかないですよ。

次はまだまだ考えらないけれど。
1年猶予がある。
いちねん、じっくり自分の射を見つめ直しなさいと、そういうことです。
この「いちねん」をどう過ごすかも実は課題なのです。

今週は浮かれに浮かれて過ぎて行きました。
穴に落ちるんじゃないかってほどにさ。
そして疲れ果てました。
ちょっとだけ休んだらしっかり考えようと思います。
自分の目指すものがなんなのか。
どうしたいのか。

なんて、思う間もなく講習会、月例会、合宿と怒涛の土日なんですけどね。

そしてこの「昇段」は即日反映。
再来週の講習会では「五段」として参加するのです。
名簿ももう順番が変わっています。
ちょっと怖いです。
周りの目も変わるのですから。

だけど。
「嬉しいよぅ!」






最終更新日  2017年06月12日 21時46分16秒
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2017年05月07日
カテゴリ:土方歳三
風薫る5月。

気づけば桜はその花びらを散らし、風薫る5月がやってきた。

「和泉守兼定」の展示。
連休は忙しい。
何が忙しいって、密かに続けている弓道が。
お稽古は毎日あるし、審査も近い。
普段練習出来ない分、ここで一生懸命練習したい。

でも。

土方さんの兼定展示は別格。
「本気の命懸け」だから。
まさか、自分がそんなことはできないけれど
土方さんの「命懸けの本気」に毎年勇気をもらうのだ。

でも。


「人間完成の必要」とはかけ離れていくような、そんな一日でした。


ワタシ、弓道やってる資格あるのかしら?






最終更新日  2017年05月07日 22時18分03秒
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2017年03月19日




この感情を誰かわかってくれるだろうか。
感動と言ってしまうにはちょっとフクザツな想い。

rblog-20170319221125-00.jpg


会津の殿様が、新選組を語ったのだ。
もちろん、それぞれご本人ではないし、遠慮や社交辞令もあるだろう。
でも
「大変お世話になりました」とおっしゃった。(笑)

初めて聞く「殿」の講演は聴き障りの良い声と、「誠」と「愚直」が会津と新選組を繋いだ。
とおっしゃったその言葉が
表現するには難しい感情を連れてきた。

ときにはユーモラスに冗談を交えながら、史実を淡々と述べ、
「会津藩」と「新選組」を語ったのだ。
近藤さん、土方さん、井上さん、沖田さん、齋藤さん、永倉さん、隊士の方々のご子孫と、
容保公のご子孫。
不肖、会津藩士の末裔のワタクシ。

分不相応ではあるけれど、歴史を遡ってそれぞれのご先祖が見ていたら
どう思ったろう。

笑っただろうか、分不相応だと怒るだろうか、嬉しいと思ってくれるだろうか。


「殿」の語る歴史は正之公から始まり、家訓15か条、さらに幕末のあの動乱の京都守護職拝命を語り、
白河の戦いを語り、五稜郭落城までを語ったのだ。

近藤さんに至ってはその辞世まで丁寧に紹介してくださった。

忠義と誠の心をもって戦ったのに時の利なくして敗れてしまった。
主君の恩に報いられなかった。
「義に倒れるとも不義に生きず」
この「主君」と言うのは慶喜のことではなく容保公のことではないか。と。

うむ、うむ。そう思う。

「幕府」に忠義を感じていたとしてもそれは「慶喜」ではないよな。

近藤さんも容保公には格別の想いがあったと思いたい。
容保公が終生大切に身につけていた「御宸翰」と「御製」それは鳥羽伏見後江戸に戻った新選組が
屯所にしていた場所に大切に保管されている。

容保公は壬生浪士隊の稽古を見たことがある。

記録に残っているのは斉藤さんと永倉さんの稽古を見た。というもの。
その強さを喜んだ容保公は酒と肴を振舞ったというもの。

八・一八の政変の警備を記した配置図が発見された。

そこには「壬生浪士隊」の文字がある。
お預かりの「壬生浪士隊」が正規軍として認識されていたという、証であると「殿」は言う。
この八・一八の政変で容保公は孝明天皇から「御宸翰」と「御製」を賜ったんだよね

そして会津藩で以前使われていた「新選組」の名前をくれたんだ。
それは容保公の壬生浪士隊に対する信頼だとおっしゃった。

そして「斎藤一」さん

会津とどんな関係だったのか謎も多いけれど。
会津藩が降伏したとき会津藩士として扱われ、その後会津で生きたのは周知の事実。
正規の会津藩士ではないのだから脱走することも出来たろうに、
会津藩士としてその後の人生を生きたのだ。
「志を捨て去るは正義にはあらず」

はじめさんらしいよね。

「微衷を尽くす」ってヤツよね。

そしてこのはじめさんと容保公の不思議な縁ははじめさんの結婚式を見ればよくわかる。
上仲人が容保公、下仲人は山川浩さんと佐川官兵衛さん。
そして嫁は祐筆の時尾さん。
豪華よね。
まるではじめさんの結婚を会津が藩を上げて祝っているような。

それぞれのエピソードは有名なものだし、びっくりするようなものではないのだけれど。
それが「殿」から語られると…。

う~ん…。感慨深い。

会津藩の犠牲者2973名。と「殿」がすらすらと語られたとき、なんかね、
その中に我がご先祖様も居るのかと
すごーく思ったのですよ。

本で読んだり調べたいわゆる有名な方々だけじゃない、実際にご子孫の方々とあったりした、その
それぞれのご先祖様がさ、どんな思いで、どんな状況でと思うとね。

殿がちゃんと戦った戦士を覚えていてくれるのだ。とかね。

会津のために命を賭して戦ってくれた新選組。
感謝と深い尊敬の念を捧げたい。と。

40分くらいの講演であったけど、満場の拍手の中、講演を終えられた「殿」に
なんだか手を合わせたくなるような想いがしましたよ。

今回「新選組の隊士」の慰霊祭ではなく、「新選組隊士及関係者尊霊」の百五十回忌総供養祭。
それがなんともね。
うれしいとかよかったとかそんなんじゃなくてさ。

なんというか、あの戊辰戦争で戦って命を落とした全ての人に。
もちろん、会津を攻めたヒトたちには恨みというか絶対忘れないゼ。みたいな想いがあって
それはもうDNAに刻み込まれてるから仕方ないよぅと思うし、
ぬくぬくと現代を生きるわたしが気軽に「ごめん、いや、お互い様!」みたいなことは
ご先祖様の生き様を思えばなかなか出来ないけれどさ。

ヒトは忘れることが出来る。
ヒトは許しあうことが出来る。
と、信じたい。

忘れてはいけないこと、忘れたくないことを踏まえて、
それでも様々な思いを胸に、
歩み合うには150年と言うのは短いのか長いのかわからないけど、でも。

互いの傷にそっと手を当てるような想いは持つことが出来るんじゃないかな。

150年前。
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「実に此の事有り、山上に石を立て以って厥の志を表す」

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最終更新日  2017年03月20日 21時48分03秒
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2016年12月31日
カテゴリ:毎日の記録
ほったらかしの毎日。

2016年。開けたと思ったらもう年末(笑)

こんなふうにゆっくり落ち着いてPCに向かうことも久しぶり。
飛ぶように過ぎていく日々に為すすべもなく置いていかれる毎日。
言い訳すれば「忙しい」のです。

土日、祭日はほぼ弓。
平日は2日は弓。
その合間に舞台鑑賞へ行き、ライブへ行き、友達と呑む。
あらら、本当に忙しい(笑)

落ち込んだり、舞い上がったり、やっぱり凹んだり。
感情も忙しい。
痛かったり、良くなったりご飯食べれなくなったり。
体調も忙しい。
それでも寝込んだのは…わずか数日。
意外と健康。

もひとつ言い訳すると。
今年の年初めに派遣で行った会社に就職しました。

一昨年長年勤めた会社に追い出され(笑)大好きな職場を失ってから
1年放浪してましたが、漸く落ち着き先が決まりました。
終の棲家となるように日々努力です。

余談になりますが、この会社、とてもユルいのですが、
なかなかハードな面があり、「簡単な試験だから受けてみて」と試験を受けました。
最初は「基礎」だけで良いと言われたのですが、
無事合格すると次々に試験が目の前に繰り出され、気付けば「一般試験」と呼ばれるものを
4種類、月に一度のペースで受けました。
4コ目の試験が終わる直前、次のステップの試験のための講習会が開かれ
何故か参加しました。
参加したら受けなくちゃならないじゃん!
ってことで残り2つ、受けました。

これがね、めちゃめちゃ難しかった!
「法律」と「税務」
まったく畑違いの試験ですよ。
しかも、私の仕事には関係なーい!
と、思うまもなく試験勉強、がっつりしましたよ!
だって、だって、全然わからないんだもん。
講習を受けても、単語も意味もイメージも全然掴めない。
本当に焦った。

「何度受けても良いからね」そんな風に言われて、尚焦る。
試験前の一週間はさながら期末試験のように、いや、それ以上に勉強しましたよ。
もうね、理解できないから覚えるしかない!ってことで。
問題集、何度も何度もやりました。
それでも全然合格ラインに達せず、絶望的な気持ちで受けた試験。
これがまあなんとも。
問題集に出た問題が出ないっていう。
かと言って、テキストにあった!って言う感触もなく。
ただただ呆然としながら受けました。
そしてマサカの合格。

これはね~。
誰もが唖然としましたね。
なにより自分が一番びっくり。
7月に最初の試験が有り、最後のマサカの合格が12月。
いや、大変だった。

その間に審査ももちろん受けまして、こちらは安定の不合格。
まだまだ道は遠いのです。

新しく見えた世界はとても広く、感動している間に時間は過ぎていくのです。
講習会でお世話になったK先生にみてもらえる機会も増え、それにつれて道は険しくなり(笑)

先日新たにもうヒト張り弓「Bob」を購入しました。
こちらの弓は3ヶ月程時間をかけてなじませていくので、
来春には引けるようになる予定。
冬の審査には間に合わないので、通常使っている「龍太郎」で臨みます。
四段に受かったら幕末にまた戻りたいと思っていたのにますます忙しく、
なかなか戻れません。

でもなぜか「坂本龍馬の手紙を読む」会には参加してるし、彦五郎忌にもちゃんと参加。
兼定も特別展示があったので今年は2回、見ることができました。

夏には中禅寺湖で船に扇を立てて、射るという、
「扇の的弓道大会」に参加。
那須与一です。
そんなこともあり、義経の時代に寄り道したりしてました。
「水干」とか「直垂」とか「狩衣」とか興味がつきません。

舞台は少なかったかな。
夏の「ジャージーボーイズ」がめちゃめちゃインパクトが強く、
ミュージカル苦手なんだけど、「タイタニック」に続く良作で
かなりイメージが変わりましたね。
いや、本当に良かった。
また観たい。絶対観たい。

他はまぁ、ちょこちょこと。
行って失敗した舞台はなかったけど、感動するほどのモノはそうなかったかな。
いや、「ジャージーボーイズ」がすごく良すぎて霞んじゃったってのが正しいかな。
あ。Dazzle。
Dazzleの「りんどろんど」は良かったな~。
ダンスで泣けるのはDazzleだけだな。
「花ト囮」も衝撃的だったけど「りんどろんど」は本当に良かった。
迫力が凄かった。
もっと観たかったな。

やっぱりこれはどうしても私の中では受け入れがたく、未だに信じたくないのだけど。
「SMAP」
ジブンを構成している細胞がぽこんと欠けた。
こうやって、世界は変わって行き、知らない世界になっていくんだな。


書いてて気づく。
結構ハードな一年だったな(笑)
そうそう。なによりなにより。
PCがね。
なんかインターネットが不安定ですぐ切れちゃう。
そしてしばらく繋がらない。
これが一番大きいよね。
なんとかせねばな。

以上、こんな感じに楽しく生きてます。

今年も一年の締めくくりのトキが迫ってきました。
昨日まで弓、引いてましたが(笑)今年は大掃除しました。

年内にお会いできた方、逢いたくてもお会いできなかった方々。
逢えても逢えなくてもいつも思ってます。
折に触れ、どうしているかなと大切に思ってます。
来年はお逢いできると良い。と、切に思います。

そして感謝しております。
本当に今、ジブンがこうしていられるのはひとえにみなさまのお陰なのです。
そばにいてもいなくても、ココロの中にいる方々のお陰なのです。
本当に感謝しかありません。
皆様の、次の一年に幸、多かれとお祈りいたします。

来年の目標
「ちゃんとする」
もうすこし落ち着いて日々過ごせたらなー(笑)







最終更新日  2016年12月31日 22時47分47秒
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2016年03月01日
カテゴリ:ひみつ
弓道、やめようかな。

腕、なんだか治らないし。
どこが痛いのか医者へ言ってもわからないし。

弓、引かなきゃ痛くないんだもんな。


痛いの我慢して我慢して我慢してやる意味が分からなくなってしまった。
言われてることが出来れば良かったのかな。

痛みには随分強くなったと、思っていたのにな。
痛くて涙が出るなんてコドモじゃあるまいし。
痛くて頭真っ白になっちゃうなんて、そんなの。

ヤだな。

気のせいだと、引いていればそのうち慣れると、思っていたんだけど。
はぁ。

こうやって、ひとつづついろんなことあきらめて、
それが「年を取る」ってことなのかな。

とても、大好きだったんだけどな。
はぁ。






最終更新日  2016年03月01日 21時42分01秒
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2015年10月25日
カテゴリ:会津への道
久しぶりに、ようやく行かれました。
念願の、会津。

今回はまず、土津神社にお礼を。

久しぶりだよ、新幹線。
実は前日ぜんぜん眠れなくてオメメギラギラでした。
磐越西線でまずは猪苗代へ。

なんか、ドキドキするよぅ。
駅前は結構賑わっていてはてはて?と思ったら
なんでも猪苗代ハーフマラソンがあるとのこと。
なるほろ。

紅葉が、始まっていました。

rblog-20151025222440-05.jpg

鎮石のまわりはぐるりと回れるようになっていて、ゆっくりゆっくり
巡ってきたよ。

拝殿まで降りてきて、そこそこに染まり始めた山を見上げる。
まだまだ見頃には早いんだろうけど、私の目には本当にキレイに見えた。
山も。神社も。
で、泣けてくる。
まだ会津にも到着してないのに、泣けて泣けて仕方なかった。

出来るだけ丁寧にお礼を申し上げ、新しいお守りを頂きました。
御朱印も。
そして願いを叶えていただいたお守りはお返ししました。

同じお守り、売ってたんだけど同じものとは思えないほど色が違ってた。
え。こんな色だっったっけ?ってほど…笑

握り締め縋り付いたからなぁ。てへへ。

新しいお守りはふたつ買いました。
共に戦う仲間にも。

今回の挑戦は本当にいろんな事に気づかされましたな。
ひとりで頑張ってると思ってたら、いつの間にか周りにたくさんの人がいて、
共に同じ方向を向いて、共に背を押してくれた。
自分もそんな風に、誰かを応援したいと、誰かのチカラになりたいと思いました。
応援がチカラになるってこと、実感したし、涙が出るほど嬉しかった。

そんなこと思ってたらもう…笑えるほど泣けてきた。

ま、そんな気持ちも空腹を満たしたらがっつり元気を取り戻しましたけどね。
なんとなく食べた普通のラーメンだったけど、やたらと美味しかったよぅ。

そして、そしていよいよ会津へ。

宿に荷物を預けると、チャリを借りて一目散にまずは「阿弥陀寺」
一応、ご先祖様へお参りせねばね。

でも行ったら驚いた。
先月のお祭りの名残なのか、常設なのか、境内に屋台が…\(◎o◎)/!
は?
な、な、なんですか?!コレは?

気を取り直してご先祖様へ報告とずっと来なかったお詫びをして、フト見たら。
御三階が開いてる!
なんかいろいろ変わってるぅ!

おそるおそる近づいたら人が寄ってきていろいろ解説してくれるの。
マサカと思って聞いたら御朱印も頂けるとのこと。
以前はなんだかんんだと頂けなかったのだが…。
う~ん、フクザツな気持ちです。

藤田さんにもちゃんとお参りをしてから「長命寺」へ。

ここ、いっつも迷う。
小学校の方から来ると入れないのわかってるのに、なんか近道に思えて
いつもまっすぐ行っちゃうんだよね。
で、結局戻って入りなおすという…。学習しないなぁ。
そして相変わらず、道が悪いなぁ。
自転車コワイよ。


rblog-20151025222440-04.jpg

会津の街をふらふらしながら、城へ。
なんか武者姿の方がいて、なんとなく眺めてたけど切なくなってきたので
急いで城へ登った。

歴史を辿りながら、観光客の会話もちらちら聞こえてくる。
やっぱり幕末あたり、白虎隊のあたりは人も多く熱心にみてるけど
明治になるとガラガラ。
いやいや。
あの幕末を経験した会津藩士たちがどんな明治を生きたのか見てよぅ。


しばらく城でうろうろしたあと、一休みしに「麟閣」へ。
抹茶を頂きしばしぼんやり。
そのぼんやりしたまま暮れていく夕日を眺めてた。

思いついて城の弓道場へ行ってみた。
ちょうど練習が終わったようで中学生?高校生?の方々が弓矢を持って外にいました。
もっと早く来たらお稽古、見れたかも。
残念な気持ちで未練がましく眺めてたけど、指導者はいないようで、
みんな弓に寄りかかってケータイみたり、弓で遊ぶような素振りも見えてちょっと、いや、かなりがっかり。
学生さんたちのマナーの悪さは東京もがっかりかりかりだけど、
マサカ会津もそうだとは。

会津の方々にはただならぬアコガレがあるので
清く正しく美しいヒトばかりと勝手に信じてる(笑)
現実を見せつけられたキブンでした。
少しオトナにならないとね、ワタシ。

それにしても
街のアチコチに「八重」のポスターがたくさんある。
思いついてスーパーにも寄ってみた。
「身不知柿」はまだ早いのね。
そう言えば「菊」って会津の名産だよね。
昔よく母が菊の酢の物を作ってくれたのをふと思い出した。

そうそう。会津行ったら欲しかったものがある。
「豆麸」
東京には売ってないもの。
こづゆには欠かせない豆麸。
ちゃんと買いました~。

最近あまり体調が良くなく(年のせいで)熟睡できない。
夜中に何度も目が覚めて眠れなくなる。
でも会津は。
やっぱり会津はぐっすり眠れたわ。


宿は定宿(笑)いや、いつも止まる宿。
朝食が付いてるのだ。
会津コシヒカリ
おいしかったけど口内炎3つにはツライ。
半分くらいしか食べられなかった(泣)


ひとつお寺によってから
院内に行きました


紅葉!
rblog-20151025222440-01.jpg

そして容保公の墓所の脇、松平家の墓所に看板が。
照姫さんがここにいるよっていう、看板。
大正6年、容保公がここに改葬された時、一緒に改葬されたのだけど
なぜか墓誌から削られてしまっていたのだ。
良かった。
本当に、良かった。

院内からひと仕事してから天寧寺へ。
近藤さんの墓所と、土方さんの墓碑へもお参りを。

そう言えば早乙女貢さんもこちらに。

そして古川家へもお参りしました。

時間に余裕があったので融通寺にも寄りつつ、そろそろ帰路へ。

昨日は割と穏やかなお天気だったのに、今日は風が強くて、寒い。
電車もどうやら遅れがちのようで、ちょっとした嵐のようになってきた。

こんなふうにのんびりを時間を過ごしたのは久しぶり。
ずっとずっと追われるように暮らしてきた。
漸く一息ついたけど、まだまだ道は長い。
でも
あせることはないさ。

残された時間は短いかもしれないけど、大丈夫。
もう、大丈夫。
ちゃんと自分のペースでやれるから。

いま、この時期。
会津に来られて良かった。
本当に良かった。
森羅万象、すべてにどれだけ感謝したら気持ちが伝わるのかしら。








最終更新日  2015年11月03日 01時02分42秒
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