2006/02/02(木)23:48
続☆桑名藩戦記
そんなわけで今日もすっかり桑名です
大鳥さんの「南柯紀行」とかぶってる場面がそれぞれの立場から見てて笑え…いや、興味深い!
確か大鳥さん、自分の日記「南柯紀行」では、4月11日江戸城開城の日に脱走してきた旧幕府軍が市川大林寺で総督を決める場面で。
「自分は未熟だからそんな大任は引き受けられないと固辞したが、出発できずに困り果て日光までならと引き受ける」とある。
こちら「桑名戊辰戦記」に出てくる藩士、町田老之丞(天保9年生まれ←土方さんより3つ年下。桑名藩主戦派頭目)の手記によると、
「吾れ、徳川家の禄を受ける事未だ三年なるとも、君臣の大義もとより死をもって報せんと思う。然るに数百年の恩受けたる麾下の士中には一向に報する事知らぬが如き者あり、長大息するのみである」
って、堂々と引き受けてるじゃん。固辞してないじゃん!!
でもこの桑名藩の町田老之丞さんは共に闘った大鳥さんのことをすごく買っているようで
「味方が崩れかかった時も最後まで踏み止まり、負け戦で兵士が落ち込んでいる時も、大鳥のみは陽気で部下を激励していた」
と褒めている。
余談だが…。
この本を書いた郡義武氏は大鳥さんのことを
「ただの学者ならとても箱館まで戦い続けることはできなかった」と言っている。
確かにこの先、戦いをやめる機会はいくらでもあったのに最後まで行ったもんねぇ。諸作家氏が書くほどヘタレではなかったような気がしてくる。
「ただし、この男は名前が良くない。どうしても上方漫才を連想する。これは明らかにマイナスイメージである」
とも書いている_(__)ノ彡☆
そういえば知り合いに大鳥さんの話をするとそういう反応だ!!(爆笑)
土方さんの話も出てくる♪
例の宇都宮城攻略のとき怖気づいて逃げようとした伝習隊の一兵士を
「退却するものは誰でもこうである」と一刀の元に斬り捨てたヤツ。
歩兵はこれに励まされ(←「脅され」じゃないのか?)ふたたび進撃する。
歳三は血刀を下げて悠々と歩を運ぶ―と、桑名藩士中村瑛次の「桑名戦記」にある
当時、この「退却するものは斬る」と言うのはどこでも当然だったようで、桑名隊も江戸脱走のとき申し合わせている
「万一命令に叛き戦場にて退く者あらば、君の御名を汚す故にこの者は速やかに斬。我等に於いても退者あらば諸子速やかに斬るべし」(石井勇次郎「見聞略記」)
なにも旧幕府軍だけじゃない
因州(鳥取)藩の隊長河田佐久馬もこの後の宇都宮城奪還戦で同じ言葉を吐いているし、山形狂介(有朋)も7月25日の長岡再落城の時に、このセリフを言っている。
ただし山形の場合、そのセリフを言ったとき寝巻きのままであることに気付いてそのまま逃げた(!)。というオチつきだったトカ…。
とにかく、当時の考え方として極あたりまえのことだったらしい。
ただし斬る斬ると言っても実際に斬ったのは土方さんだけかも…
やっぱり土方さんはスゴイ!←そこかよっ!
(「桑名藩戊辰戦記」参照)
大鳥圭介「南柯紀行」