ホタテバーガー☆ミ

2006/03/26(日)15:34

リベンジ1@市川編

見たい!行きたい!跡地めぐり(87)

それはHさんの一言で始まった 「旧幕軍が総寧寺に集まった&大林院で軍議したって何処に載ってる?」 え~?それは定説でしょ? ほらほらここに…って何処にも載ってない!( ̄□ ̄;)!! 頼りにならない頼りの「南柯紀行」にも 「四月十一日(略)鴻の台へ出発の令を伝えり…」 「…駅畔なる小寺院に至り兵隊へ昼食の令を伝え置きて寺内に入り見れば、各々団欒して軍議を為せり、…」 としかない。 むむむ。あわてて探すがはっきりと「総寧寺」「大林院」と書いてあるのが見つからない その後Yさんまで巻き込んで考察することしばし。 で、出た結論が 「総寧寺」じゃなくて「弘法寺の大林房」じゃないか… そこへ到達した過程は内緒だけど確かに位置的にはこっちの方がしっくり来る。 ってコトで行きましょ♪行きましょ♪って事に相成候。 ついでに前回いけなかったところとか面白そうなところ回りましょ~。 久しぶりにいいお天気の中、市川へと旅立ったのでした~♪ 前回北西編として訪れた市川~松戸。 弘法寺(ぐほうじ) え~っ!これで「ぐほうじ」って読むの?「こうぼうじ」って読んだのは私だけじゃないはずだ… 市川の駅前通りに参道の入り口があるけれど、それらしきものは全然見えず。 それもそのはず、この弘法寺めちゃくちゃ広い…っーか山。 今はずいぶん縮小されてしまったが昔の「水戸佐倉道分間延絵図」なる絵図でみるとかなりでかい。 しかも「房」がいくつかあってここなら兵を収容するのに都合よさそう。 絵図にもちゃんと「大林房」と載っていてここじゃないかとアタリをつけたわけですよ←Hさん、ありがとう そしてここが「大林房」跡であろう。 昔の面影はかけらも なっしんぐ~! でも手前の柵は当時からある手児奈霊神堂。 ここは その昔、この真間の里に手児奈というそれは美しい娘がいて、その美貌なるが故に彼女をめぐって男達が互いに争い傷つけあってしまいます。 心優しい手児奈はそれを厭い、ついに真間の入り江に身を投げてしまいました。 その手児奈の心情を里の人たちが憐れみ、祠を作って手厚く葬り手児奈の話を語り継いだのです。 万葉歌人・山部赤人がこの地を訪ね 「われも見つ人にも告げむ葛飾の、真間の手児奈が奥津城処(おくつきどころ)」 と歌ったことから手児奈の物語は広く人の知るところとなりました。 この薄命の手児奈を「良縁成就」「孝子受胎」「無事安産」「健児育成」の女神として祀ったのは真間山第七世日与上人で文亀元年(1501)9月9日、上人の夢枕に霊神からのお告げがあり感受されたことから爾来産み、育て、生きる素晴らしさに歓喜する女神として多くの信仰を集めています。 (日蓮宗本山真間山弘法寺案内より) 当時から残る池。 まぁ江戸を脱走してきてほとんど初対面の人たちと軍議をして、あわただしく宇都宮へ向けて発ったであろう土方さんがのんびりここへ来たとは思わないけれど、きっと目にして(←ここ重要point!)通り過ぎたよね。ということで…。 さすが山だけあって入り口はこんなです。ひたすら登りますぅ 途中で見つけた面白いもの 「涙石」 江戸時代、作事奉行であった鈴木長頼は、日光東照宮の造営のために使う石材を伊豆から海を越え江戸川を通って運ぶ途中、市川の根本付近に差し掛かったとき、どうしたことか船が全く動かなくなってしまいました。 そこで長頼は近くの弘法寺に仏縁あり、と思い、石を国府台のふもとに降ろし、ここの石段に使用してしまったのです そのため幕府から責任を問われ、涙ながらにその石段で割腹して果てました。 それからと言うもの石段の一つはいつも濡れており、これはこの時に涙した長頼の血と涙であると言い伝えられています。 (同) うわぁ~。本当にここだけ濡れてるよぅ 勝手に使っちゃったのは悪いけどなにも金儲けしたわけでもないのにねぇ。 厳しすぎますゼ、副長!(←チガウ) ようやく山門に到着。 そしてそこをくぐると… それは見事なしだれ桜。今日満開ですよ もうこれだけで今日来られてよかったぁ~って気分。 しだれ桜はすごいね 花が降ってくるみたいだ。 空は青空。風はまだまだ冷たいけれど、心沸き立つ思いです。 市内一望。昔は当然もっと見晴らしがよかっただろうけど、今はこんな感じ。手児奈霊神堂が見えます。 右にちょっと写ってるマンションが「大林房」の場所。 山を降りて土方さんたちと同じルート、松戸へ向かう 左へ行くと市川方面、右へ行くと松戸方面。←あってる? きっとこの道を通ったよね。と思い込みつつバス停へ。 流石に歩いては行きませんよ、現代人ですから。 土方さんだってきっと馬だよね。なんたって「参謀」 だもんね~ そうそう、ここは 小岩市川の関所跡も建てられています。 きっとみんなここを渡って江戸を出てきたんだろうな 本当の関所は対岸の小岩にあったらしい。 じゃぁ今の小岩には何にもないのかしら…。 ここで川を渡ってまっすぐ行くと「大林院」跡といわれているところに出る。 直ぐに左にずっと行くと「総寧寺」 「総寧寺」に行く途中に「大林院」のほうに曲がると「大林房」跡

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