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2006年06月04日
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カテゴリ:中島三郎助
うらがぁ~うらが~♪うらうらがぁ~~♪♪☆ミ

ってな訳で、浦賀です。
今回のテーマは「浦賀奉行所と三郎助宅あ~んど勤務先

~浦賀奉行所跡~
まずはこれを。

位置関係
当時の奉行所と役宅の地図です。
勤務先である浦賀奉行所自宅こんなに近くodoroki
実際歩いても徒歩5分って所。
上の丸が三郎助と長男恒太郎の自宅、下の丸が次男英次郎(ふさじろう)の自宅。

浦賀奉行所は現在某会社の団地で土地はほぼそのまま残っている模様。
周りを通るが残っています。よろこび

奉行所の堀跡

そしてもう一つ。当時から残っているもの。
石橋

この石橋は奉行所の正面玄関に当たる部分で当時からの面影を伝えるもの。
「奉行所と役宅」の地図を見ると解かるように道の突き当りからずれたところに正面玄関があり、コレはやっぱり敵に攻め込まれた時にまっすぐ襲撃を受けないように配慮されたものだそうだ。
奉行所をぐるりと囲む掘割をわざわざ作ったことといい太平の世というけれど、どうしてどうして今で言う「太平」とはやっぱり意味が違うんだと思うのは考えすぎかな?    (060805追記) 

この浦賀奉行所は

享保5年(1720)伊豆下田から浦賀へ移されたもので、業務は「船改め」をはじめ、地方役所、警察、裁判所、海難救助など広範囲にわたった。
文化・文政(1804~1830)のころから異国船が姿を見せるようになると、江戸を防備する為海防の最前線としてさらに重要な役割を果たすようになり、その格は長崎奉行所に次ぐものとなった。
敷地は東西86m、南北75mの広さ。
享保5年から慶応4年までの約150年間に奉行は初代の堀隠岐守から最後の土方出雲守まで53人が勤めた(2人制の時期も含む)
また奉行所には、与力10騎同心50人の役人も勤めていた。
          (案内板より)
堀

実際ぐるっと歩いてみたけど、当時の面影はないものの地形的にはあまり変わっていないらしく、堀と思しき小川が団地の周辺をぐるりと囲んでいて裏はすぐ山。

裏山

そして神社。

~大六天榊神社~
大六天榊神社
当時はもう少し上にあったらしいが、この地区の鎮守様

主祭神は面足彦命(おもたるひこのみこと)猿田彦神のこと。
大禄天は第六天(多化自在天たげじざいてん)に語呂が通じ、修験者の信奉した仏神といわれている。
道の分かれるところを守り邪霊の侵入を阻止する神として、御祭りしている。
お社の漆喰彫刻は浦賀の神社仏閣に見られる特徴。 (案内板より)

三郎助さんたちの奉行所をずっと見守っていてくれた神様ですね。
ここはちっさい山の上
モチロン人気もなく、聞こえるのは鳥の声ばかりの静かな場所。
見上げる空は晴天dehe

~中島三郎助邸跡~
山を降りて奉行所に沿うように行くと、昔の地図とほぼ変わらぬ地形のまま戸建てが立ち並びます。
三郎助さんの家は役宅だったので跡形も残ってなく、現在たっている家もまるで関係ないヒトが住んでいるんでしょう。

中島宅跡

回りもみんな役宅跡だったはずなので、同僚や部下が直ぐ近くに住んでたんですな。
次男英次郎さんは三郎助さんの父・清司さんの跡を継いだ形なので別に清司さんと一緒に住んでいたんだろうか?hate

~おまけ~
なんじゃもんじゃ
なんじゃもんじゃの木

長島家裏手の自然林にあるモガシの大木
残念ながら昨年から枯れ始め今年の春に枝を落としてしまったguruguruとのことで、いまは幹だけが残る。
偶然、御当主と思われる方にいろいろをお話しを伺えたのだが、枯れる前に沢山胞子を飛ばしたらしく大木は枯れてしまったが若木があちらこちらに芽吹いたとのこと。よろこび
う~む。
自然のチカラって素晴らしい夢中
枯れてしまってもつないでいくイノチ
冬の間は山へ入れるらしく、木の根元に祠があるそうだがもうこの季節になると蛇が出たりして危険なので山へは入らないとのこと。
実際裏庭のなんじゃもんじゃの木を案内していただいたが木の棒で払いながらだったので、実は内心冷や汗たらたら、どきどき。
出てきたら泣いてたねえっへんにょろ!!ぎやぉ~~!

なんじゃもんじゃ若木
これが若木ですがなんじゃもんじゃの木です。

ところどころ赤い葉で遠くから見ると紅葉してるみたいにきれいなんだって。
これが大木だったらさぞ迫力があったんだろう。
ちょっと残念。gokyu

~船番所跡~
船番所跡
浦賀奉行所の出先機関で、享保6年(1721)~明治5年(1872)まで、江戸へ出入りするすべての船の乗組員と積荷の検査をする「船改め」を行い、江戸の経済を動かすほどと言われた。
与力、同心の監督の下「三方問屋」と呼ばれる下田と東西浦賀の廻船問屋百軒余が昼夜を通して実務を担当
「入り鉄砲出女」を取り締まる海の関所としても重要だった。
(案内板より)

後ろに見える建物は現浦賀病院。ここに番所の建物があったのだ。
実務は現場の人だけどその監督をしていたんだね。三郎助さんも。
そして手前の海には船がずらっと並び、さぞ活気あふれる場所だったに違いない。

浦賀文化センターで時間を使いすぎ、もっともっといろいろ行きたかったのだが、時間切れ
迷ってさまよった時間が恨まれる←方向音痴が恨めしい…。
遠いぞ!浦賀!!

浦賀は中島さんのほかにも会津藩が海防警備について領地を貰ったり、流人がここから船に乗ったりとまだまだ知りたいことが沢山。けけけっ

舗道






最終更新日  2006年06月04日 23時44分12秒
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