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カテゴリ:幕末関連書物
脱藩大名の戊辰戦争~上総請西藩主・林忠崇の生涯
上総請西藩主林忠崇の戊辰戦争~その後を書く。 1万石とはいえ立派な大名であった忠崇は徳川家への忠誠が厚く、鳥羽伏見で大敗し御家存亡の危機にあった徳川家を救う為藩士を連れて脱藩、協力を求めてきた幕府遊撃隊と共に転戦。 仙台まで戦ってゆく。 降伏後は脱藩した時点で請西藩は消滅したため、華族にも列せられず流転の日々を送る。 漸く幕府時代の家格を再興したのは明治26年になってから。 辞世 真心のあるかなきかはほふ(屠)り出す 腹の血しを(お)の色にこそ知れ 忠崇の書いた「おもひ出くさ」には自筆のイラストが載っていて、それがまた淡々としていておもしろい。 戊辰の年に数えで20歳。 慶応3年6月に藩主となったばかりの熱血青年。 有名な「献兎賜杯」の儀式をこの方はやったことがなかったんだね。 晩年、名誉回復の後明治32年7月には神職拝殿詰として日光東照宮に勤務。 明治34年の正月に兎を献上 今日の東照宮の歳旦祭(元旦に行われる祭祀)に兎が備えられるのは忠崇が兎を献上したことに発しているらしい。 ちなみに容保候が東照宮の宮司になったのは明治13年~26年。 その後定敬候が宮司となった。 定敬候がいつまで東照宮の宮司をしていたかははっきりしないが、明治41年に亡くなるまで勤めたとすると、定敬候の宮司時代に忠崇は勤務していたかもしれない。 定敬候は献兎賜杯をしたのかもね。 意外なところでは娘ミツはミカド商会という会社を経営、東京の有名デパートにフランス人形を製造し納めていたというが、ママー人形も扱っていたらしい。 体を曲げると「ママー」っていうアレだよね。 とにかく隅から隅まで興味津々な本でした。 あ~。カテゴリ分けたくなってきた。 中村彰彦 ¥680 中公新書 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年02月04日 02時00分22秒
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