房總線(外廻り)時刻表 昭和20年7月
終戦の日です。今年で80年が経ちました。戦争を実際に体験された方、当時0歳でも今年80歳。記録映像の類はかなり残っておりますが、語り継がれる経験談は、どんどん薄れてしまうのでしょう。8月15日の記事は過去2年ほど、先の大戦に関わる内容にしてきました。2023年:時刻表昭和史 宮脇俊三著ぜひ読んでいただきたい一冊。2024年:鉄道連隊 K2形機関車134号津田沼で保存されている、鉄道連隊で使われていた機関車。今年2025年の記事は、ずいぶん前に図書館で読んだ本に載っていた、房総線昭和20年7月改正の時刻表です。どのような本だったのか、今では覚えていないのですが、鉄道モノではなく、地理と史実に関する書籍で調べものをしていた際、たまたま載っていたものです。それを書き写していたノートが出てきたので、今回、それなりに見えるよう、時刻表ふうにつくってみました。本に載っていたものを書き写ししたため、時刻などは正確ではないかもしれません。房總線は今の内房線と外房線です。wikiによれば、1933年にそれぞれ房総西線・房総東線と改名されていますが、そのような表現はされていませんでした。この時刻表自体が、全国的なものなのか、特定地域だけのものだったのかも定かではありません。外回りという表現から、地元用の時刻表が存在していた可能性もあります。そうは言っても、当時は時刻表を入手すること自体が困難だったと、先に紹介した「時刻表昭和史」には記されています。時刻表昭和史 完全版 (中公文庫 み54-2)[ 宮脇俊三 ]令和の今と違うところ、いくつかあります。この表から見える、すぐに気づく違いは、駅の数くらい。今よりわずかに少ないです。列車本数は当たり前ですが、いまの方が格段に多くなっています。残念ながら、距離は載っていませんでした。鎌取 …昭和29年開業(蘇我~誉田間)なお、この区間には、昭和16年まで「大巌寺」駅もあったそうです。わずか数年のみの、幻の駅。鎌取駅と大巌寺駅の関連はなさそう。位置も全く異なります。永田 … 昭和34年開業(大網~本納間)新茂原 … 昭和30年開業(本納~茂原間)行川アイランド … 昭和45年に臨時駅として開業。JR化と同時に常設駅へ。駅名は不思議と、改名されたところはないようです。房総西線こと内房線は、戦後で駅名が変わったところが3つありました。・袖ケ浦 ← 楢葉(昭和49年)・君津 ← 周西(昭和31年)・館山 ← 安房北条(昭和21年)列車の運行形態では、気になるところがいくつかあるので、羅列してみます。・両國まで直通する列車がいくつかあるものの、千葉を中心としていることが見えます。 東京方面から千葉までは、昭和10年に電化されており、列車が入る隙間が無かったのかもしれません。 複々線化はもっと後、昭和40~50年代です。・土氣~大網の所要時間、どの列車も10分以上かかっています。 この区間、房総地域では珍しい、急勾配があったためです。今は電化と合わせ、新線となりました。 また、大網駅そのものも、今とは違う場所にあり、全列車がスイッチバックしていました。 (関連記事:旧大網駅の跡地)・列車番号 下りがなぜか205から始まっています。 211と208、欠番です。きっと運休してしまっていて、時刻表にも載らなくなっていたのでしょう。 233と232も欠番かもしれません。・蘇我を始発終着とする列車の設定、下りは0715着と1830発、上りは0658着と1820発。 これは通勤輸送に特化したものと推測。午前8時から午後5時半?までの勤務時間に合わせたのか。 蘇我付近に軍需工場でもあったのでしょう。 国土交通省の空中写真、昭和21年を閲覧すると、蘇我駅西の海側は、何らかの施設があった形跡があります。蘇我駅付近、昭和21年の空撮です。(国土交通省空中写真閲覧サービスより)戦後すぐ、米軍によって撮影されたもの。真ん中より少し右に蘇我駅があります。蘇我駅の南(下)は外房・内房線の分岐箇所が見えます。海側は何らかの工場があったような広さです。推測するに、空襲を受けて焼け野原となっていたのでしょう。蘇我駅付近を拡大してみます。駅構内左上の方向に、線路らしきカーブした道のよう筋が見えます。その筋は、左方向へまっすぐ進み、海側へ。引き込み線だと思われます。駅から距離が意外にありそう。ここへ勤務する人たちへの専用輸送列車が、もしかしたら設定があったかもしれません。2019年撮影の蘇我駅付近。工場への引き込み線と思われる跡は、そのまま道路に変わっています。周囲と比べ、不自然に曲線が描かれているので、一目瞭然。ことしは終戦80年ということで、違う内容の記事にしようとしていました。それは、祖父が兵隊だったときの写真。数年前、父の実家を解体することになり、30年ほど前に他界した祖父の遺品を持ち帰ったところ、従軍していた時のアルバムもありました。祖父から戦争の話は一切聞いたことがなかったのですが、出征時の記念写真は部屋に飾ってありました。どうも中国大陸に派兵されたらしく、「南京」と記された写真もいくつか。これらの写真を出してみようと考えていたのですが、もっと精査してから、出すか出さぬか判断することにします。――――――