Horse Rainbow 20


Horse Rainbow Vol.20 
「Eternal Runaway~Silence Suzuka Story」



競馬について色々と書いてきた「Horse Rainbow」もついに20作目。
とある知り合いから、こんなリクエストがありました。

「よしきが一番嫌いだった馬 "サイレンススズカ"を取り上げて欲しい。」

この話を頂いたのが、2003年の11月。天皇賞当日でした。
ローエングリンがハイペースでぶっ放したレースです。
あのハイペースを見て、取り上げて欲しいと思ったようです。
と言うよりか、今はサイレンススズカのことは嫌いじゃないんやけどね。。。
何で嫌いだったか、何で今は嫌いじゃなくなったかは、物語の中で話していく事にしましょう。
というわけで、サイレンススズカ物語、スタートしようと思います。


「Eternal Runaway~永遠の逃亡者 Silence Suzuka Story」


サイレンススズカの初戦は、新馬戦。7馬身差圧勝。
ただ、スズカのホントの能力は、2戦目で発揮されることになる。
新馬直後の2戦目には、何と弥生賞(G2)。
普通じゃ考えられないローテーションを使うことに。
しかし、ここでスズカはとんでもないことをやらかします。
ゲートを飛び出し、何と外枠発走。
仕切りなおしのスタートでは、何と2秒の大出遅れ。
単2番人気の馬が、あっさり消える瞬間。。。
そんな大出遅れをした馬が、何と4コーナーでは先頭に並びかけようかという勢い。
まさか。。。とは思ったけど、結局8着に惨敗。
ただ、このレースでインパクトを一番与えたのは、サイレンススズカだった。

調教再審査後の500万下を圧勝。
そのあと、プリンシパルS(OP)も快勝。
しかし、ダービーはサニーブライアンの逃げ切りにあい惨敗。
ここで、スズカは距離の限界を感じることに。
復帰初戦の神戸新聞杯(G2)は、マチカネフクキタルに雪辱される。
ここで、菊花賞を諦めて天皇賞秋(G1)へ挑戦。
鞍上は、この頃には河内洋騎手にスイッチ。
しかし、古馬の壁を感じる6着。
続いてのマイルCSでも、桜花賞馬キョウエイマーチの快速逃げ脚ににハナを叩かれ惨敗。
しかも、レース中に鞍ズレを起こし、レースにならない状況。
そのまま、香港へ遠征するも、香港では5着惜敗。
でも、この時、鞍上の武豊騎手は何かを感じることになる。。。

4歳初戦、バレンタインS(OP)。
香港で武豊騎手というベストパートナーを手に入れたスズカ。
もちろんながら、単1倍台で圧勝。
その後は、中山記念(G2)・小倉大賞典(G3:中京)と連勝。
その次のレースで、スズカはあっといわせることをやらかします。
中京の金鯱賞(G2)。
スタートから逃げに逃げたスズカは、何と2着に大差をつける快勝劇。
思わず、開いた口が塞がらなかったです。
多分、この時はこう言ってたんでしょう。
「あれ???スズカに勝っているマチカネフクキタルは???」と。
スズカの強さには、ホントは脱帽してたんです。
でも、バレンタインSの頃から、スズカの事を滅法嫌うようになりました。

サイレンススズカが嫌いだった本当の理由は、これなんです。
「途中から、武豊騎手が乗った」ということなんです。
よしきの「武豊騎手嫌い」は、メジロマックイーンの時期までさかのぼります。
メジロマックイーンは、3歳のときに菊花賞を制覇。
そのときの鞍上には、若手の内田浩一騎手でした。
この菊花賞を見て、よしきは思ったんです。
「久しぶりに、いいコンビが注目されるようになるわ。」と。
しかし、その夢は、次の阪神大賞典で打ち砕かれることになります。
何と鞍上には、何と人気ジョッキーの武豊騎手。
もちろん、テン乗りの武豊騎手は、阪神大賞典を快勝しました。
金杯(西)で、内田浩一騎手がメジロマーシャスで落馬したのが原因と言われています。
ご存知の通り、その後は武豊騎手との名コンビとして語られます。
誰も、菊花賞を内田浩一騎手で勝ったことなど、忘れ去られたかのように。。。
この一件から、よしきはメジロマックイーンと武豊騎手を嫌うようになりました。
逆に、「メジロパーマーと山田泰誠騎手」を、追っかけ続けましたけどね。
サイレンススズカに関しても、似たような感じがしてるんですよ。
最初はずっと上村洋行騎手が乗って。で、河内洋騎手がちょっと乗って。
その後、武豊騎手が乗った途端に連勝街道を驀進。
あの時のメジロマックイーンをダブらせていた感は強いです。
よしきは、「1頭の馬に1頭の騎手」と考えるのが好きなんです。
テイエムオペラオーには和田竜二騎手、ヒシミラクルには角田晃一騎手、という感じです。
騎手としては超一流じゃないけど、名馬との出逢いで騎手が成長する。
そういうのが大好きなんですよね。
だから、強くなった途端に超一流騎手に乗り替えるのは、今でも好きにはなれないんです。

実は、4歳になってからのサイレンススズカの馬券を、1度だけ買っていることがあるんです。
それは、唯一のG1勝利となった宝塚記念(G1)。
武豊騎手がエアグルーヴに騎乗するということで、代打で南井克己騎手が乗ることになりました。
この時は、ステイゴールドからの馬複で、サイレンスズカを相手に入れて買ってました。
この時も思ったんです。
「やっぱり、ユタカちゃうって。南井さんやから勝てたんやって。」
そう思う以外、馬券を取った理由をこじつけられなかったんです。

そんなこんなで武豊騎手が戻ってきた毎日王冠(G2)。
G2のレースとは思えないほどの混雑でした。
この時は、大学の先輩に誘われて、府中競馬場まで足を運びました。
「そろそろスズカの連勝は止まるでしょう。大穴狙いならサンライズフラッグですよ。」
先輩にはそう言って、サンライズフラッグからの流し馬券を買います。
ただ、スズカのレースに共通してやってたこと。
サイレンススズカ以外の馬の総流しを買うようにしてたということです。
G2のファンファーレがなるのに、場内の盛り上がりはG1以上。
そりゃそうです。サイレンススズカ・エルコンドルパサー・グラスワンダーの3頭が激突するレースなのですから。
この時のサンライズフラッグの人気は4番人気。単勝32倍。大穴狙いには最適でした。
しかし、結果はスズカの圧勝劇。
まわりからの拍手の渦の中、よしきは思うことがありました。
「サイレンススズカが負けるとしたら、天皇賞秋だろう。
あのジンクスを、スズカが破れるとは思えない。。。」

それから3週間後。
1998年11月1日。天皇賞秋当日。
1週間前から、まわりはざわついていました。
それもそのはず、よしきが言ったジンクスで、まわりは相当ざわついていました。
「天皇賞秋の1番人気は、負ける。」
そう、天皇賞秋では、10年以上も1番人気が勝てないレースになってたんです。
それを知ってたよしきは、大穴を取るためにこういうコメントになったんですね。
で、この時に聞かれたことがありました。
「1着じゃないとしたら、いったい何着よ?」と。
よしきは、冗談でこういうしかなかったんです。
「ジンクスが生きてるとしたら予後不良。つまりは競走中止。
普通のレースしたら多分1着やて。
あの馬は、大穴党のよしきにとっては、どうしようもない馬やねんて。。。
裏の京都のメインでも頑張ることにするわ。
願わくば、サイレンススズカが外枠にでも入ればね。
サイレントハンターと競り合ってくれへんかな。。。」と。
言ってみれば、ただの強がり。明らかなジョーク。
ただ、そのジョークも、金曜日のお昼には打ち消されました。
「サイレンススズカ 1枠1番 武豊騎手。」
あの枠順を見たとき、思わずこう話していました。
「サンライズフラッグからいくしかないねんって。。。
スズカをぶっこ抜けるのは、こういう追い込みにかける馬しかいない。
あとは、吉田豊(サイレントハンターの鞍上)に託すわ。」

そんなこんなで迎えた天皇賞秋当日。
混雑を回避してか、よしきと先輩は中山競馬場にいました。
中山競馬場も、ものすごい人になっていました。
中山で、唯一先輩に聞かれたことがありました。
「スズカ鉄板やろ?」と。
よしきは、こう答えました。
「遊びでボックスにしといたらどうです?万が一ってのがあるんで。」
その言葉を聞いた先輩は、こう答えました。
「じゃ、相手はどれ???」
「ステイゴールドは絶対買いでしょ?オフサイドトラップも怪しい。
もちろん、サンライズフラッグは買います。
念のため、4頭ボックスにしといたらどうです?
金額配分は、先輩のうまいところでしょ?」
オフサイドトラップ。。。何か予感がしてました。
スズカみたいにずっと前にいる馬は、きっとオフサイドポジションにいるような気がする。と。
98年は、サッカーのワールドカップがあったので、この馬が何故か気にんったんです。
結局、よしきは全部で3000円をサンライズフラッグからの流し馬券・複勝を購入。
普段のG1だと1万円使ってた時期なので、いかに勝負していないかがわかります。
逆に先輩は、1万円以上使って馬券を購入。
サイレンススズカから3000円ずつ3点に流して、あとは500円ずつでスズカ以外の馬のボックスを購入。
そして、ファンファーレが鳴り響く。レーススタート。
サイレンススズカは逃げる。2番手サイレントハンターにも8馬身差。その後ろは更に8馬身差。
1000m通過が57.4秒。よしきは、思わずこうつぶやいた。
「早すぎるわ。。。」
と言ってる間に、もう3コーナーへ。大欅の向こうをサイレンススズカが通り過ぎる。とその時!
先輩がこう言った。
「あれ???ユタカの乗り方がおかしいで。」
そう気付いたときには、よしきはこうつぶやくのが精一杯だった。
「無理やな。。。もう、あの馬は。。。」
場内には、こんな言葉が響いた。
「あー。サイレンススズカ故障発生。。。」
そんな言葉をかき消すように、中山競馬場にも悲鳴が響く。
でも、レースは続く。4コーナーを回った。先頭はオフサイドトラップに変わる。
内からステイゴールドがやってくる。
その時、思わずこう叫ぶしかなかった。
「よし!そのままや!いけー!」
まわりの誰もがこちらに目を向けた。「ふざけるな!」という目線で。
20mくらい横にいた女の子2人組は、泣きながらレースを見てる。
結局、オフサイドトラップ1着。2着ステイゴールド。3着サンライズフラッグ。
よしきは、先輩にこうつぶやいた。
「すんません。俺が変なこと言ったばっかりに。。。」
先輩は、こう言った。
「気にすんなって。よしき、お前が払戻行ってくれ。俺は怖くて行けん。。。頼むわ。」
こんなときに払戻の窓口に並ぶこと、それはとんでもないことなのだ。
払戻の窓口付近は、まるで紙くずの嵐のような風景になっていた。
下を見る。ほとんどの馬券が、「1絡み」。
そりゃそうだろう。。。単1.2倍の馬が競走中止じゃ、そうもなるのも無理はない。
もちろん、払戻窓口に並んでるのなんて、よしきくらい。
そうすると、後ろからこんな事を聞かれた。
「スズカ、どうなっちゃんでしょう???」
よしきは何もいえなかった。ただ、首を横に振るしかなかった。
競馬をずっと見てきた経験上、あの骨折はアウトというのはすぐにわかった。
でも、落ち込んでるまわりの雰囲気を、どん底に落とすことだけは避けたかった。
「予後不良」って言葉は、あの場所にはタブーだったのだ。
だから、何も言わずに払戻を済ませた。
せめて、首を横に振ることくらいしか出来なかったのだ。。。

この払戻を終えたとき、よしきは覚悟を決めた。
「今までにない責められ方、するかもな。。。でも、普段どおりにしてよう。」
その思い通り、夜からよしきの携帯は鳴り続けた。
「誰かが変なことを言い出したばっかりに。。。」
「あの3コーナーで、お前なんかやったやろ???」
「あの馬券を取ってるやつの顔が見たいわ。。。」
やりきれない気持ちを、全部よしきにぶつけてくる。
そりゃ仕方ない。今のよしきには、何を言われても仕方ない。
それだけのことを言った責任を感じるよしき。
この状況は、週末の競馬が始まるまで続いた。。。

今でも、よしきのまわりでは、こういう言葉がある。
「よしきの"予後不良"発言は、ホントに怖い。」
でも、スズカの一件以降、6年間この言葉を使っていない。
いや、使うことは多分ないだろう。
ウソから出た言葉が、こんなにも影響を与えてしまうのなら、言わない方がいいと。
思わないほうがいいと。
たとえ、それが冗談で、場を和ませる・笑わせる言葉であってもね。。。


スズカがいなくなってからの競馬は、特に個性派という存在が少なくなってます。
よしきが最初に見始めた競馬。16年前。
個性派といわれる存在が、たくさんいました。
どんなときでも逃げるツインターボ。
長距離に滅法強いミスターアダムス。
数え切れないほどの個性派が、ターフをにぎわせていました。
そのたくさんの個性派が好きで、競馬に嵌まりだしたのがキッカケでした。
その流れが一旦消え、サイレンススズカは、また1頭の個性派として存在します。
個性派好きのよしきが、いつまでもスズカを嫌ってるのもしゃーないかなぁ。。。と思うんです。
今思えば、こういうことがいえるのかもしれません。
「20世紀最後の個性派、サイレンススズカ。
多分、どこまでいってもずーっと逃げ続けてるような気がする。
Etarnal Runaway。永遠に逃げ続けられるような、強い脚を天国でもらって欲しい。。。
サイレンススズカ、永遠の逃亡者であれ。。。」
永遠に逃げ続けること。あのスズカなら、可能かもしれません。
今まで見てきた、どんな逃げ馬よりも強かったんですから。。。


なお、この年齢表記は新年齢方式で書いています。
当時走ってたときは、数え年方式だったので、1歳多く考えてください。
また、Flashで泣けるサイレンススズカ物語を探してきました。
見たいって方は、こちら を見てください。


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