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2006.02.07
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カテゴリ:本日の主張
日本は民主主義の意味を噛み砕かないままに直輸入したために混乱していると書きました。
例えば、人権とか平等とかいう概念もえらく誤解されています。
人権については以前に書いたことがありますし、平等についても機会があればまた書くこととして、ここでは飛ばします。

噛み砕かないままに直輸入したと書いたのとは矛盾するようですが、きちんと噛み砕いて輸入していた時代もあるのです。
なんと、それは明治維新の頃なんですね。

黒船来航、開国以降、日本は列強諸外国からこぞって不平等条約を強いられていました。
独立国としては耐え難い屈辱。なんとかこれを撤廃して対等になりたい。
そのためには国を富ませ、軍備を増強しなければならない。
それを急いで実現するためには、欧米列強の民主主義&資本主義を大至急輸入するしかない・・・

しかし、実際に欧米を見た伊藤博文さんや西周(にしあまね:津和野町出身)さんたちは、本当のその神髄に触れてしまい、そして愕然としたんです。
なんと、これは「一神教」がないと成立しない論理ではないか。そんなものは日本には古来から全くない!

唯一絶対の神が言ったから、そうなる。そうでなければならない。それは神の意志・・・
このような考え方が日本に根付くはずがない。
日本の神仏は「願えば助けてくれる救済の神仏」であり、命令なんてしたことないんだから・・・

そう考えた彼らに、逆転ウルトラCの発想が浮かんだのです。
そうだ!唯一絶対の神を創ろう!
なんと恐れを知らぬ考えでしょう。
しかし、デモクラシーとかキャピタリズムなるものを日本に根づかせるにはこれしかない。
幸いにも日本には「それらしき存在」が古来から、それこそ神代の時代からおわすではないか。
そう、それが天皇神格化という大発明だったのです。

当時まだ、偉いけどと考えられていた天皇をに高めるためには、国家が神だと指名してはダメです。

そこで、五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)の登場です。
ご誓文というからには、誓ったわけです。
明治天皇は、ご誓文によって国のあり方をこうすると誓った。

誰に誓ったか?アマテラスをはじめとする皇祖神・先祖に誓ったのです。
先祖が神なわけですから、当然に天皇は神の子。神の子が神に誓った以上、神との契約であり人民に対する預言(神の言葉)となるわけですね。
こうして急造ながらも完璧な日本版キリストが誕生したのでありました。嗚呼なんたる奇跡か。

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし
一、上下心を一つにして、盛んに経綸を行うべし
一、官武一途庶民にいたるまで、おのおの志を遂げ、人心をしてうまざらしめんことを要す
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし
一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし

これが日本版「新約聖書」となり、明治元勲さんたちの目論みは奇しくも的中しました。

士農工商があたりまえだった国民に平等であると教えました。なぜ平等かと言えば、それは神たる天皇陛下のお言葉だからだと。
藩を廃し、国直轄の県を置くことにした。こんなことは他の国なら大乱になりそうな暴挙。これがなんと粛々と進んだのだからオドロキ。

他にも地租改正、徴兵制などといったトンデモない無血革命が短期間に次々と実現し、ついには民選の議会そして憲法が出来上がってしまったのです。
これを見て仰天したイギリスの日本公使は「天皇は神だ」と言っとか。

司馬遼太郎さんは「一君万民の気性」がこの国に流れていたからだと説明してます。
確かにいくらかはあったでしょう。けれど私は、それよりこの時期の政治家たちのプロデュース能力の高さを買いたい。

こうして、急造ながらも日本の歴史と伝統を活かした日本型民主的国家が創られつつありました。

もちろん、まだまだ生まれたてですからいっぱい不備もありました。
後に、それが破綻の原因になったのも確かです。
けれど、昭和の一時期、軍の暴走を結果的に許してしまったこと、一時的に言論の自由がなかったことなどをもって明治大正まで暗黒の時代かのような印象を持ってしまうのは明らかに間違いです。

日本型民主国家は、確かに出来上がろうとしていました。大正デモクラシー(※1)をもってそれはさらに高まり、次に来る時代には日本型民主主義がまさに確立しようとしていたとき・・・それは死に絶えたのです。

実行犯は確かに軍部でしょう。しかし、日本民主主義に最後の留めをさしたのは民主主義の牙城たる「議会」だったのです。

(※1)大正デモクラシー
日本版「王権神授説の否定」が活発だった時代。
「天皇機関説」(天皇イコール神であることの否定)などが自由に議論できる、いわば最も言論活動が自由だったと時代も言える。
ただし「天皇という存在の否定ができなかった」ことが最大の欠陥と言われる。
言われているが・・・・彼ら自身の中に天皇家崇拝があったり他から圧力があったりしたわけではなく、「天皇が神であり国王でることが日本型民主主義の根幹」と彼らは認識し、これを覆すことはこの時点では不可能だったのではないだろうか。





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Last updated  2006.02.07 22:14:27
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