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創作小説 よしぞー堂

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アリサの恩返し 5 

「食べなー」
 神様、事件です。信じられない事が起きました。
 秋葉弥が買い物袋から出したおにぎりを、あたいの前に置いてくれたのです。
 どうしてしまったのだろう。
 秋葉弥としても、あたいがおにぎりを食べられない事は分かっている。
「やっぱあーげない」
 ふざけた調子ですぐおにぎりを取って、自分で食べたのだから。
 軽い冗談と分かっているのに、あたいの心の中に陽だまりが生まれた。
 単純に嬉しかった。嬉しいものは嬉しいとしか表現しようがない。
「嬉しい」
 本当に。
 幾つも幾つも嬉しいという気持ちが陽だまりを広げて行く。そのうち、陽だまりの中に花畑が生まれた。花々の中から言葉が一つ浮かんで来た。
「ありがとう」
 あたいは陽だまりに出来た花畑に、自分が寝転ぶ光景をイメージした。甘酸っぱい鼻の香りが一杯光の中に広がって行く。
 あたいは今まで着た服の中で一番のお気に入り、真っ白なワンピースを着て、麦わら帽子を被っている。
 体は作り物では無い。人間と同じだ。あたいはあたいだけの花畑に寝転ぶと、手と足をおもいっきり広げ、太陽の光を存分に浴びる。
 あたいは妄想の中だけなら人間になれる。髪もかつらじゃない。肌も柔らかい。人間と同じ血も流れている。ちゃんと心臓の音も聞こえる。横には秋葉弥が寝転んでいる。
「なんて素敵なんでしょう」
 風が吹く。緩い風。温かい風。花々が揺れる。あたいと秋葉弥を祝福してくれるのか、明るくざわめく。
 花々の上を蝶が白い羽を羽ばたかせふわりふわりと飛んで来て、あたいの鼻先にちょこんて止まる。
「鼻を花と勘違いしたかな?」
 秋葉弥がしょうもない駄洒落を言って笑う。
 あたいは目を中央に寄せ、鼻先に止まった蝶を見て笑う。
 理想の世界。現実では水平線の向こうにある世界。現実のあたいは水平線という壁を見つめる事しか出来ない。
 でも今なら壁を越えられそうな気も少し、してしまう。ゴミ捨て場であたいを拾った変わり者が、あたいの前におにぎりを置いてくれた。人間扱いしてくれたのだ。いや、秋葉弥はあたいを人間と思っていない。ちょっとした戯れ、気まぐれでしかないだろう。
 それでも良い。現実と向かい合った所で何の得がある。
 破綻する日も来るだろう。あたいはマネキン。それでも底が見えない闇を見つめているより、夢を見ていた方がマシだと思う。今は、今だけは、生きている物として見て貰えたと信じたい。
 妄想から我に返り改めて秋葉弥を見た。
 秋葉弥はおにぎりを食べながらテレビを見ている。画面には、西瓜みたいなでっけー胸のアイドルが映っている。茶髪を掻き上げ悪戯っぽくウインクする。色っぽい。秋葉弥の顔はにやけている。
「ふんっ! いやらしい!」
 あたいが理想と現実の狭間で苦しんでいるのにこの男は。
 毒づいていた時、何の前触れも無く秋葉弥の表情が引き締まった。秋葉弥が喋り始めた。最初は独り言かと思った。でも話をしながらあたいを見るのだ。あたいに話かけているのだ。
「今日、職場の食堂のテレビで、ニュースを見たんだ。公園のゴミ箱に、赤ちゃんが捨てられていたって。母親は十九才の無職の女。子供を育てるお金が無いから追い詰められて捨てたらしいんだ」
 秋葉弥は再びテレビに顔を向けた。
「俺の実家は牢獄だった。家族が求める俺。俺が求める俺。混じり合わなかった。だから家を出た。出なければ死ぬまで苦しむと思ったから」
 家を出た? 牢獄? 何の話? さっぱり分からない。
「ニュースに出ていた赤ん坊は、物心がつく前に親に捨てられた。育てて行くお金が無いって理由で。俺と赤ん坊を比べたよ。自分は贅沢な事ををしたんじゃないだろうか。あの世界を飛び出したんだ。多くの人が望んでいる世界だ。俺はとても我儘で甘ったれたガキなんじゃないかって自分が嫌になった」
 秋葉弥が天井を見上げた。
「それでも出るしかなかったんだ。あいつとの約束を果たす為には、あの世界から出るしかなかった。とても安心出来るけれど、とても安心出来無いあの世界から出るしかなかった……って、まっ、いいか」
 秋葉弥はあたいのかつらの頭を掻き掻き笑った。
「マネキン相手に俺は何言ってんだよって感じだよ本当に。でも、アリサ。なんかおまえって、本当、生きているみたいな」
 秋葉弥の顔は酔いの所為か照れているのか分からないが真っ赤だ。
 秋葉弥はビールを一気に煽った。
 部屋にお酒の匂いが広がる。酔う訳無いのにあたいまでふわふわして来る。
「俺の正直な気持ち。本音なんて誰でも聞ける訳じゃないんだぞ? 本音言ったの生まれてからおまえで二人目」
 秋葉弥が口の端を斜めに上げ、両手を大きく広げた。
 なんだ?
 思った途端、秋葉弥が近づいて来てあたいを抱き締めた。
「えっ、えっ、えええー?」
 あたいの胸と秋葉弥の胸がくっついている。
 秋葉弥の心臓の鼓動が体に響く。
 どうしてあたいを抱き締める? さっぱり分からんがどうでも良い。あたいはマネキンの中の透明な体でおもいっきり秋葉弥の温もりを感じた。世界にあたいと秋葉弥、二人っきりになれた気がした。
 秋葉弥は唐突に離れると立ち上がった。何をするのか見ていると、タンスの一番上の棚を開けてマジックを取り出した。
 何? 何するの? 
 嫌な予感がした。
 秋葉弥はマジックのキャップを外した。そしてマジックのペン先をあたいに近づける。何をするのって思っていたら、あたいの口元をチョンってペン先で突きやがった! 
「おっ、おんどれ、乙女の顔に落書きだとー!?」
 批難は届かない。
 秋葉弥は満足そうに笑って頷くと、あたいの顔に手鏡を向けた。
 うっ、嘘でしょ。
 唇の右斜め下に黒い点が付いている。まるでほくろだ。乙女の顔にラクガキするなんて最低。
「おお! 色っぽいじゃん」
「知るかぼけ!」 
 間抜け面をおもいっきり殴りたくなった。
「おんどれ、血まみれにしちゃる!」
 荒れていると秋葉弥が顔を近づけて来た。
「樹華……」
 秋葉弥の唇が、あたいの唇に重なった。白キモにもされた事が無い、あたいのファーストキス。
 まっ、いっか。
 嫌じゃない。
 秋葉弥だから嫌じゃない。
 どーせ抵抗出来無いですし。
 あたいはキスの温もりを感じながら考える。
 今、幸せだ。本当ならもう死んでいた筈。あたいは生き残った。捨てられるのはもう御免だ。幸せを逃したくない。デパートに居た時は味わえなかった安らぎが此処にはある。平和な時間が何時までも続いて欲しい。
 ところで秋葉弥は本音を言うのはあたいで二人目と言った。あたい以外にも本音を話せる相手が居るのか。一体、どんな人? 人間なのは分かるけれど。 キスをする前に秋葉弥が呟いた、樹華という名前が気になる。


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