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創作小説 よしぞー堂

創作小説 よしぞー堂

シカエシ 十七




 無事、終業式も終わった。
 みんな校長や生活指導の教師の声を聞いたからか気だるそうだ。
 しかし僅かな期間しか休みが無いとはいえ、春休みは嬉しいのだろう。教室にはいつもより笑い声や話し声が多い。進級して違うクラスになるのが嫌なのか、半泣きで話をしている女子も居るが。
 ケイタは複雑な気持ちだった。事件により、無条件に春休みを楽しめる訳でもない。街へ自由に出かけられない。遊園地に行く予定もキャンセルになった。ユサと一緒に、勉強やゲームや宅配サービスを利用して、DVDでも見ることしかできないが、ようやく落ちつける休みなのは違いない。お互いの家が離れていたら、なにもできなかったかもしれないのだ。良しとしなければと思う。
「キスぐらいしとけよ」
 アサカワが能天気な笑顔を浮かべ、横っ腹を肘で突ついて来る。
 簡単に言ってくれるなよと、ふざけるアサカワにケイタはジト目を向けた。
 したくない訳では無い。それ以上のことだって考えてしまう。だが恋人同士という関係にようやく慣れた段階なのだ。ユサとのつきあいは長い。けれど、キスが簡単にできる話とは思えなかった。
 自分はいいがユサはどうだ。ユサの気持ちを無視したくはなかった。
 しかも周囲でいつ何が起きるか分からない状況だ。
 ユサを守るためどうしたらいいか、そのことばかり考えてしまう。
 ケイタが奥手だから手を出せないと、アサカワは考えているのかもしれない。じれったくてたまらないのだろう。どんくさい弟でも見ている気持ちなのか。
 そんなアサカワが、ケイタは好きだった。自分を心から心配してくれる友達は、お金では買えないと強く思っていた。
「まぁ少しは進展が無いとな。チャンスだぜ」
 チャイムが鳴った。
 アサカワがそう言って自分の席に戻った。
 ケイタは額を掻き掻き唇を突き出した。机に伏せ、担任が来るのを待った。
 とつぜん、廊下を駆ける足音が響いた。競争でもしているような勢いだ。
 ケイタは廊下に顔を向けた。走っていくのは教師達だった。
「絶対に教室から出るな! 分かったな!」
 若い教師が一人、壊れてしまいそうなほど激しくドアを開けて怒鳴り、再び駆け出した。
 クラスの者達は一体なんだと言いた気に、口を開けて固まっている。
 出るなと言われたら出たくなるのも人間の性分。警告を無視したがる跳ねっ返りもいる。
 教師の後を追い、何人かの生徒達も廊下を駆け抜けて行った。
「何があったって言うんだ」
 我慢できなかったのか、アサカワが教室を飛び出し、走っている生徒を一人捕まえた。教室に居る者は、みんな様子を見守っている。
 何度かやりとりをして戻って来たアサカワの表情は、鉛色に変わっていた。明らかに何かが起きたと察したのか、アサカワが口を開くのをみんな黙って待っている。
「マツバラちゃんが」
 アサカワが言った。声は震えている。言葉は続かない。何処を見ているか分からないくらい目は虚ろだ。
 マツバラ。
 教室の空気が張り詰めた。
 ケイタは状況を飲み込めなかった。何か起きた。それは分かる。尋常ではないことが。
「マツバラちゃんがどうしたんだよ」
 緊張に耐えられなくなったのか、一斉に声が上がった。
 失っていた意識をとつぜん取り戻したように、アサカワの体がビクンと跳ねた。
「保健室で……死んでたって」
 女子の一人が甲高い声を上げた。
 それが合図となり、パニックが起きた。
 怒号と泣き声が混ざり、巨大な嵐となった。
「マツバラが死んでたって、ど、どういうことなんだ。なにがどうして」
 他の者と同じく、ケイタもアサカワに詰め寄った。
 何を言っているか、自分でも良く分からなかった。
 アサカワもわからないのか、目を左右上下に激しく動かすだけだ。
 何人かの生徒が、教室を飛び出した。
 教師の警告など意味は無い。
 マツバラが死んだなど、自分の目で確かめないと信じられないのだろう。
「オレもちょっと行って来る。信じられねえ」
 アサカワも駆け出した。
 ケイタはアサカワがマツバラに憧れを持っていることを知っていた。止める気にはなれない。ケイタ自身も真偽を確かめたくなり教室を飛び出たが、保健室には辿り着けなかった。
 教師が廊下に横一列に並んでいた。追いかけて来た生徒達を体を張って捕まえている。犬が死んだ事件で対策を考えたのだろう。まさかすぐに同じような事件が起こるとは考えていなかっただろうが。しかも今度は犬では無い。校医のマツバラ。人間だ。
「戻りなさい!」
「マツバラちゃんがどうなったって言うんだよ!」
「いいから教室へ戻りなさい!」
 怒声が興奮を煽った。
 犬が死んだとき以上の騒ぎ方だ。
 生徒は教師達を踏み潰してでも、保健室に向かおうとしている。
 教師は絶対抜けさせないと決意しているのか、顔を真っ赤にし、生徒達を受け止めている。
 ケイタは教師達の肩口から保健室を見た。
 入り口に男性教師が二人居る。生気無くうつむき立っている。今にもうずくまってしまいそうだ。本当は今すぐ逃げ出したいのかもしれない。多少遠目でも、憔悴しているのが分かった。
 興奮し過ぎたのか、女生徒の一人が崩れ落ちた。
 収集がつきそうに無い。
 救急車とパトカーのサイレンが怒声を切り裂いた。
 生徒達は一瞬だけ静まったが、すぐに騒ぎはじめた。
 自分がどうして騒いでいるのか、理解していると思えないくらい大声を張り上げている。
 ケイタはサイレンを聞いて、胸糞が悪くなった。
 最近になって何度も聞いたメロディ。
 ケイタは胸を殴った。胸焼けの気持ち悪さが体の隅から隅まで広がった。
「なんだってんだよ。なにがどうなってんだよ」
 ケイタの声も、マツバラの身を案じる怒声の中に掻き消えた。
「戻りなさい! 落ちついて。とにかく戻りなさい! 黙って先生の指示に従いなさい!」
 集団の背後から、熊でも怯えそうな声が響いた。
 みんな一斉に振り返り黙った。
「通しなさい。速やかに教室へ戻り先生の指示を待ちなさい」
 スーツ姿と警官服の男たちが近づいて来る。
 教師だけでは無く生徒達も冷静さを取り戻したのか、何人か大人しく引きはじめた。
 眼鏡をかけた女教師の一人が、泣きじゃくる女生徒の肩に手を置いて諭しはじめた。
 警察官は一気に保健室に雪崩れ込んだが、一人、飛び出て来た。若い警官だ。壁際に行き、腰を曲げて吐きだした。白髪混じりのベテランだろう刑事が、追い駆けるようにして保健室から出て来た。そして吐いている警官の太股を後ろから蹴った。生徒に与える影響を考えたのか、白髪混じりの刑事は、ケイタ達の方を見てアゴをしゃくった。
 警察官の態度から、ケイタはマツバラの悲惨な状態を察した。頭の中が凍りついた。
 何もかも真っ白だ。
 本当に何が起こっている。
 少し前まで本当に平和だった。
 ユサに告白できないという悩みはあったが、いまの状況を考えるとものすごく小さなことをぐだぐだ考えていたと思う。
 遠かった筈の死が、自分の周囲で、一気に生まれているのだ。
「なんでこんなことに……なんで……なんで!」
 ケイタは浮かんで来る疑問を止めることができないまま呟いた。






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