シカエシ 二十ケイタの家は炎の猛威から無事だった。 隣同士といえ、塀を挟んで少し離れていたし、樹木など燃え移る物も無いのが幸いして、壁が少し黒くなっただけで済んだ。 家にはアソウだけではなく、ユサやコウタロウ親子、リュウヤも居た。 みんな、アソウから目を離さない。 「全員殺されたっていう酷い事件だった。老人も子供も男も女の区別無く、赤ん坊まで居た。ナタで切り潰されたり、鈍器のような物で顔が潰されていたり。バラバラにされて」 廃村の今にも崩れそうな民家で怪談話をしているような薄暗い静けさの中、アソウは、淡々と口を動かし続ける。 「当時、私は駆け出しの雑誌記者でね。警察より先に犯人を見つけてやろうと浮かれていたの」 わざとらしいくらい重い息を吐き、スミエが熱そうに自分の首を撫でた。重い気配と緊張に疲れてしまったのだろう。コウタロウも息を吐き、自分の頭を撫でて腕組みをした。 「殺された家族は人に恨まれるようなことは、一つも無かった。取材をしていくうちに分かったんだけど」 スミエは首から手を離し、目を瞑り、コウタロウと同じように腕組みをした。 ケイタはアソウの瞬きが極端に少なくなったことに気づいた。取りこぼす物がないよう、細部まで思い出そうとしているのかもしれない。 「ただ一つ、ちょっとした自動車の接触事故を起こしていたの。それもぶつけたんじゃなくて、ぶつけられたらしいの。自転車を」 「女が自転車でぶつかったということ?」 スミエが口を開き、首を傾げた。自分の聞き間違いでは無いかと言いた気だった。 アソウはゆっくりうなずくと、お茶を啜って言った。 「ぶつけられたと言っても、傷もたいしたこと無かったから許そうとした。ぶつけた女は、あんたがこんな所に車を止めているのが悪いんだって逆に怒り出したらしいの。車は何処に止められていたと思う?」 アソウが目を大きくし、全員を見回して話を続けた。 「赤信号で車道に止まっていたのに、後方からぶつけられたらしいの」 アソウは肩を竦めた。 「今風で言えば逆ギレ。そんな物に耳を貸す者は誰もいない。警察だってそう。それから女の嫌がらせがはじまった。玄関の前に、トイレから取ったのか、排泄物を撒いたり、一晩中ラジカセでお経を響かせたこともあったの」 「異常じゃない」 ミチコの声は上ずっていた。 アソウは深くうなずき話を続けた。 「警察に相談しても、近隣トラブルは住人同士で解決してくださいの一点張り。今みたいに迷惑防止条例がある訳じゃなかったから」 ケイタはミチコが唾液を飲み込んだことに気づいた。それくらい音は大きかった。 「一旦嫌がらせは止まったらしいの。だが一年後、家族は何者かに惨殺され、女は姿を消した。警察はトラブルを知っていながらも、違う部分から検討したらしいわ。殺された側には、娘さんが居た。恋人が居たらしくてね。でもつきあうことを反対されていたらしいの。警察にとっては楽な解決よね。恋人がやったということで解決したの。遺書も発見された」 「遺書があったんなら」 コウタロウが言うと、アソウは当然の疑問と思ったのか、深くうなずいて答えた。 「男の子の遺書を見た両親が、友人が、先生が全員、筆跡が違うと証言したの。遺書は蛇がのたくったような字で書かれていた。それでも警察は信じなかった。身内が庇うのは当たり前と言うことでね。冤罪よ。恋人の男の子も首を吊って死んだから、無理心中ということで幕は閉じられたの」 「ひどい」 ユサが嘆いて頭を振った。 ケイタの中で警察は法の番人という幻想が崩れようとしていた。 テレビやインターネットで警察の不祥事は情報として知ることはあったが、何処か遠い世界のできごとに思っていた。 今なら分かる。自分に降り掛かかって実感できた。 「女が犯人とは夢にも思わない。一年も嫌がらせが止んでいる。それで終わり。だから犯人の可能性は低い。それよりも無理心中を図ったという結論の方が話は早い。遺書という証拠もある。そういう理屈で終わらそうとしたの。女を探そうにも、溶けたように消えている。警察はやる気無し。事件は風化した。もう二十年も前の話よ」 「ありえない」 ケイタは気持ちを正直に吐いた。有る訳がない。 「有り得ないことが起きるのが世の中なの。冤罪事件なんて山ほどある。記者として、幾つも見て来た」 苦々しい表情を浮かべたアソウは、テーブルへ静かに湯飲みを置き、深い溜息を吐いた。 二十一話目へ |