シカエシ 二十八日曜日、公園は太陽に照らされていた。黄緑色の芝生まで鮮やかに煌いている。 ケイタは目の前を通り過ぎる初老の夫婦を眺めながら、丸めたブルーシートを持ち直した。 ユサはケイタの数歩前に居て、顔を振り振り、座れる場所を探している。ただ探しているだけなのはつまらないのか、バトミントンをしている子供達の見物をはじめた。大好きな玩具を見て涎を垂らしている子供のようだ。ケイタはユサに呆れながら、自分も場所を探しはじめた。ユサに任せていると、夜までかかりそうな気がした。 公園は桜の名所と知られている。花見客で満杯だ。 まだ昼間だというのに、大学生らしい集団が酒盛りをしている。髭を生やした男たちが、ビール片手に仲間と笑い合っている。空気中に華やかな桜と酒の匂いが漂っていた。 「あそこ開いてるよ」 ユサが駆け寄って来て言ったので、ケイタは我に返った。ユサが指で指し示す方に顔を向けると、家族連れの横に空間があるのが見えた。二人で座るには、十分だった。 「でかした」 他の者に取られてしまうと、また場所探しに歩き回らなければならない。 「ほらほら、早く」 「わかったわかった」 ユサに急かされながら、ケイタは素早くブルーシートを広げた。 早速靴を脱いだユサがブルーシートに上がった。自分たちの場所と主張するように弁当箱を置き、仰向きに寝転んで大きく息を吐いた。 「あー、ようやく落ちつける」 「ほれ」 ケイタは寝転んだユサに缶ビールを渡した。 「ありがと」 ユサは寝転んだまま缶ビールを手に取った。 「行儀悪いなぁ」 ケイタは苦笑してユサを見つめた。 「今日ぐらい許してよ」 ユサが軽く言ってウインクした。 今日くらいいいか、固すぎるのもしらけてしまう。 ケイタは息を吐きながら笑って諦めた。 「かんぱーい」 ケイタはユサの缶ビールに自分の缶ビールを当てて言った。ビールの苦味を味わいながら、ブルーシートの空いた空間に視線を向ける。 ケイタはアサカワの幻を見ていた。 あいつが居たら、場を盛り上げてくれるのに。 でも居ない。ケイタの中に、薄暗い感情が生まれた。 今、自分はユサと平和に花見をしている。アサカワが居ないのに。 考えても仕方が無いと分かってはいるが、申し訳ない気がした。握った缶ビールが少し潰れ、ぱきっと軽く鳴った。 「何で哀しい顔をしているの?」 いつのまにか起き上がっていたユサが、からかうように言った。 「哀しい顔? してる訳ないじゃんよ。ほら、見てみ。桜がとても綺麗だ」 ケイタはあえておどけた。 考えていることを正直に言ってしまう訳にはいかなかった。 「嘘ばっかり」 ユサは缶ビールに口をつけ、いちどうつむいたあと、頭上の桜を見上げながら言った。 「あれからもう五年も経ったんだよね」 ケイタとしてはどう答えればいいか分からない。 ユサはそれ以上何も言わず、黙って桜を見つめている。花弁の桜色に、心が吸い込まれているのかもしれない。 「犬からはじまって、マツバラ先生、リュウヤさん、お父さん、警察の人。アサカワ君も連れ去られて。それなのに今、あたし達はのんびり桜の下でビールを飲んでいる。そのことが気になる?」 ユサが昔話でもしているように言った。 ケイタはビールを一気飲みして息を吐いた。 どうしてそんなことを言うんだ。 ケイタはイラツキを抑えられず、早口で答えた。 「そうだよ。言う通りだ。自分達が悪いことをしているように感じられるんだ」 「じゃぁ、あたし達は不幸になればいいって言うの?」 「そんなこと言ってないだろ!」 ケイタはユサとにらみ合った。 ユサは無表情だ。視線を逸らす気配は無い。 ケイタは視線を感じ、横に顔を向けた。 隣の家族が静まり、心配そうにケイタ達の様子を窺っていた。 ケイタは家族に軽く会釈をし、改めてユサに顔を向けて素直に謝った 「わりぃ」 「そういうケイタのお人好しな所、嫌いじゃないよ。むしろ大好きだよ」 ケイタは桜の香りが強くなった気がした。瞼が重くなる。桜の下で眠ってしまいたくなった。 「幸せにならないといけない気もする。みんなの分まで。あたし達は頑張って生きていかないといけない義務がある。あたしはそう思うの」 ケイタは自分の鼻の先を掻いて笑った。そういう部分が、ユサの強い所だと思う。とてもじゃないが敵わない。 「それにアサカワ君だって、ひょいとあたし達の前に姿を現すかもしれないじゃない。だって、アサカワ君だよ?」 ケイタはアサカワの人懐っこい小麦色の笑顔を思い出しながら、何度もうなずいた。新しいビールを開け、再び飲み、アサカワは死んだ訳ではない、生きているに決まっていると思った。勝手に自分で決め付けていた。永遠に会えないかもしれないなどと。 ユサは頭を振ると、軽く笑い、缶ビールを置いた。 「ところで、今から変なこと言うかもしれないけれど、聞いてくれる?」 ユサが笑みを消して呟いた。 「あっ、あぁ……」 ケイタはユサから感じたことのない気配が湧きあがったのに気づいた。緊張して体を強張らせ、うなずいた。 「ケイタの家は……お父さんが居ない……あたしの家には、お母さんが居ない。そのことに対して、寂しさとか感じたことある?」 「あっ、あぁ……少しは」 「そう……それでね、その……」 ユサは缶ビールを握ったまま言葉を濁した。 「いや……やっぱりいい。それよりちょっとこっち来て来て」 ユサは急に話を一方的に止めると、立ち上がってブルーシートから降りた。隣の家族からも見えない桜の木陰に隠れると、こっちへ来いと手を振った。 「いいもの見つけた」 罪の無い悪戯を企んでいる幼子のような笑顔を浮かべ、桜の根元を指差している。 「なっ、なんだよ」 ケイタも立ち上がり、ユサの横に並んで腰を下ろした。 ユサが指差す先には、桜の根元しかなかった。周囲にも何も無い。 一体何を見ているのだろう。根元しか無いのに。 「なにがあるって……」 ケイタは不思議になってユサを見た。 目の前にユサの顔があった。 近づいて来る。 ケイタは自分の唇に、柔らかな唇が重なるのを感じた 「キスしちゃった」 「おまえこんなところで」 ケイタは戸惑って周囲を見た。誰も居ないので安心したが、どうしてユサがそんなことをしたのか分からなかった。 「これで幸せ決定だね。あたしたち」 悪戯を成功させた小悪魔のようにユサが笑って言った。 ケイタは笑い返したが、頭の隅に、ユサが言いかけて止めたことがひっかかっていた。 いったい、ユサは何を言おうとしていたのだろう。分からなかった。 二十九話目へ |