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テーマ:今、沖縄で(575)
カテゴリ:つなぐ つながる つなぎ部
80年ほど前に大日本帝国が米英などと戦った太平洋戦争。その愚かで悲惨な過去を思い起こす一番の季節はいつでしょう。
本土の人間ならば広島・長崎の原爆投下や終戦の日がある8月でしょう。実際8月になると各地で慰霊祭が行われたり、テレビや新聞でも戦争の特集を組んだりします。でも沖縄は違います。沖縄は明日6月23日が「慰霊の日」。太平洋戦争で日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日です。 いまはそれにちなんだ催しが県内各地で開かれています。 私も昨日、宜野湾市立博物館で催されている写真パネル展「沖縄戦の中の宜野湾」に行ってきました。戦争による被害と言えば本土は空襲による被害を思い起こすことが多いですが、沖縄は地上戦による住民の悲惨な体験が中心。沖縄県民の4人に1人が犠牲になった地上戦がありました。そしてそれが終わったとされるのが6月23日。 ところが今は地上戦に巻き込まれた当事者が高齢になり、悲惨な状況を語り継ぐのが難しくなってきています。 沖縄のテレビや新聞をはじめ、様々なところで戦争の記憶を語り継ぐ試みがなされています。しかし、本土出身の人間の眼から見てこうした熱意は本土にまで伝わっているかと問われれば、そこには大きな温度差があるように感じます。本土では空襲や原爆にまつわる話題は今も多く語り伝えられていますが、沖縄戦の住民が体験したことはどこまで伝えられているでしょうか。 それだけではありません。戦後になっても日本から切り離されアメリカの統治下に置かれた歴史、今も在日米軍基地の大半が沖縄にある現実がどれだけ本土の人間に伝わっているか。そこには沖縄と本土の間にある信じられないくらいの大きな温度差を感じざるを得ません。 本土では戦後の日本では民主主義が定着し、高度成長がかつての豊かな日本を取り戻したとされています。 しかし日本が高度成長を享受している間、沖縄は米軍統治下にあり返還後も一等地は基地として使用され続けました。昨日見た、宜野湾市の戦前から戦後そして現在の写真パネルには住宅や田畑が広がる市の豊かだった土地が米軍基地に接収され、今や世界一危険な空港として知られる普天間空港が町の真ん中にある様子が写っていました。 この基地を移転させると日米は言っていますが、その移転先はやはり沖縄県内の辺野古。名目上施政権は返還されましたが、沖縄は相変わらず米軍の要石として使われており、本土の防波堤であり続ける現実があると感じざるを得ません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年06月22日 10時39分43秒
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