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2015年07月24日
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カテゴリ:主義主張
今日24日、2020年に開催される東京五輪の大会エンブレムが発表された。
ニュースが以下のように伝えている。

◆オリンピックエンブレムは「TOKYO」「TEAM」「TOMORROW」の“T”を、
◆パラリンピックエンブレムは、普遍的な平等の記号「=」をイメージしたデザイン。
◆全ての人がお互いを認め合うことでひとつになれる。
◆その和の力の象徴として誕生した。

この説明を読んで甚だがっかりしてしまった。
身体障害者に対する理解やバリアフリーなど、世界の動向はよくわからないが、
日本では結局何も進んでいないということをこのニュースが証明している。

Tの文字が何を示しているかなどはどうでもいい。
問題は、「なぜオリンピックとパラリンピックのエンブレムを別のものにするのか」
ということである。

「普遍的な平等の記号」「和の力の象徴」などとたいそうなことを言いながら、
エンブレムを別物にしている時点で、すでに不平等ではないか。

「パラリンピックをオリンピックとごちゃ混ぜにしてはいけない。
 パラリンピックは特別なものと扱わなければならない」というのは、
純粋な善意による発想であっても、結果としては偽善である。
身障者を特別扱いするという発想がすでに差別だということに気づかないのは
何とも悲しいことだ。関係者は余りにも浅慮すぎる。

しかも、パラリンピックマークの下には五輪が無い。
3色のブーメランのようなマークがあるだけだ。
Wikipediaでは、そのマークが人間の最も大切な3つの構成要素である
『心(スピリット)・肉体(ボディ)・魂(マインド)』を表している、
と説明されている。

だいぶ以前、オリンピックの五輪マークは五大陸を表していると聞いた。
地理の学術用語で言うと正確には五大陸ではなく五州となるのだが、
とにかく、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジアのことである。

当然ながら、ここには政治的な意味合いも思想的な意味合いも無い。
これもWikiによれば、「五大陸と、その相互の結合、連帯を意味している」らしい。
遥か昔から言われているように、政治的・思想的対立を
スポーツの世界に持ち込んではならないということなのだろう。

では、なぜこの五輪マークをそのままパラリンピックに使ってはいけないのか。
なぜパラリンピックに「心・肉体・魂」のマークを使わなければならないのか。
人間の構成要素ならオリンピックでも必要とされるはずなのに、
なぜパラリンピックなのか。

こんな風に考えると、誰もが気づくと思う。
「我々は今まで常に身障者を差別し、今でも差別し続けているのだ」と。
「区別しているだけ、と言いながら、常に差別しているのだ」と。

本当に区別したいだけなら、オリンピックエンブレムの「TOKYO 2020」の下に
「PARALYMPIC GAMES」と入れればいいだけの話だ。
目立たないというなら、文字を大きくすればいい。
(日本で開かれる五輪なのに日本語が全く使われていないことも私は不満なのだが…)

私は授業中に機会があれば生徒達に言っている。
「健常者が身障者に友情や愛情を感じるのはいいが、同情を感じてはいけない。
 そもそも、健常者には身障者を同情する資格など無い」

理由は極めて簡単である。
身障者はハンディキャップを背負って生きているというだけで健常者より優れている。
我々は彼らの姿を見ることによって、自らの努力不足、怠惰な心を反省し、
しっかり生きようという向上心を持つことができる。
人間的に劣っている我々が、優れている身障者を同情することなどできるわけがないのだ。

オリンピック・パラリンピック関係者だけでなく、
我々人類全体がもう一度真剣に考えなければならないと思う。
人種、民族、宗教、身分、性別、思想、そして身体能力など、
すべての分野において「差別をしない」というのはどういうことなのか。
我々はどういう意識を持って行動しなければならないのかを、
もう一度、本気で考え直すべきだと思う。






Last updated  2015年07月25日 14時18分36秒
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 Re:パラリンピックは五輪ではなかった(07/24)   あみこ さん
オリンピックとパラリンピックのエンブレムに、差別的な要素を感じる人がいるのか探してここにきました。
私が感じたのは、オリンピックがきれいな円であること、パラリンピックは欠けているということ。そんな風に書いてる人はどこにもいませんが。
私はそもそもパラリンピックは要らないと思います。
いつもオリンピックの陰にひそんで行われるパラリンピックに私は興味がありません。
なぜなら、人が見たいのは、人間の最大限の能力を発揮するところだと思います。
お情けで、後から作ったようなパラリンピックは必要ないと思っています。そういう競技はオリンピックとはまた別にすればいいと思います。
選手の気持ち?そんなものは仕方ないのひと言ではないですか?
どうしようもないことですよね。
健常者が障害者に同情をするな?
しませんよ、迷惑とは思えども。
血税が彼らに使われてるわけですからね。
それを優しくしなければとか思うことこそ偽善なんです。
なんで、金払ってまで優しくしてもらいながら、同情だ!差別だ!と騒ぐのですか?
普段からそんな冷たい人達に囲まれてるのですかね?
パラリンピックは一緒にするまでもなく、パラリンピックが必要ありません。これこそ健常者側の行為であり、偽善なんだと思います。 (2018年07月28日 09時13分59秒)

 Re[1]:パラリンピックは五輪ではなかった(07/24)   yosshhy さん
あみこさん、3年前の書き込みにコメントを付けて頂いてありがとうございます。

パラリンピックが必要かどうかは難しい問題ですね。
私個人は見ていて純粋に「すごい」と感じるので、あるべきだと思いますが。

>健常者が障害者に同情をするな?
>しませんよ、迷惑とは思えども。
>血税が彼らに使われてるわけですからね。
>それを優しくしなければとか思うことこそ偽善なんです。

ただ、こういうお考えだといくら話しても私とは平行線だと思います。
本文でも書いている通り、
「人間的に健常者の方が身障者より劣っているのだから、
 同情する資格も無いし、優しくする資格も無い。」
というのが私の考えです。

むしろ、我々健常者が、身障者に同情したり優しくしたり
「してもらう方」なのだと私は思っているのです。


(2018年07月28日 10時50分38秒)

 Re:パラリンピックは五輪ではなかった(07/24)   未来翼 さん
突然失礼致します。
ブログ内容に同様の思いを持ちました。
文才がない私の為、Twitterに転載させて頂きました。
多くの方に考えてみて欲しいという気持ちからですが、ご了承頂かず、思わず転載してしまい、誠に申し訳なく存じます。
深くお詫び申し上げます。
(2019年05月09日 19時12分07秒)

 Re[1]:パラリンピックは五輪ではなかった(07/24)   yosshhy さん
未来翼さん、コメントありがとうございます。

すでに4年近く前に書いたブログの文章が注目されるというのは嬉しいことです。
そして、同様の考え方を持つ人がいるのを知ることはもっと嬉しいことです。

私のつたない文章で良ければ、どうぞご自由にお使い下さい。
わざわざご報告戴いて、かえって恐縮しております。

(2019年05月10日 03時08分12秒)

 Re:パラリンピックは五輪ではなかった(07/24)   名無し さん
「障碍者の方は健常者よりも優れている〜」の件は、あなたの差別批判主張に反してこれも偽善・無意識の差別と同様なのではないか、と疑問に思いました。 (2020年03月25日 14時44分30秒)

 Re[1]:パラリンピックは五輪ではなかった(07/24)   yosshhy さん
名無しさんへ
昔の日記にコメントを着けて戴けるのは大変ありがたいことです。

>あなたの差別批判主張に反してこれも偽善・無意識の差別と同様なのではないか

おっしゃる通りですね。
そういう意味では私も差別主義者なのかもしれません。
いま自分の文章を読み返してみて、妙に納得してしまいました(笑)

ただ、健常者同士で比べる場合でも、
私は怠惰な人間より努力する人間の方が立派だと思っています。
才能がありながら全く努力しない人間は大嫌いです。
だから、無意識の差別ではあるかもしれませんが、決して偽善ではないんですよ。

障碍者は生きているだけで健常者がする必要が無い努力をしています。
そんな風に思われることを嫌がる障碍者もいることは承知していますが、
事実だから仕方ありません。
障碍者と健常者をいっしょくたにして、
「努力している人がしていない人より偉い」と考えること。
これを差別というのなら、別に私は差別主義者と呼ばれても構いません(笑)

(2020年03月25日 15時49分52秒)


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