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日本の投資の過去と未来に思いを馳せてみました。
1.無知蒙昧期(バブル以前~1990年) 株価は、一部の大手証券会社や機関投資家、持ち合い会社など インサイダー情報によって形成されており、 個人投資家とは、 大手証券の推奨銘柄、投資信託などの、まき餌の中に 飛び込んでいく、小魚の群れであった。 PER、PBRなどの価値評価は、「日本は特殊である」 という考えの下に退けられていた。 2.バブル崩壊(1990年~1999年) 価値と価格の乖離が異常なほど大きくなり、 一部のインサイダー達でも支える事が出来なくなった。 株価は市場の判断にゆだねられることになったが、 何を基準にして株価を判断してよいか分からず、 株価は連鎖的に下げていくことになる。 3.価値の発見(1999年~現在) 株価の大幅な下落と、企業努力によって 価値と価格の乖離がドンドン小さくなり、 価値>価格である株さえ、登場するようになった。 この過程において、このことにいち早く気づき 価値>価格であった株を購入した人は高いリターンをあげることができた。 4.価値への収斂(現在~10年後?) 価値>価格の乖離が大きい銘柄が明らかになり、そのGAPが埋まっていく。 また、価値<価格であった銘柄もそのGAPが埋まっていき、 やがて、価値=価格に収斂していくことになる。 5.価値の逆回転(?年後) 株式の価値への収斂は、国債の価値への収斂に波及し 国債の利回りは、インデックスのPER並にまで上昇していく。 利払い負担の急増により、国家の財政は一気に苦境に追い込まれる 6.質の問題(?年後) 国債による政府の資金調達が困難になり、 このときに初めて痛みを伴う改革が否応なしに実施される。 国民がそれに耐えるかどうかは、税率アップ、新税導入といった量的な面以外に、 その時の政治家トップが信頼できるかどうかの質の問題になる。 7.コミュニティの力(?年後) 量的な価値あるものを見出す能力を高めた個人は、 質的な価値も見つけ出す能力も高まっている。 本当に信頼できるかどうか?について、個人は、 ・政治家 ・マスコミ ・ネットなどで信頼されている個人 などを、見比べて選択することになる。 相対的に政治家、マスコミよりも個人への信頼に重きが置かれるようになり、 信頼できる個人を中心としてゆるやかなコミュニティにの重要度が増す。 政局の混乱による生活の混乱は、このコミュニティからもたらされる 情報などでしのごうとする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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