アフリカの話
今年はいろんなことがあって、自分なりにも進歩できた部分もあったけどできなかったことは「本を書く」ということだった。スキー場に行ったら、自分の時間がたっぷりできるので、この活動を再開させたい。最近、友達とアフリカの話をよくしたのでちょっとだけ紹介。一番聞かれるのが、そしてたぶんみんな知りたいのが「何、食ってたの?」という質問。だから、今日は食べ物特集。たいがい、路上や市場に「総菜屋ママさん」がいてそれを皿や持参の容器に入れてもらって食べる形をとった。↑正体不明の肉のぶつ切り煮込みと、「ケンケ」と呼ばれる巨大チマキ。 ガーナにて。↑典型的なアフリカン定食。トウモロコシ粉を練ったお餅もたいなものに、 魚か肉料理、野菜の3点セット。 ジンバブエ。 ↑西アフリカでは、容器は、なぜか洗面器。 アフリカの人は超大食い。マリ共和国。朝はサンドイッチが多かった。西アフリカは、フランスの支配下にあったのですっげー田舎でも、日本よりずっとうまいフランスパンが食えた。ボロボロの屋台で「カフェオレとオムレット・サンドイッチ」というのはなかなか洒落ていた。でも、コーヒーは耳掻きみたいなスプーンでほんの少し入れるだけであとは練乳ドロドロ入れる、恐ろしく甘い飲み物だった。コーヒーカップは、プラッチックの柄が大きいやつ。これが、インドあたりのトイレの尻ふき用水桶にそっくりの形だったのでちょっとイヤなかんじもした・・・ ↑ずっとフランスパンだったのに、英国領だったガーナに入ったとたん言葉は英語にかわり、パンも食パンになった。植民地文化ってすごい。水は、集落さえあれば絶対井戸がある。頭の上に、大きなバケツを載せてあるいてる女性が歩いていて彼女たちの行く方向に井戸があるので、すぐわかる。水場はどこでも、行列ができている。多くの場所で、手汲みポンプが村に一つ作ってある。場所によってはつるべ落としだけど。ペットボトルを持って近づくと順番抜かしで、絶対一番に入れてもらえた。↑女性なので写真は撮れなかったけど 水汲み場の雰囲気はこんなかんじ。僕のアフリカの目的が、素の生活を見たいということだった。サファリや観光地なんかは、どうでもよかった。だから、自転車で旅して大正解。そのかわり、イヤな部分もかなりたくさん見えた。グアテマラにおいしいコーヒーがなかったのと同じでキリマンジャロのタンザニアでコーヒーは飲めない。ガーナの子供たちも、チョコなんて食えない。西側諸国の商業主義の影がそこにある。(解説) かつてアフリカは農作物が豊かだった。植民地各国が、各地域で 自分たちに都合のよい換金作物の単一栽培をはじめる。 野菜畑はタバコ、コーヒー、綿花、カカオといった 食べ物ではないものに変わっていく。 少々の天候不良では、全野菜が全滅することはないけど 天候に左右されやすいこれらの換金作物は、ちょっとした天候不良で 収穫不能になったりする。 それでも、一度お金というものに触れた現地農民は 野菜よりも延々とこれらの換金作物を作り続ける・・・ で、そのカカオやコーヒーは、現地人の口に入るわけではない。 すべて、西側に流れていく。西側の言い値の値段で。 だから、ガーナでチョコレートは食べられず、 グアテマラではまずいコーヒーしか飲めない。 アフリカの飢餓は、じつに西側諸国が深く原因している。 もちろん、多くの企業が進出する日本も関係している。アパルトヘイトは、実質的に残っている。南アフリカだけじゃなく、ジンバブエなどかの国の手の届いたとこは、その影がいまでも濃く残っている。コカコーラさえ手に田舎の村にも酒場は作ってあった。黒人たちに教育をあえて与えないようにする、不満をかき消すために、酒を飲ましておく。教育がないから、不満があっても、それが具体的にどうなのか言葉にすることもできない。何が悪くて、だからどうしたいのか、表現することができない。自分の字も書けない人をいっぱい見た。飢餓とか内戦とか、そんな特殊なテーマよりも前に日本人を含む西側の責任が現在進行形であることが見えた。ケニアの日本大使館で借りた本に書いてあったことが印象的だ。「僕たちはアフリカが貧しくてかわいそうだから援助するのではない。 僕たちが、彼らの貧しい生活に今現在も深く関わっているからなのだ。」チョコひとつでも、その向こうにアフリカが見えるようになった。こんな、いろんな面でアフリカが見れたのは、よかったと思う。テレビで伝わらないアフリカを書くことができたらいいな、と思う。