南アフリカレポート(後編)
南アフリカ滞在の最終日、世界専門家会議で知り合ったヨハネスブルグ市公園課の職員さんにソウェト・ツアーを組んでもらいました。ソウェト(Soweto)は、アパルトヘイト時代に定められた黒人居住区のうちでも最大の地区です。最近では質のいい住宅も建ち始めていますが、何キロも先までバラックがつづきます。この時は、海外からの世界会議の代表団ということで、特別に警察の護衛付きでこの地区に入りました。ここでは、1970年代にアフリカーンス語(白人中心の言語)を黒人に強制する法律に反対して起きた暴動で亡くなった13歳のピーター・ヘクターソンの記念碑や、今は博物館となっているネルソン・マンデラが昔住んでいた住居などを訪ねました。このマンデラ博物館を訪ねたとき、小学校低学年くらいの男の子たちが2人寄ってきて、「歌を歌います」と言うのです。もちろん、お金を稼ぐためです。歌い始めたのは、「ンコレ・シケレリ・アフリカ」。アパルトヘイトが終了し、マンデラ氏が大統領に就任したときに、国家として認められた歌です。これさえ歌えば、観光客はお金をくれるだろうという魂胆は見え見えのボロい商売なのですが、そんなときに近所のおばちゃんが出てきて、私たちを護衛していた警察にどなりちらしています。「この子たちは、今、本当は学校に行かなければいけない時間なんだよ。でも、お金を稼げることを覚えてしまうから、学校には行かなくなってしまう。そうやって、教育を受けないまま、子どもが大人になっていってしまうんだ。前にも伝えたはずだろう。子どもたちをそそのかさないでくれ。」観光客は、きっと、ふつうに10ランド札(150円くらい)は払ってしまう。そんな人に一日100人出会ったら、1,000ランド(15,000円)だ。そんなお金は、ふつう、この土地では誰も稼げない。でも、年を取っていくにつれて、そんな風にお金をくれる人はどこにもいなくなってしまうだろう。私たちは、この街の現実を少しだけ垣間見て、帰りの空港に向かった。みなさんがどう思うかわからないけれど、私はおばちゃんのような人がいることに心強く思った。貧しかろうが、現実を良い方向に変えようとしている人が確実にいるのだ。実際のところはわからないのだけれど、学校に行くということは、日本とはまったく違った意味で、生きていくうえでの「希望の光」なのだろう。ところで、ユネスコの「Growing up in the Cities」プロジェクトによるビデオ「Children of Thula Mntwana」を入手しました。南アフリカのある貧困地区の子どもが、自分たちの生活のようすや現状を訴える26分のビデオです。IPA日本支部の運営委員会では見たのですが、機会があったら、他の方たちとも見てみたいと思っています。以下、ピーター・ヘクターソンの記念碑から。「電気を盗むのは違法です」の看板(高速道路から)