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自然と共にシンプルに 心地いい私へ

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【 ゆう 】

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2008年07月09日
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『カウラ捕虜収容所からの大脱走~あの日僕らの命はトイレットペーパーより軽かった』
大泉洋のドラマなので見た。
実話に基づく話なのに、私達日本人が誰も知らない事、あんな話が歴史の教科書にも載せない程隠されていた、その事実に驚いた。あんな想いであんな死に方をした人たち。みんな、誰かにとっての大切なひとりなんだ。しかも私達が産まれるたった30年前の話。




「生きて捕虜の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」
戦争中に生き延びて捕虜になることは屈辱であり不名誉なことであり生き恥をさらすようなものである。
そうなってしまうくらいなら死んで自分の汚名を残さないようにしなければならない。


当時の日本政府は日本人捕虜は存在しないと公表し、捕虜になった日本兵は戦死したものとして家族に伝えられていた。
捕虜になる事が不名誉であるということはカウラ捕虜収容所に収容された日本人捕虜たちが実名ではなく偽名を名乗って収容されたことにも表れている。
そして彼らは今も偽名のままカウラの墓地に眠っている。


大脱走の夜、日本人捕虜たちはちぎった薄っぺらいトイレットペーパーに自らの決意を記しました。
「○は脱走に賛成、つまり‘死‘」
「×は脱走に反対、つまり‘生‘」と。
覚悟を決めて多数決で賛否を投票したのです。
8割が死を意味する○をつけ、脱走は決行されたのです。
逃げ出すためでも、生き延びるためではなく、ただ死ぬために。
この事を当時の日本政府は隠蔽し、当事者のほとんどは口をつぐんだのです。


たった一晩のうちに、231人の日本人が死に、そのうち31人の日本人が自決し、
4人のオーストラリア兵が亡くなりました。脱走に成功した日本人は0人でした。




私は伯父からこの事件の話を聞きました。
伯父はニューブリテン島で餓死寸前のところを捕えられ
暴動までの4ヶ月間をカウラ第12捕虜収容所で過ごしました。
しかし、長い間、伯父は自分が捕虜だった事を家族にさえ打ち明けられなかったそうです。
暴動の夜、伯父はかけがえのない戦友を何人も亡くしました。
彼らはカウラの日本人墓地に今も「偽名」のまま眠っています。


書かなければいけない、と私は思いました。
平和の時代を生きる人たちにどうしても伝えたい。
64年前、なぜ伯父たちは生き延びるためではなく
「死ぬための脱走」をしなければならなかったのか。

                               脚本 中園ミホ


捕虜になった事が知れたら、大事な家族は村ハチブになる。
国の仕事をしている兄弟がクビになる。
だから自分は生きては帰れない。
信じられない世界。戦時中の絶対的な価値観。
そんな中、非国民と言われても
「家に帰ろう。明日を信じて、今日を大事に、生きて、生きて、生き延びようよ。」
そう言う大泉洋の言葉が胸にズッシリきました。




はぁ~、気持ちが沈んで返ってこないから、気分を換えて。
このキャスティングした人、洋ちゃんの人柄知ってたでしょ?
みんなを励まし、明るく楽しく気を配り、笑い、人を大切に、そのまま洋ちゃんでしょ。
人柄って大事だなぁ。演技がうまいとか、歌がうまいとか、確かにそういうのも大事だけど、その奥にある人柄に惹かれる。それはブラウン管を通じても伝わってくるんだ。
やっぱり洋ちゃん、だいすきだよ~~~大笑い





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Last updated  2008年07月10日 04時24分18秒
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