道玄坂洋楽英語倶楽部

2011/01/20(木)04:27

2011年は…

Off Script(63)

と、いうわけで、 気付けば正月もクリスマスも終わってしまいましたが… まだクリスマスツリーが街中に残っているだけでもまあそれなりに雰囲気が出てはいるのですが、カフェで色々やらなきゃならないことをやって、お店が全て閉店してから見るツリーというのもどうかと… PentaxK-x Pentax SMC-A50mm F1.4 最近多忙だといえばそうなんですが、それは何も私だけに限ったことではなく、さらに毎年何だかんだで年末年始は多忙なのが常ですが、それに加えて体調不良とPC不良が重なって、昨年末から何も出来ていない気がしますね。 そんなこんなで気付いたら始まってしまっていたという、ローリングスタートな今年2011年となってしまいましたが、「2010年のつごもりに思うこと」「今年の目標」をここいらで遅ればせながら逝ってみようか、と思いましたが… まずは2010年。大きな変化の年になりましたね。色々あって、何故か家族全員でキエフに居る、というのは2010年元旦には全く念頭にありませんでした。それから早半年が過ぎ、そろそろ3四半期を過ごすことになりますが、いかんせん唐突に決まった移住で、目的意識というのがありませんでした。 まそのへんはもともとジャズ・ミュージシャンな私ですんで、インプロバイズは得意中の得意。なんとでも臨機応変に、というかぶっちゃけ適当に対応して行くことに何ら違和感は感じませんがね。 しかし気付けば、2005年にこのブログを始めた「道玄坂」のビルの一室から横須賀、品川、そして気付けばウクライナに居る自分と、思いもよらない展開になっていることも事実ですがね。まあその直前の1年もボストン、LA、そして渋谷の実家と、全く脈絡のない変化を続けていることも事実ですが、いざ日記にしてみると、振り返って「ああそうだね、そんなこともあったね…」と読んでいくうちに、とんでもない展開になっていっているのがニョジュツに現れています。 内容的にも、元を質せば、アメリカの音大を卒業してまもなく帰国・結婚、当時講師兼通訳として勤務していた音楽学校から始まって「洋楽を題材とした英会話フォーラム」を構築しよう、というところを原点とし、その後独立・起業して翻訳・通訳にまつわる英語関連、そして少し音楽に戻ったかと思いきや、2007年末から2008年にかけて「写真」という新たな展開があって、最近再び音楽に戻りつつある、というよりも、Racapitulation (再現部) のように、この5年間の複雑なコンテクストに混ざって、元々のテーマが蘇ってきた感もあります。 私が高校時代の多感な時期を過ごしたのは1980年代後半。おりしも「DCブランド」ブーム全盛でした。私も恥ずかしながら「ブランド品」を多少持っていましたが、中でも一番印象に残っているのが、コシノジュンコさんデザインの小型リュックサックでした。通学用に購入したこのリュックを購入して自宅に戻り、開梱してブランドタグをみると、 「さりげなく、ダイナミック。男の美学」 と一筆書いてあったのが、どうしても脳裏を離れず、今でも事あるごとに、開梱した時のイメージが脳裏を過るからです。まあ当時は高校生でしたので、そんなこと言われても「???」が頭にいっぱい浮かんでくるだけでしたが、その後の人生において、「さりげない」かどうかはともかく、かなりのダイナミズムで自分の人生が動いてしまっていることに気付くたびに、その一言が重みを増していることは事実です。 さらに、こうして振り返ってみて驚愕するのが、そうした変化の全てが意図したものでもなく、終わってみれば純然たる偶然でもなく、「必然」と言えるであろう、ということですね。まあ詳しい事情は「内緒」な部分もありますが、おしなべて「こうなるしかあり得なかった」つまり「運命だった」ということだと思います。まあ「人生万事塞翁が馬」という言葉もありますしね、そうなってしまったら 「人生やるしかない、楽しむしかない」 という結果が、こんなん出ましたけど、ということです。 要するに「人生やるしかない、楽しむしかない」というのが、常に根底に流れていて、それは誰しもそうだと思うのですが、つまりはそれが「幸せ」とは何か、というところにつながっているのではないか、という仮説のもとに、これまでの人生を歩んで来た、あるいは来てしまった、ということです。 しかるに、今までの人生において大きく影響された人々の事を思うと、おしなべて人生のあらゆる側面において「楽しさ」あるいは「醍醐味」を教えてくれた人々ばかりであることに気付きます。たとえばそれは「掃除」「洗濯」「料理」など、ともすれば毎日毎日の作業で辟易してしまうような作業を楽しそうにこなし、その結果誰かの役に立つ、ということの醍醐味を教えてくれた人であり、あるいは大嫌いだった数学や物理・化学の面白さを教えてくれた人であり、はたまたバイトの単純作業の楽しさというものを教えてくれた人であったり、ということです。そうした「自分の存在意義」とか「ステータス」とか、そうした側面と無縁な部分で人生の楽しさに気付かせてくれた人々は、非常に貴重です。 とまあ毎度ながら前フリが長いですが、 実は今年が最後の30代な私。娘もそろそろ分別がつくようになってきて、ふと思うことは、広く自分の属するコミュニティの中で、そうした醍醐味を伝えられる存在になれれば言うことありませんが、最低限として、自分の子供には、あるいは自分の家族には、そうした今日・今を生きる「醍醐味」を伝えてゆける存在になれたらいいな、と思います。 そして私が40代に突入するのとほぼ同時に、キエフ生活も1年を迎えます。目下現地に慣れること、現地を知ることに明け暮れているといっても過言ではありませんが、40歳の誕生日を迎えるまでには、何かしら自分に出来ることが見つかるといいな、というところですね。 というわけで、今までと同じ大目標「人生やるしかない、楽しむしかない」を根底にしてこの昨年を振り返ってみても、今年の展望に思いを馳せても、やはりトランジションの真っただ中にある自分しか見えない、次のマイルストーンすら見えない、というのが正直なところです。まあ決まっていないものを無理やり決めても仕方ありませんよね。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る