『夜明け前 第一部 下』
2024/11/30/土曜日/今日もあつい〈DATA〉出版社 新潮社著者 島崎藤村昭和29年12月25日 発行平成24年6月20日 75刷改版平成28年2月20日 77刷〈私的読書メーター〉〈この小説の主人公、主体は「道」と思う。昼なお暗い木曽路を貫き、歴史を貫き、江戸へ京へと籠も人馬も駆け抜ける思惑の、人の心情、考えも貫く、道。攘夷、佐幕討幕、公武一体、金子に卑しい京の公家大寺の御一行も国学の理想に身を投じる実践家もこの道を踏みしめた。武士階級ではなく村々の庄屋や医家から輩出された彼らは百姓の課役に苦しむ姿を目の当たりにして街道を守って来たからこそ、権力が移るだけの変化ではない太古の自然の一新を夢見た。若き外国奉行山口駿河の忍び泣きも木曽に降る雨に包まれ、半蔵ばかりか道も確かに聞いたろう。〉大政奉還の3年前の元治元年の夏、筑波山の方を両国橋の上から眺める半蔵の姿があった。思いの先には筑波に籠る水戸浪士への恐れ相半ばする共感と同情だ。烈公への忠義を貫き、水戸藩佐幕派との騒乱に敗れた彼らのいる、その筑波山。馬籠は筑摩と呼ばれる地方の西にある。 筑波と筑摩、大波か小波か、その摩擦で磨かれる、或いは消耗されるのは時代か、人心か。参勤交代撤廃で、武家六部、町民四部と言われた江戸市内は空き家が目立ち不景気に襲われ、今や政治の中心も京都へ移りつつあり、家茂もその相談役慶喜も京都滞在を繰り返していた。そんな折、攘夷に血道を上げる長州方が御所周辺でついに戦乱に突入、その影響で京都市内は灰燼に帰したと、江戸の半蔵に当てて平田門人友人から文が届く。前年の四国艦隊爆撃で、太刀打ちできない現実を知り、結局振り切れた長州は攘夷から一転、討幕へエネルギーを激らせ、薩摩と手を結び急進派の公卿らと権力掌握を謀るのだが、それは後日談。余りにも早く時代が展開されていたのである。昨日の敵は今日の友秋深まる頃、ようやく奉行からのお達しを得て急ぎ郷里を目指す半蔵ら。というのも水戸浪士およそ900名が信州街道を抜けて西へ行くという情報が江戸市内を賑わせていた。幕府からすれば逆賊、これを追討するべく街道沿いの諸藩に命令が下る。水戸藩浪士は諏訪松本勢を打ちまかし、西へ西へ、馬籠にほど近い飯田の御関所に近づく。中には素通りさせる藩も。飯田藩とても籠城の構えではあった。城下町は焼き払われ戦乱の巷となっては民はどうか。苦慮した平田門人の北原稲雄兄弟の意見書が飯田藩を動かす。一戦交えず街道を通行させ、あろうことか物心で浪士を保護したとして、飯田藩家老切腹が言い渡されるの事態になった。しかし。幕府、田沼侯は追討軍であるに関わらず、強者揃いの浪士から20里の距離を保ち自らは戦わず。諏訪松本方に加勢すらしない卑怯者が、民を憂えた飯田藩家老を死なせた、とあってはもはや人心も幕府から離れるばかり。幕府のご威光地に落ちて、誠をもつ水戸浪士への同情は、歴史から間も無く消失される武士の琴線にも触れたに違いない。半蔵の述懐する人が激しい運命に直面した時は身をもってそれに当たらねばならない。という声。しかしまた、一藩の任の重さがありながら切腹という事態に陥ったは、強大な権威を振りかざす幕府閣僚の権威を見せつけるためだとも反芻する。かたや帝からは決裁が下りない英仏らへの開港。武力で圧倒しようとする諸外国に外交するのもまた幕府の奉行らである。そのじりじりとしたやり取りの様、よほどの人間力が備わってなければとても交渉はまとまらなかった。人斬りが横行した殺気立った幕末。今現在の我々ではとても武士も奉行も百姓も庄屋も務まるまい。「何でも疑って見なけりゃ兄さんは承知しませんからね」「ご覧な、こう乱脈な時になってくると、いろんな人が飛び出すよ。世をはかなむ人もあるし、発狂する人もある。上州高崎在の風雅人で、木曽路の秋を見納めにして、この宿場まで来て首をくくった人もあるよ」「そんなこと言われると心細い」「まあ、賢明で迷っているよりかも、愚直でまっすぐに進むんだね」何やら下巻を予感させるではないか。慶応三年、すなわち1867年、あくまで公武一和を念じられ、王政復古を急ぐ岩倉公らを諌められた孝明天皇崩御はこのタイミングである。私的には、それで誰が勢いついたのか、そこを平らな目で見るのが歴史の肝心と思う。慶喜は意を決した。朝威を輔け、諸侯と共に王命を奉戴して、外国の防海に力を尽くさなかったら、この日本のことは如何ともすることができないかもしれない。十月十三日、政権返上を列藩に通じ、十四日にはその事をご奏聞に達した。そしてこの大政奉還と、引き続く将軍職の拝辞とによって、まことの公武一和の精神がいかなるものであるかを明らかにした。あたかも高く飛ぶ事を知る鳥は、風を迎え翼を収めることをも知っていて、自然と自分を持って行ってくれる風の力に身を任せようとするかのように。この段、実に素晴らしい描写だ。胸が熱くなる。当時不当に貶められていた慶喜の深い理解者がここにいた。そう思う。今の為政者に求めるべくもない。自分の腹を肥やすものが落ちてないか地面を突いている姿が目に浮かぶ。高いところを飛ぶ力量のある者などいるはずもなく、まして風を知る者など一人もいない。民は幕末の物事が激しく転倒するさなか、ええじゃないか騒動に身を投じる者も多く、殆どヒステリー状況だった。寺仏を焼き討ちする者も後を絶たず今、私たちはどうか。