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カテゴリ:古刹
2021/10/08/金曜日/暑い日照り
夕日の岡の行人坂を降りて、太鼓橋を渡りV字道の左をゆるゆる上ると左に蛸薬師。福をすいよせるタコさんの十両千両は庶民の気持ちにピッタリ寄り添ってくださる、かたじけなさ。ここにも三葉葵が、それは三観音お祀りお腹さま⁉︎の縁 うなぎの八つ目や、解除されたにまだ店内で頂けぬ〜諦め折れたならば、そこが目黒不動への道 これは異なり。瀧泉寺は天台宗。なのに不思議なデザインの鳥居があり、先日見た日枝神社のものに酷似している。 色々調べていくとぼんやり見えて来るのが日本古来からの地主神の存在と中国朝鮮半島を経てやって来た外来宗教、仏教との折合い。 役小角の果たした役回り、山岳信仰背景と鎌倉以降の寺の自衛など含めてこれは先に読んだ『能から紐解く日本史』が理解を少し進めてくれた。実は更に道教、景教も絡んでくるのだか。 果たしてここには 神仏習合立役者、役行者の像が間もなく19世紀になろうか近世にちゃあんと据えられている。 そもそも行人坂、とは出羽三山、特に湯殿山の修験道の行者を指していうらしい。この地にはそのご子孫も随分お住まいのこと拝察。 家伝として何事か大切に守り来たものが天台宗寺設立前からあったということではないだろうか。 寺の縁起に掲載された1836年江戸名所図会を見るとお不動さん周囲は鬱蒼とした杜、参道は賑やかな茶屋や飴屋団子屋などが並んでいても離れた所にわずかに里の家が見えるだけ。確かに本堂奥に大日との文字が見え、鳥居もあるがいわゆる山王鳥居ではない。 維新頃もこのような風景だったろうか。素白先生によれば、目黒の里は春はたけのこ秋は栗が名物で草葺きの二階家が戦後間もなくまで門前に残り、のんびりと鄙びた風景が最後まで残っていた由。 飽食とグルメの浮世に明日の米を心配する人も多くある今の世をば、甘藷先生何思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.10.10 07:02:52
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