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2022.01.08
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テーマ:読書(8198)
カテゴリ:本日読了
2022/01/02/日曜日/午後は温かい晴

〈DATA〉
株式会社新潮社/川端康成
昭和56年12月20日発行
昭和60年8月15日四刷
川端康成全集第二十巻

〈私的読書メーター〉〈初読みは13、4歳頃。この世界にすっかりはまり込み、わざわざ遠くの女子校に編入学したのだから人生を変えた一冊といえる。読み直してみると改めて洋子という少女の崇高さが胸に迫る。人間というものは生きた年数によって、或いはその体験の嵩で完成されるとばかりは言えぬとしみじみ思う。清潔さ思索の深さ思い遣り、といった情緒の種の良し悪しは生まれ落ちた時から既にその人特有であるように思う。一見恵まれたお嬢様洋子のクリスマスの贈り物を心から尊く受け入れる三千子、挫折を通し人間の価値、自分の過ちを認める克子、乙女ら伸びよ。〉

〈〈私は人間は生まれつき善なる存在と捉える。それでも自身の重ねた馬齢を通して人間本質の善なるものが人間個々の魂的レベルにおいて位階がある、という実感を覚える。 そう感じたのは勤務先の中学で尊敬すべき図書委員の女子中学生に出会ったことが大きい。彼女は未だ15歳だったが40過ぎの私よりもとてつもなく大きな人間だった。 トラブル対処の彼女の対応は私など足元にもおよばない叡智の輝くもの。彼女の存在は凡ゆる差異を超えて尊敬しうる人間のあることを教え、その感激はいつも新しい。同時にいつも自分の小ささを反省させる。〉〉

洋子と克子は、ミッションスクールの新入学生三千子の鞘当てで、感情をもつらせる。

洋子は樹木の花を愛する人、克子は濃い紫の匂い菫を愛する人。洋子は賢く控え目で思慮深く、克子は活発、スポーティで自分の感情を全て外に発散させる。そんな彼女は欧米の少女とも対等に交際する。

まるで完成された人格者のような洋子という存在、しかしなぜそんなパーソナリティを持ち得たか、洋子の家庭の事情も段々見えてくる。

三千子は洋子を敬愛し夢中になり、周囲からも二人はエスの関係であると認知される。

そんな二人が離れた夏休み、避暑地で偶然克子に会った三千子は、後ろめたさを覚えながら克子の魅力にも惹かれる。

そもそも誰とでも仲良くしてはなぜいけないのか、と考えてしまう三千子…

三千世界に咲く花の、匂い立つ艶やかさ、少女たち
薔薇は生きている、劇中劇のような洋館の荒れた庭。

嫉妬深く意地悪な、強い娘はその強さで自らの過ちを認め許しを乞う勇気、克己がある。その時未来は新たに洋々と開かれる。

無垢なものが誤謬を犯し、贖うことで真理に到達する。洋子は見守る人、証言する人であろうか。いや矢張り幾ばくか嫉妬もし恐れもしたのだ。それでも洋子は矢張り遥か高みを行く人。

この3人の乙女は3人で一人のパーソナリティかもしれない。其々のペルソナが知性、感情、意志を示すかのよう。

物語を読みながら時に宝塚が演じる源氏物語の世界が展開しているような印象も。
本作は中里恒子の原作を川端が手を入れた事が定説だ。

さて。この本に出会った中学時代。好んで読んでいたのが、哲学入門とか貝塚茂樹の論語とか宮沢賢治伝記とか岡潔や寺田寅彦の随筆だった。

その折、人格とは遺伝をベースに環境と教育で作られる三角形、といった表記に出会ったことをよく記憶している。授業で「獲得形質は遺伝しない」法則みたいなことも学んだ頃。

数学や音楽の天才が耳に似た形態の渦巻官をもつことはよく知られている。今日では笑い話だが、19世紀にヨーロッパを席巻した人相学、骨相学では犯罪を犯すものの外的特徴に共通するものを学者が真面目に研究したという。

音楽、スポーツなどには確かに遺伝上のアドバンテージがあるように思うが、三角形パーソナリティから考察すると、犯罪は教育、環境因子に因ると思う。盗まなければ飢える状況下では私も盗みを犯す。これ間違いない。

ところで最近の知見では離婚遺伝子なるものが存在するという研究もあるそうだ。ほんまかいな。その研究者自身に離婚因子があるので、離婚に至らぬよう環境を予め徹底的に考え、時間や趣味のありようを工夫している、というのは知人から聞いた話。知るは防御なり。

しかし、簡単に道徳や善から転び落ちる多くの私のような人間の中に、より困っている人のために自分の全てを差し出す驚嘆するような人がいる。多くを持ちながらまだ貪る人もいる一方で。この違いとは何だろうかを考えずにいられない。

本当に人格は遺伝、教育、環境の三つだけだろうか。人間は身体と感情と知性だけで認識できるだろうか。私の実感としてある大きな問題は「輪廻転生」という考えだ。

因果応報、撒いた種は自ら刈り取らねばならないは道理。それが時空を超えて私という人間の実体に刻印される、今ある生は過去のどかかでの果である、という考えは私に根強くある。

ごまかせる、騙せる、そんなものなど一つも無いという実感がある。

遺伝は祖先から連綿と受け継いだ命のバトンだが、全き私は幾度か生きた人生でその時その時の私自身が、行為思考の中に記して来た一冊の本のような、何と名づけるべきか、霊魂か。

言わばヒトとしての血統とindividualな霊統。この二つを有しているのが人間ではないだろうか。

人は全て平等、尊厳を有している。にも関わらず明らかに霊魂において高低がある。ヒットラーもマザーテレサもヒムラーもガンジーも等しく人間だけれど、人間として遥かな距離がある。

乙女の港を読んでこんな思索の旅もした。年の始めに。





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最終更新日  2022.01.08 10:47:53
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